『舞台恐怖症』(1949)大女優マレーネ・ディートリッヒ出演作。他を圧する存在感は流石!

 アルフレッド・ヒッチコック監督、1949年製作作品であるとともに、ヒッチ作品に唯一、稀代の名女優マレーネ・ディートリッヒが出演している作品でもあります。映画史上、ベティ・デイヴィスと並ぶ最大の妖女であり、他の出演者を圧倒する存在感の持ち主である彼女を、どのように演出するのかという大きな課題が、ヒッチコック監督に与えられました。

 この作品に登場する出演者の中で、もっともネーム・バリューがあり、お客さんを劇場に呼べるのは、誰が見ても明らかな通り、マレーネです。『嘆きの天使』、『モロッコ』、『上海特急』、『間諜X27号』などで見せた、彼女自身の美貌が最盛期を迎えていた30年代から40年代初旬からすれば、残念ながら衰えは隠せませんが、それでも他の追随を許さない存在感の大きさと、ハリウッド女優としてのプライドは画面からでも、我々を威圧してきます。

 他のハリウッド女優には全く見られない退廃的な雰囲気、陰のある表情、いるだけで醸し出される存在感、中性的な魅力、ハスキーでドスの効いた声と歌声、タバコを常に燻らす悪女としての矜持、そして有名な脚線美。

 あの足だけで、足フェチにはたまらないのではないでしょうか。モノクロ・フィルムが表現できる美しさは彼女のためにあるようなものです。マレーネには「白」、「黒」、そして「灰色」がよく似合います。リタ・ヘイワースも同じで、彼女もカラーになると魅力が消えてしまいました。

 同性愛者であるのみにあらず、両刀使いであった彼女は、男も女も観客すべてを魅了し続けました。彼女の持っていた妖しい目の輝きを引き継ぐ者は、その後いまだに現れてはいません。彼女のみが持ち得た個性であり、魅力であったようです。ドイツ人であった彼女ですが、アメリカに拠点を置いていた彼女はナチス・ドイツに対しても、彼らが絶頂期にあった時でも、常に批判的でドイツ語で語りかけられたとしても、一切返さなかったそうです。

 マレーネについて、彼女がどれだけ魅力的な存在だったかはこれまでの文章で理解していただけると思います。彼女に対抗するために、ヒッチコック監督がしなければならなかったこと、それはジェーン・ワイマンを彼女に負けないヒロインとして作りあげること、犯人でもある主人公(リチャード・トッド)?の異常性を知られてはならないことと、最後まで観客に同情されるような人物像を作り上げること、そして脚本上では、観る人すべてをあっと言わせる、驚くべきストーリー展開を用意しておくことでした。

 巻き込まれ型の主人公と、彼を助けるヒロイン、そしていつも彼の映画に登場する「マクガフィン」などを軸に展開される作品を山のように観てきた、そして常に楽しませてもらっている観客からすると、この作品でのストーリー構成における、最後のサスペンスの落とし処は全く予想外のものでした。完全に、今回はヒッチ先生にしてやられるラスト・シークエンスでした。

 不満点としては、ではこの作品の主人公は一体誰だったのかという点に尽きます。ジェーンなのか、マレーネなのか、リチャードなのか。謎解きはジェーンの父を務めたアリステア・シムがやっていました。刑事役のマイケル・ワインディングも謎を解こうとしてて、作中での役割がはっきりせずにイライラしました。

 ヒッチコック監督自身は後に、このような犯人による偽のモノローグを、作品の最後まで信じ込ませておいて、観客を誘導する方法を採用したことについては、トリュフォー監督との対談においても反省していたようですが、何本もの、いや何十本ものヒッチ・ワールドを体験してきた観客からすれば、大いに楽しめたのではないでしょうか。ヒッチ先生もトリュフォー監督も、この作品をあまり好みではないそうです。個人的には、十分楽しみました。

 実際の観客動員はあまり芳しいものではなく、批判も浴びたようですが、個人的にはアイデアが良く、独創的な手法をとった良作であると思います。最初見たときにはいつも通りのストーリー展開だが、それにしても今回は単純すぎるなあ、と思いましたが、ヒッチコック監督はもっと考えて作品を作っていました。オープニングでの幕が開ける、映画の始まり方もタイトルの『舞台恐怖症』にちなんだ洒落の効いた演出でした。

 残念だったのは、この作品の興行成績が良くなかったためか、二度とマレーネがヒッチ作品に登場しなくなってしまったことでした。ヒッチコック監督にとっても、マレーネ・ディートリッヒにとっても残念でなりません。二作目があれば、お互いにもっと解りあい、良いパートナーになっていた可能性もあったはずなのに。汚れ役でも彼女が演じれば、それこそ映画史上に残る作品を作り上げられたかもしれないと思うと、かさねがさね残念です。

 しかしこの作品にも、マレーネが如何に凄味のある女優だったかを示すシーンが、沢山用意されていました。冒頭で、男を自分の意のままに動かし、殺人までさせてしまうシーン、女優の舞台裏をあけすけに見せつける喫煙シーンや衣装部とのやり取り、そして流石の貫禄を見せる舞台での歌を披露するシーン。『ラ・ヴィアン・ローズ』を唄いながら、破滅の道を歩んでゆく女優の生き様は壮烈でした。一連のステージでの、ショーのシーンを見るだけでも、この作品を見るために時間を使う価値はあります。
総合評価 88点
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この記事へのコメント

和登さん
2006年02月20日 21:36
ディートリッヒは「モロッコ」をみて その大人の女っぷりに あこがれました。高校生のときは 「ロードショー」「スクリーン」2冊買って 映画をみたつもりに ひたってました。
昔の スターは どうして あんなに 謎めいていたのでしょう。
2006年02月21日 13:17
 和登さん、こんにちは。コメントをありがとうございます。
 >昔のスター
そうですね。マレーネ・ディートリッヒ、マリリン・モンロー、ベティ・デイヴィス、グレース・ケリー、ローレン・バコール、そしてリタ・ヘイワーズにしろ何かを隠していて、そうして出来た陰の部分が多い人ほど魅力的で、才能の幅が広かったような気がします。
 残念ながら、情報がありすぎる今では、謎めいたスター像を作り上げることは不可能になっていて、魅力も半減していますね。
 ではまた。
2006年04月16日 14:31
 ヒッチ曜日なので、恒例どおりUPしました。TBのご確認をお願い致します。
 映像のトリックというのは若い時から大嫌いですが、考え方によってはこの作品のトリックはまだましかもしれません。何故ならフラッシュバックという手法を使って主観であることを示しているので。
 「シックス・センス」以来一人称の世界を三人称の描写と思わせ、最後に「これは幻想でした」と明かすスリラーにあるまじきインチキが行われていますが、それよりはずっと良いでしょう。どんでん返し、それも詐欺まがいの方法で得点を稼ぐとは(怒)。
 あるいは、極悪人が自分の部屋にいる時にいかにも普通の人に描いて、最後に犯人だった、と明かすミステリー。これも詐欺です。観客は三人称の描写即ち客観的事実と思って観ていますから、卑怯千万。
 さて本作。マルレーネは良いですが、結局本論に絡まないのでヒロインとは言えず、宝の持ち腐れになってしまったようです。その点ビリー・ワイルダーの「情婦」は上手かった。 
2006年04月17日 00:41
 こんばんは。おおっ!ヒッチ曜日でしたね。
作品上の、カメラ・ワークとストーリーの流れというのは、観ている観客にとっては信頼すべき「絶対的」な真実であるために、それをひっくり返された時に感じるのは、いい意味の裏切りか、もしくは最悪のそれです。
 ヒッチのように製作した後に、こういった手法が誤りであると認める、潔い作家がいる一方で、故意に、観客が本能的に持っている、語り部としての作家への信頼を損なわせているにもかかわらず、勝ち誇ったように得意顔をする関係者、映画雑誌があることに怒りを覚えます。
 誰にも結末を言わないでくださいなどというのは最悪の宣伝だと思います。言われた段階から、身構えてしまい全く楽しめなくなります。
 ディートリッヒ、バーグマンは上手く使えてませんね。グレース・ケリーやジョーン・フォンテーンは素晴らしかったのに残念です。

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