『椿三十郎』(1962) 『用心棒』の続編という枠を打ち破って、真のヒーローとなった三十郎。

 黒澤明監督の1962年制作作品です。キャラクターの名前からも明らかな通り、大ヒット作『用心棒』の続編作品です。『用心棒』は、その後イタリアでも『荒野の用心棒』として、黒澤サイドの許可も無く丸ごとコピーされました。そのコピーが世界的な大ヒットとなった、といういわくつきの作品である『用心棒』の続編が、この『椿三十郎』です。

 続編と言っても、『猿の惑星』や『ダイ・ハード』などのような、よくある会社のお金儲けのためだけに作られていく普通のそれではなく、この映画の各要素の中には、『用心棒』を越えていると思われる部分がいくつか探し出すことが出来ます。

 続編という枠には収まりきれない、真の娯楽作品であり、これは一本の映画としても、とても素晴らしい作品なのです。『姿~』と『續 姿~』で続編には懲り懲りと思っていたはずの黒澤監督ですが、黒澤プロ設立などで自社スタッフを食べさせていく必要性のためか、この作品を渋々ながら引き受けています。

 作品としての美しさと重厚さ、そして撮影の美しさならば『用心棒』ですが、活劇としての面白さでは『椿~』に軍配を上げます。続編作品というものは、作家としては制作上の新鮮さに欠けるテーマであり、まっさらの気持ちで仕事に臨む事は難しかったはずですが、それにもかかわらず、出来上がった作品はかなりの高レベルの完成度を誇っています。

 続編物を外枠のみ同じで、中身を変える事で新たなものに作り変え、新鮮な魅力をより強調しました。改めて黒澤監督は偉大な映画作家であることを実感させてくれます。ほとんどの続編物が無意味なものに終わり、記憶にも残らないものが多い中において、この作品は奇跡に近い輝きを持ち続けています。

 主家のお家騒動に絡み、汚職を追及しようとして逆に窮地に陥ってしまった、若い世間知らずな加山雄三を筆頭にする若侍達を、三船敏郎の演ずる三十郎が持ち前の手練手管を用いて助けていくと言う、誰にでもわかるストーリーですが、入江たか子と団令子とのおっとりした掛け合いと、とぼけた捕虜小林桂樹の登場が、ともすれば殺伐な方向に行ってしまう物語の展開と映像表現を上手い具合に包み込んでいく、なんともいえない軽妙なそしてブラック・ユーモアとウィットに溢れる作品に仕上げました。この三人がいなければ、また前作のような暗い陰惨な作品になってしまうところでした。

 その意味で今回、新たにこれらのキャラクターたちを作り出したことは、作品に明るくとぼけた感覚を与え、本来の暗さを覆い隠しています。前作でも山田五十鈴や加東大介、そして羅生門綱五郎などを使い、ブラックなウィットに富んだ笑いを生み出していましたが、ここではよりわかり易いユーモアを観客に提供しています。ただやはり続編と言うものはオリジナルと比べてしまうと登場人物が同一であるということでストーリー展開をある程度読めてしまうので新鮮味には欠けてしまいます。

 前回の『用心棒』で、ヤクザ者にぼこぼこに殴られる三十郎は新鮮でしたが、『椿~』で二回ぐるぐる巻きにされてしまうのは、なにか二番煎じの感が否めませんでした。

 ヒーローとして登場してくる三船は、この『椿~』と『用心棒』では、まさに西部劇での一匹狼のガンマンと同じ役どころです。『荒野の用心棒』ではからずも証明されたように、この作品は、いってみればチョンマゲ西部劇なのです。われらがヒーロー三十郎は人間としての欠点と弱さを随所に見せながら、決めるところではきちんと決めてくれます。

 彼のこの作品での最初の登場シーンは最高に笑えるコメディであり、神社の奥の間から、まるで神が降臨したかのような御開帳と共に現れて来ます。かなり汚く、むさくるしい神様ではありますが。しかも侍達を助けた後にお金をねだったりする、とても人間臭く、我々が感情移入のしやすい、放ってはおけない身近なスーパーヒーローとして、監督は三十郎を作り上げました。そして、その期待に十二分にこたえているのが三船なのです。前作よりも、より一層ユーモラスでチャーミングな三十郎像を作り上げています。

 黒澤・三船コンビが一緒に進んでいく間は、全ての作品が良いほうに向かっていきますが、彼の登場は三船プロの立ち上げもあり、残念ながら次回作の『赤ひげ』で最後になってしまいます。彼の黒澤作品での演技は、別れの時期が近づいてきている前の最後の輝きを放っています。お互いがプロなので妥協は一切ありませんが、いかんせん長い間ずっと一緒にやってきているために、仕事をしていく上で、お互いに新鮮さに欠けてきたのかもしれません。

 後年になり、黒澤監督が素人(油井昌由樹)や無名の俳優(頭師佳孝)を好んで使い続けたのは、「売れっ子」俳優のスケジュール問題だけでなく、新鮮さの維持と有名俳優と呼ばれる人たちに染み付いてしまっている芝居臭を監督が嫌っていたからだったのでしょう。

 前回に続き、黒澤作品に登場してきた仲代達矢はこの作品で、とうとう三船に並び、次回作の『天国と地獄』では後半の主役として活躍します。ここでの仲代の演技の肝は、いかに人を斬らずに凄みを出すかという事です。どんどん斬りまくる三船は斬る事により凄みを演出し、反対に仲代演ずる室戸半兵衛は人を斬らないことで人物の重みと剣客としての凄みを演出されています。

 つまり難しいのは、眼力と風格で人を威圧しなければならない仲代の方であり、この役を演じきった彼こそが、この作品の俳優陣の中でもっとも貢献度が高いと言えます。後年の黒澤作品での主役も『用心棒』から『天国と地獄』への流れを踏まえたうえで、彼の演技を見ての抜擢でしょう。もっとも印象に残った俳優こそが主役と呼ぶに相応しい。その意味において仲代が『椿三十郎』のまぎれもない主役です。

 前作で見られた陰惨さは影を潜めていますが、実際には三十郎の殺し方は止めを刺すための二回斬りが徹底されていて、斬殺音もはっきりと意識的に収録されています。なぜ陰惨さを感じないのかが不思議ですが、それは入江や小林を上手く使って中和していることと、光と影を見事に使った撮影のおかげです。

 実際問題、前作よりも三十郎が殺す人数はこちらの方が圧倒的に多く、人斬りの描写もこちらの方がより残酷に見えます。違いといえば『用心棒』の時のような人体切断の場面が存在しないことくらいです。ただ余談ですが、それだけ『用心棒』での斬殺と残酷映像がとてつもなく鮮烈であり、その鮮烈さに我々が慣れてしまったために、感受性が衰えて不感症になってしまったからではないかというのが、この作品であまり残酷さを感じない理由かもしれません。

 この作品の演出面で、特に素晴らしいのは斬りまくる三十郎ではなく、人を殺さず、ほとんど刀を抜かない室戸半兵衛であり、抜かないことで剣客としての凄みをより高く保っています。見終わった後の印象では彼のほうがより深く記憶に残っています。室戸が斬りまくる映像があれば、凄腕が二人とも暴れまわっているだけのただの「チャンバラ映画」もしくは東宝のもう一方の人気シリーズの『ゴジラ』の怪獣並みに成り下がってしまいますが、彼が刀を抜かないことが、彼の人間としての矜持を保ち、最後の決闘シーンでの「居合い抜き」に活きてきます。

 そして日本映画史上に残る決闘シーンとなった街道沿いの場面になります。ここでの血しぶきの映像のもたらしたインパクトは凄まじく、前回同様すぐにヤクザ映画で頻繁に使われていきます。しかしここで注目すべきなのは血しぶきではなく、にらみ合いの三十秒間なのです。このサイレント映画のような静寂のもたらす緊迫感こそがもっとも重要な演出なのです。

 演出面で、その他に思いつくのは、監督の作品の全てのシーンの構図と光と影のコントラストには意味があることです。馬小屋のシーンでの、積み上げられた馬草によって斜めに切られているような構図の映像での母娘に当たる光と三十郎によって作られる影とが、彼らのそれまでの人生を象徴しているようで、とても興味深いものでした。

 映画には映像ともうひとつ、音があります。この作品での音の使い方は凡人ではまねできない卓越した感性をうかがわせます。颯爽と響き渡る『三十郎のテーマ』からは、想像できないくらいの残酷な映像が次々に展開されていきますが、「椿御殿」での椿に被さる曲などはとてもユーモラスで、女性陣や若侍達の間が抜けた台詞と共に音楽というものが、この作品の映像の残虐性を中和していきます。

 そして最後のシーンでの二人の剣客の三十秒以上にわたる沈黙こそが、この作品での「音」の使い方で最も重要なものでした。監督はトーキーの中でも効果的にサイレントの良さをも我々に提示してくれます。

 環境面では、前回はほとんど宿場町の一角のみで一本の作品が撮られていましたが、今回は神社・侍屋敷・大目付の別宅・椿御殿・街道筋などいろいろな場所が用いられているために、開放的かつ発散されていく環境が作り上げられています。

 ドラマの重厚性と映像としての完成度ならば、『用心棒』が圧倒していますが、劇場で観た時の面白さ、つまりエンターテインメント性と作品としての開放感ならば「椿」です。どちらも優れた作品であり、甲乙つけにくい2本です。

 最初に見た時、所詮は『用心棒』の二番煎じに過ぎないものであると侮っていましたが、何度も見返すうちに監督がどうせ続編を作るのならば、最高のものを創って見せようという意気込みがはっきりと伝わってくる素晴らしい作品でした。主演俳優を含め、続編は新鮮味に欠けているのは仕方ないことです。ただしそれを補って余りある仲代の存在感の素晴らしさが、この作品を価値のあるものに高めています。

総合評価 94点
椿三十郎
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この記事へのコメント

丑四五郎
2006年08月22日 08:02
はじめまして。
嘘が上手な『椿三十郎』、的確な情報分析、ユニークな企画提案、その実行力こそ、現代のリーダーが学ぶべき理想の上司術。という視点で『椿三十郎』ストーリー分析をやってみました。http://tokyowebtv.com是非ご覧になって下さい
2006年08月22日 20:09
 丑四五郎さん、はじめまして。TB及びコメントを有り難うございました。
 ビジネス的な視点で、三十郎を捉えていくというのはユニークですね。のちほど見にいかせていただきます。ではまた。
丑四五郎
2006年08月23日 01:46
早速コメントいただき恐縮です。
他にも、菊千代が生きていたら、彼が椿三十郎になったに違いない、とか、菊千代は実は百姓に拾われた、侍の捨て子だったのでは?とか(これは羅生門の捨て子のエピソードに引っ掛けた解釈です)深読みしながらDVDを何度も楽しむ方法を提案中です。観賞もまた創造活動なり、なのです。
今後ともよろしくお願いいたします。
2006年08月23日 21:23
 丑四五郎さん、こんばんは。昔、他の黒澤板の掲示板に書き込んだネタなのですが、再度ここにも書いておきます。軽いお遊びです。
 夫殺しの共犯として捕らえられ、刑場の露と消えた真砂(京マチコ)はもののけと化し、若狭を名乗り、かつての夫に良く似た源次郎(森雅之)をたぶらかす。もう一歩で上手くいきそうだったが、結局、源次郎にも逃げられる。

 会社(大映)は一緒、主演と共演は同じ、カメラマンも同じ(宮川一夫)、音楽も同じ(早坂文雄)、製作も同じ(永田雅一)で、伊太利亜でえらく褒められたのも同じ。

 実は『雨月物語』は『羅生門』の続編だったのか?そんなわけないか。

 以上軽ネタでした。
丑四五郎
2006年09月22日 23:28
『羅生門』がグランプリを取ったので、永田社長は同賞狙いで『雨月物語』を作らせませたから、それは鋭いご指摘と感心しました。
また溝口さんを黒澤監督は尊敬されておりました。そして、『七人の侍』(海外用短縮版)は『山椒大夫』とベネチアで銀獅子賞をアベック受賞しています。
『雨月物語』も実に深い作品で大好きですが、『山椒大夫』は更に更に大好きです。
2006年09月23日 00:31
 丑四五郎さん、こんばんは。大映と黒澤監督は結構かかわりが深く、松竹や東映(『トラ・トラ・トラ!』)よりも相性が良かったみたいですね。
 永田社長のいい加減さは自伝『蝦蟇の油』でも指摘されていましたが、溝口監督とはかなり深い信頼関係があったようです。
 50年代の黒澤監督、溝口監督ともに黄金時代でしたね。それ以来日本映画に黄金時代が来てないのも気にかかります。
 ではまた。
2006年10月23日 00:22
最後の決闘シーン、弧刀影裡流からヒントをえてるんですよね。室戸半兵衛より早く刀を抜く為に、左にさした刀を左の逆手で抜いて、右手を添えて押し出す。
このあたりのこだわりもすごいですね。
2006年10月24日 00:40
 イエローストーンさん、こんばんは。
 黒澤本のひとつにムックの『黒澤明 夢の足跡』というのがあり、三十郎についてのページの中に三船敏郎による『逆抜き不意討ち斬り』の連続写真が掲載されています。
 黒澤監督にとって、プライドとは物事にこだわり続けることなのでしょう。最高の画が彼の頭にあり、それを実現するために最大限の努力をする。アイデアがいっぱい詰まっていて、しかもそれを現実にしていく。
 そこそこの出来で手を打つのは妥協であり、彼には敗北を意味します。良い写真を撮るためには会社とも役者とも天気とも戦う。
 映画バカ一代を地でいった最後の映画人だったのかもしれません。活動屋と言ったほうが監督は喜ぶかもしれません。ではまた。
2008年01月02日 18:45
リメイクで話題になったのに乗じて再鑑賞。TB致しました。

「用心棒」のスケール感のほうが僕は好きでしたね。ロングショットの魅力と言いますか。当然第1作としての有利さもあります。

しかし、ご指摘のあの二組はコメディリリーフという以上の効果があってお気に入りです。勿論本文で指摘しておきました。

しかし、三船敏郎の最後の居合いの速さは凄い。DVDでチェックしたら抜いてから斬り始めに1~2コマくらい、5コマで殆ど終っていました。換算すると0.2秒で相手は御駄仏なのでした。リアル・スピードだと見えませんよね。
2008年01月03日 00:53
 オカピーさん、こんばんは!
>最後の居合いの速さは
 結局あの最後の果し合いでの速さの差がそのままオリジナルとリメイクの差として、はっきりと出てしまいましたね。
 小細工する必要のなかったオリジナルと新たな殺陣を考えざるを得なかったリメイクの差でしょうか。ではまた!
トム(Tom5k)
2008年12月30日 16:16
用心棒さん、今年もお世話になりました。
用心棒さんは、その後の調子は如何ですか?
わたしも忙しくなかなかブログの充実に至りませんが、地道に映画及びアラン・ドロンのファンとして、力をつけていきたいと思っているところです。

『椿三十郎』は、TVでリメイク放映があったものですから、オカピーさんのところにもコメントしてきました。
観客の底上げが、良い映画を生み出すことは間違いないわけですが、オカピーさんは、いつものとおり悲観的なようです。
そもそも映画は発明された当初から、それをどう使い、どう発展させていったらいいのか見当がつかなかったとも言われています。そして、だからこそ、そこに映画の可能性が無限にあったのだと思います。

しかし・・・
この作品の「新椿」のラストの決闘シーンのは、がっかりすることがはっきりしていたので、観なければ良かったとまで思いましたよ。
トム(Tom5k)
2008年12月30日 16:17
>続き
啓蒙のための映画も必要なのでしょうけれど、やはりそこにも何か新しく素晴らしい映像の可能性が模索されているべきだと感じます。

過去にブレッソンが、リメイクにおいては、新しい「ジャンヌ・ダルク」を生み出したように、続編においては、黒澤明がこの「椿三十郎」、コッポラが「ゴッドファーザー・パート2」を生み出したように、過去の良作を発展的に批判する姿勢が最も必要であるように思うわけです。

北海道では、本日深夜に「アラン・ドロンのゾロ」が放映されますっ!
ドロン・ファンだから思うのかもしれませんが、この「ゾロ」は発展的ですよ。

では、良いお年をっ!
2008年12月30日 22:25
 トムさん、こんばんは。
 こちらこそ今年もありがとうございました。日々の雑事に追われてしまい、なかなか更新が思うようにはいかない年でした。
 何やかや言いながらも新作を20本くらいは劇場で観ましたので、一般の人からすれば、映画ファンとして必要十分を満たしているのでしょうが、旧作の鑑賞がさっぱりだったので自分の映画人生のなかでも屈指の「観ていない」一年となってしまいました。

 来年はせめて二週間に一回は更新していければよいのかなあ、などと考えております。

 来年もよろしくお願いいたします!!!

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