『おすぎ』彼は何故、これほど映画ファンに否定されているのに、「評論家」として意見が言えるのか…。

 みんなが大好きな「映画」には大事な要素が三つあります。一つ目は当然ながら「映画」という作品そのものです。そしてそれを製作する映画監督や俳優などの「作り手」が要ります。しかしながら、ただ作品があってもしょうがない。観られてこそ、初めて映画になるのです。そう、「観客」が加わってこそ、はじめて映画の三つ巴、三すくみ、もしくはじゃんけんぽんトリオの状況が発生します。

 映画には古いも新しいもなく、ただ良い映画、悪い映画、まあまあの映画がある。作り手にもセンスの良い者、悪い者、まあまあの者がいる。そして観客にも良い観客、悪い観客、普通の観客がいる。映画評論家を名乗る人には当然ながら良い観客を期待します。

画像


 では良い観客とはどういう観客でしょうか。ここでいう良い観客とは理想的な観客を指します。映像と音声から正確にメッセージを読み取り、作り手の意図を理解しつつも、自分の考えを遠慮せずに述べられる観客です。

 では「彼」はどうなのでしょうか。個人的にはそもそも試写会に行って、タダで観て、グダグダ言っている人々を「観客」とは思っていません。彼らはただ単に宣伝のための道具であるに過ぎません。もちろんここに行く芸能人などはTVに映りたいだけの、ただのさもしい輩でしかない。

 そんなさもしい彼らを「セレブ」と呼んでしまうわが国のマスコミの見識のなさにはあきれるしかない。ブログなどでも「セレブ」と称する人々のものがあり、各プロバイダーのブログのトップページには芸能人やスポーツ選手などのものが「セレブ」扱いされているが、そんなものを見ると胡散臭さを感じてしまうのは自分だけだろうか。

 「セレブ御用達」とかで宣伝されているものが多数あり、「いったい誰やねん!?」と思い、読んでいくと芸能人のものだったりする。「セレブ」の意味を貶めないでほしいと願う今日この頃です。

 それはさておき、日本の映画評論家の代表といえば、古くからの映画ファンならば、淀川長治、双葉十三郎、蓮實重彦(映画のみではありませんが)、荻昌弘、水野晴郎、佐藤忠男などを思い出しますが、現在、世間一般ではある人のことを指すのではないだろうか。

画像


 「彼」を嫌う映画ファンは多い。ふつうTVに出てくる映画評論家はみなソフトで、嫌味さはなく、どこかカッコいい雰囲気を持っている方が多かった。淀川さんや荻さんなどは代表例でしょう。もちろんTVで聴く彼らの話も楽しいのですが、書籍や記事で読む彼らの記述の厳しさには驚く方も多いかもしれません。

 ただ彼らの記事には厳しいながらも、「ああ、このひとは本当に映画を愛しているんだなあ。」と思える文章が必ずあるのです。行間から映画愛が滲み出るような瞬間は嬉しいものでした。

 蓮實さんや双葉さんとなると、表面的な話だけでは納得しない、さまざまな文献を読む勉強熱心でコアな映画ファンに認められる存在です。まあ、水野さんとなると、「シベ超シリーズがあるしなあ…。」というため息も漏れてきそうですが、嫌われているわけではありません。

画像


 では何が違うのだろうか。一番の違いは「彼」が映画を紹介するときに映画への愛情を感じない点ではないでしょうか。仕事として片付けているだけに見える。映画会社には媚びるくせに、海外で評価の高い北野武監督や後期の黒澤作品にはボロクソです。いったい何者のつもりなのであろうか。

画像


 スカパーにはチャンネルnecoという邦画専門チャンネルがあります。この局のプログラムにはなんと「彼」が毎週映画を紹介する30分番組があるのです。その名も「おすぎのシネバラ」。「シネ!馬鹿!」ではありません。このプログラムは新作映画の宣伝と過去作品の紹介、そしてゲストインタビューというのが主な内容となっています。

 ここでの「彼」は王様然とした傲慢な態度を撒き散らし、若手芸人を散々馬鹿にしたり、新作映画のプロモーションに来ている配給会社の宣伝マンたちに散々嫌味を言いまくります。そして過去作品の紹介では評価の定まっているものには「それなり」の言葉で説明します。

 日活のB級作品ばかりを流すのが一般的なこのチャンネルではマニア向けのプログラムが多いので、当然ながら仕方なしにある程度の評価を与えています。

 問題なのは新作です。彼が新作をけなすのを聞くことがいまだかつて一度もないのです。まあ、常にこのプログラムを見ているわけではないので断定は出来ません。しかし映画を長く観ている者ならば、そして一年に劇場で100本以上観る者ならばすぐに理解できることなのですが、新作を観ていて、合格点の水準である60点はあるなあ、もしくは人に薦められると言えるのはせいぜい三分の一くらいではないでしょうか。

 また紹介の仕方そのものにも問題があります。ネタをばらしすぎて、映画館に行くワクワク感を奪ってしまうのです。基本的には新作を観るときにはまったく情報なしに行きますが、あれほどばらされてしまうと観る気が失せる方もいるのではないだろうか。デートの下見として、気まずい雰囲気になるような映画は避けたいというような理由があるのであれば、見てもいいでしょうが、そうでなければ楽しみを奪われてしまいます。

画像


 新作映画のプロモーションを仕事でやっているからしょうがないというのは大人ですから分かります。ただし同じ仕事でやっているからというのでも、淀川さんのスタンスとはまるで違うような気がずっとします。淀川さんは最低の映画でも何とか良い点を探そうとしていました。駄作を紹介するときの言い難そうな淀川さんのしゃべり方がまた良かったのです。

 しかし「彼」にかかると、すべて「泣けます!」「この映画を観て、感動できないのはおかしい!」の一言で片付けられてしまう。そんなことを言われると、こっちが「泣けてきます!」と言いたくなります。なんで映画を観て泣かねばならないのだ!泣くことにそんな価値があるのかと言いたい。グダグダ言われなくとも、映像と音響と芝居が上手くいけば、勝手に涙は溢れてくるのものです。

画像


 また観客すべてが自分と同じ感性だとでも思っているのか、それとも自分の感性は絶対的で、他人のそれは自分以下だと信じ込んでいるのでしょうか。さらにまずいのは視聴者レベルを考慮しているのか(nekoはかなりコアなチャンネルなので、局側が視聴者を甘く見ているのではないだろうか!)どうかは知りませんが、「彼」がこのプログラム中、映画についてしゃべるのはほとんどがストーリーや俳優についてのことなのです。もう「彼」も「地位」はあるのでしょうから、技術論をやるべきではないだろうか。

 難しい技術論はスポンサーが嫌がるから、そういう評論を避けているのであれば、そのスポンサーは最低だが、「彼」の番組を見ていて、「なるほどなあ。」と思える点があまりないのは映画ファンとしては正直寂しい。語る力がないのか、語る機会がないのか。

 このまえ『八甲田山』の紹介をするときにはカメラの向きがあっちこっち散らかっているのは雪山での混乱を表しているのであろうとか、割とまともなことを言っているのです。しかしあくまでもそれらはすべて過去作品に関することなのです。スポンサーに媚びずに、新作をこき下ろしてこそ、「彼」の評価は上がり、大向こうの受けが良くなるのではないでしょうか。

 関西には浜村純という司会者のおっちゃんがいて、彼も映画についてのコメントをよく出します。今でも覚えているのが『ロッキー5』について彼が語ったときの言葉です。当然マスコミは宣伝一辺倒でしたが、彼はTVオンエア中にはっきりと「この映画は駄目だ!がっかりした!」と言い切ったのです。僕も当時この映画を観に行きましたが、あまりのひどさにがっくりした記憶があります。そのため今でもロッキーは『ロッキー4 炎の友情』がラストだと思っていますし、衛星放送やスカパーで放映されていても、4までしか見ません。

 「彼」がもし評論家活動はギャラがいいから、そんなまねは出来ないというのが本音だとすれば、そんなものは評論ではない。政治評論然りで、マスコミ批判やタブー批判をしないタレント評論家たちの言うことをまともに聴くのは大間違いなのと一緒です。

画像


 井筒監督は自腹で観て、言いたい放題言ってましたが、あれこそがインターネット時代の映画評論ではなかろうか。良いも悪いも、本音がバンバン飛び出し、ネット上を飛び交うのが普通の状況では「彼」のスポンサー媚び一筋の喋りでは誰も納得しないのです。

 視聴者を選ぶスカパーなのだから、そして視聴者が選ぶスカパーなのだから、もっと本当に言いたいことをどんどん言っていかなければ、すぐにTVからも追われるのではないだろうか。次世代にネット出身の映画評論家が現れ始めれば、彼らは好き放題に言うだろう。仮にすぐにTVを追われても、元の場所に戻れば良いだけなのですから。

 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 4

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス

この記事へのコメント

シュエット
2008年05月22日 16:01
おすぎも然り、最近の映画のコピー然り…
表層的に、刹那的に、嬉しい悲しい良かったわのレベルの感情に訴える文句が氾濫している。
感性と感情を混同しているような…
「おすぎ」が賞賛する映画って受賞作品とかって多いですよね。受賞作品は客席が埋まるけど、結構寝ている人も多い(苦笑)
小さい時から淀川さんの映画解説聞いて育った私。いい映画を見せてくれたし、映画の愉しみ方、見方、面白さを教えてくれたなって思う。本当に映画が好きで、演じている役者たちが大好きで…子供心に本当に映画が好きなんだなって感じましたもの。数十年前のスクリーンなど読んでも、本当に内容の充実には驚く。改めてこんなの読んで成長してきたんだなって思うとと、いい時代に育ったって思いとともに、あまりにも表層的すぎる世相に危惧してしまう。
日本語がどんどん崩壊していく世相。言語の貧困が感性の貧困につながり、行間の言葉を失わさせ…最近の邦画をみていても、こんな映画ばかり作っていていいの?って思ってしまう。
シュエット
2008年05月22日 16:02
<500字以内って言われたので…続きです>
情報を自分から掴みに行こうとしない世代が増えているのも大きな問題でしょうね。座ったままでネットで情報を得るのと、辞書を広げ、書店にいって、自分の手と目で確かめて…こんなアナログ的な作業が軽んじられている世相もいいのかなって思う。
またとりとめもない文章になってしまいましたが、本当にメディア通じておもうことアレコレです。
2008年05月22日 18:52
 シュエットさん、こんにちは!
 淀川さんの書籍は数十冊以上は読みましたが、どれも映画愛に溢れる楽しいものばかりでした。子供の頃に見たTV解説するときの彼と、ご自分の書籍に書くときとではかなりギャップがありますが、映画をよく知ってほしい、映画を愛しているんだ、という姿勢はしっかりと伝わってきました。
 記事中の写真にある『映画千夜一夜』は淀川さん、蓮實さん、そして山田宏一さんの三人で映画をあれこれ語る楽しい本でした。
2008年05月22日 19:01
 最近の宣伝や「彼」の評論は、映画を愛する方たちが携わっていた頃の解説や評論とは明らかに映画への愛情温度が違いますね。

 何か上から目線で見ているようなムカムカする言葉が多いような気がします。また誰に向けてしゃべっているのかと思うことも多い。

 映画ファンに向けて、自分の意見をしゃべっているのか、それとも何も知らない不特定多数に向けた「宣伝」にすぎないのか。

 お金が掛かったハリウッド映画、こじゃれた欧州映画には甘いように思います。批判しやすいところを批判し、媚びるところには媚び続ける。映画に興味のない一般の人は彼の話を真に受けて、観に行くのでしょうか。

 今回は作品ではなく、個人攻撃みたいになってしまいましたが、映画評論や宣伝のあり方に疑問を感じることが多くなる一方なので、あえて記事としました。ではまた!
2008年05月23日 15:15
おすぎ氏って、映画を褒めるときの語彙の少なさも目立ちますがボロカスに貶すときは、映画そのものではなく人間性とかまで罵倒しますからね。(これがいい映画かどうかは別にして)「大日本人」のときも「映画撮らなければ天才のふりしててもばれなかったのにね」と言ってみたり。
2008年05月23日 23:14
 万さん、はじめまして。コメントをいただきまして、ありがとうございます。
>「大日本人」のときも
 あの映画は後半はともかく、前半部分に関してはかなり捻りが効いていて、特撮ファンの僕でも楽しみました。

 まっちゃんが良い監督かどうかは別にしても、せっかくのデビュー作品をボロクソに貶す権利など彼にはないと思いますし、映画界の巨匠と呼ばれる監督たちでも駄作は山のようにありますからね。

 むしろ次作を早く観たい気持ちがあります。素直に撮れば、自然と彼の才能が滲み出ると期待しています。ではまた!
 
2008年05月24日 10:06
こんにちは。
まず、感想と評論は違うと思うんですね。感想は、極端な話、おもしろかった、つまらなかったで、いいと思うんです。しかし、評論は違う。その点、彼はどうなのか・・・。要は、自身の感性で判断、評するしかないんですけどね。しかし、確かに映画評論ではないような気がしますね。
私は、あくまで感想をブログで書いてるんですが、やはり淀川長治氏の姿勢というか、映画への愛、想いは非常に参考になり、尊敬しています。

>淀川さんは最低の映画でも何とか良い点を探そうとしていました。駄作を紹介するときの言い難そうな淀川さんのしゃべり方がまた良かったのです。

おっしゃる通りです。
この映画への愛を、みならいたいと、思っています。
では、また。
トム(Tom5k)
2008年05月24日 15:25
用心棒さん、こんにちは。
現在の映画評論に何が不足しているのかを考えたのですが、「映画への愛情」ももちろんなのですが、「知性」が不足しているように思います。映画から日常への橋渡しが出来ていないのではないでしょうか?
つまり作り手も観る側も「単なるカタルシス」を得ることのも終始してしまっているように思います(それも大切な魅力ではあると思いますが)。それだけ現在が「大きなストレス」社会であるのかもしれません。しかし、だからこそ映画を観たことで、それを日常に回帰して生活を充実させる必要があるのではないでしょうか?
わたしは映画の理論において、ハンガリーの映画理論家のベラ・バラージュが言っているように、映画が他のいかなる文化よりも一般大衆の心を大きく左右する力があることに注意を払うべきだと考えます。
では、また。
2008年05月24日 18:15
 イエローストーンさん、こんばんは!
 コメンテーターと名乗るならば、あれもまた「あり。」だと思うのですが、偉そうに評論家面されると内容の貧困さと愛情の欠如にむかむかしてしまうのです。
 口下手の方でも、文章が上手くないわれわれ素人でも、思いのたけを自分の言葉で書いたならば、誰かが反応してくれると思うのです。
 彼のトークや文章からはあまりそういう熱いものを感じないんですよ。一回や二回見ただけではなく、十数回以上はシネバラを見ましたが、あまり映画の魅力を引き出せているとは思えないんです。今回のゲストは100回記念なのにゲストがピーコでした。
 もっと深く愛情こめて、じっくりと語って欲しい。できないなら、さっさとやめて欲しい。ではまた!
2008年05月24日 18:26
 トムさん、こんばんは!
「感動した!」とか「スカッとした!」とか「じーーんときた!」とか感情表現ばかりが大手を振って歩いているのが映画の評価の現実でしょう。
 専門誌を読んでも満たされない映画への探求心が強い方がネットで意見を述べているのが今のコアな映画ファンを取り巻く状況ではないでしょうか。
 本当に映画雑誌を買わなくなりました。またTVでの映画紹介コーナーなんかもまともに見なくなりました。むしろ余計なことを言うのでチャンネルを替えてしまうほどです。
 映画が大衆より発達した素晴らしい芸術であるのは誰もが認めるところですが、更なる進化を遂げるには何が必要なのでしょうか。
 まだ纏まってはいませんが、作品、技術、演出などの作り手サイドの問題だけではなく、理想的な観客とはどういう観客かについて考えていきたいと思っています。ではまた!
 

この記事へのトラックバック