『酔いどれ天使』(1948) 黒澤明と三船敏郎。ついに2人が巡り合った記念すべき作品。ネタバレあり。

 黒澤明監督がようやく彼の「主演」俳優に巡り会うことのできた記念碑的な作品です。この作品の主役はあくまでも志村喬ですが、実質の主役は間違いなく三船敏郎です。彼の圧倒的な存在感を得て、ようやく黒澤作品の完成形を見ることになります。

 ヤクザ同士での銃撃戦の後に、怪我の治療のために場末の診療所に駆け込んできた松永(三船敏郎)、そして彼を治療することになる真田(志村喬)が紆余曲折を経ながらも、信頼関係を築いていくものの、最後は悲劇的な結末を迎えるというストーリー。黒澤監督は真の「主演」を得るのに七作品を費やしました。

 志村喬と三船敏郎という素晴らしい二人の魅力をどう出していけば、この作品の力が更に増していくのだろうか。監督は贅沢な悩みを抱えていたのではないでしょうか。それを最も引き出す根本となるのが脚本だということです。これほどの二人をきちんと描けなければ映画監督、足りえません。勿論、黒澤監督はわれわれに時代を超えた最高の作品を残してくれました。

 では何が、この作品を後世に残る名作に成らしめたのだろうか。一般人から見るとなじみが無く、距離を置いて見ることのほうが多い、医者とヤクザという職業、そして両極端な生き方をする二人の生き様から観客である我々が受け取ったものは何だったのだろうか。人間は他人に対して共感できるところが多くあればあるほど親密になるか、反対に人一倍憎みあうかどちらかの関係になります。

 両者ともに半端者である。お互いの世界には刑務所帰りの「エリート」である岡田(山本礼三郎)と病院を経営する高濱(進藤)がいる。そのために真田と松永はトップではありません。一般人として生きている我々は、岡田や高濱よりも、中途半端な松永と真田の生き方に親近感を抱きます。彼ら二人は我々と同じように矛盾を持つ弱い人間だからです。結核を少しでも失くしたいと言いながらも酒浸りの生活を送る、医者としての弱さを持つ真田。仁義の世界で無茶な抗争を続けながらも病気を恐れる松永。彼らの表面上の強がりと本音の部分での弱さが見え隠れするのがこの作品の魅力でもあります。

 他人に言えない自己矛盾と挫折感、そしてそれでも生きていくしかないふたり。真田は世の中に対して怒りをもちながらも、年相応に諦めてもいるため、不器用ながらも順応して生きていきます。彼は命を助ける医者なのです。しかし結核持ちで余命いくばくもないヤクザである松永には、死への恐怖があっても、極道から足を洗って生き長らえていくという発想がもとよりありません。彼には気力も体力も残っていません。そして彼は命のやり取りを仕事にするヤクザなのです。監督が松永を破滅的に描けば描くほどに、よりいっそう魅力的なキャラクターとして彼は観客の支持を受けます。  

 黒澤監督はヤクザを美化するつもりは無いと、当時から発言されてきたようです。しかしヤクザという生きかたの愚劣さ、破滅的な人生観、見た目とは裏腹の繊細さなどを、きちんと受け止めて、正面から取り組んだことが、結果として監督の本来持つヒューマニストとしての視点を生かし、この作品がより深い魅力を持つようになったのではないでしょうか。優しさと荒々しさが一本の作品に同居しています。

 いったい何という力強さと魅力なのでしょう。これが三船敏郎を黒澤作品ではじめて見た時の印象です。当時デビューしてからまだ数年しか経っていない三船ですが、この作品において完全に全ての俳優を支配しています。画面全体に力が溢れています。無害なスター俳優には無い人生の「影」を存分に撒き散らしています。彼の前ではさすがのベテラン俳優、志村喬も圧倒されている様子で、いつもの彼ではないような、演技の「上滑り感」が出ています。この作品での彼にはいつもの冷静さがありません。これは三船敏郎の影響です。
 
 またこの作品では四人の女性が描かれていて、どの女性も活きています。もっとも目立つ奈々江役の木暮実千代がとても上手く、背徳の女を演じていて官能的です。このようないかがわしさを感じさせる女優さんは他に無く、色気と毒気を振り撒いています。実際の小暮はとても上品な奥様で、タバコの煙でむせ返ってしまうような女性だったそうです。

 彼女のほかに出てくる千石規子(出演1作目)、久我美子(出演1作目)、そして中北千枝子(出演3作目)もそれぞれの役柄をとても魅力的に演じていてこの作品に溶け込んでいます。女性を描けないと評判の黒澤監督ですが、この作品では「描けない」のではなく、十分に魅力的ですし、男の世界を描いた作品の中において彼女達が「目立たない」だけなのです。個人的には見た目では小暮実千代でしょうが、「女」としては千石規子が一番素敵でした。

 演出も素晴らしい。まずオープニングから出てくるあの気味の悪いメタンガスの「泡」、そのドブ沼で無邪気に遊ぶ子供達の映像、それらを苦々しく見つめる志村喬の表情。台詞なしでも、既に彼が世の中に対して怒っているのがわかります。しかし何をすることも出来ない無力さもまた同時に表現されているようです。

 しかし今回の監督の主な仕事は、如何に三船を魅力的に映し出すか、それに尽きます。モノクロ・フィルムを味わい尽すような、彼の感情全てを画面に引き出していく「白」、「黒」、そして「灰色」の美しさとコントラストはモノクロの美しさの頂点に達しています。特に「白」の使い方が素晴らしく、ラスト・シーンでの山本との殺し合いで、大きな役割を持つ白ペンキがこれまでのすべてを白紙に戻すように白で染め上げていき、画面のモノクロの特性によって白く消されていく、三船と山本の2人の運命、哀しい美しさと可笑しさを出しています。

 死ぬ直前の三船が扉を開けて、外の世界(死後の世界)に出て行くシーンの美しさは映像美として完璧でした。開けた瞬間に太陽光が彼を包み込むシーンはとりわけ天国からのお迎えのようであり、はためくシャツなどの洗濯物が天使の舞に見えてきました。

 どうしても美しいシーンというと自然の風景になりがちですが、撮り方ひとつでこんなに汚いぼろアパートでも、このように美しいシーンとして生まれ変わることも可能なのだと思い知らされました。自然の中での美しさならば三船の「夢」のシーンでの波打ち際での棺桶とそこから出てくるもう一人の自分との追いかけっこという不気味な設定が秀逸でした。迫り来る死への恐怖がスローモーションを使うことでよりいっそうの現実味を伴います。

 その他に印象に残るのは、戦後の焼け跡から徐々に立ち上がってきていることが見て取れる「南新町」のマーケットの賑やかさでした。東宝が作ったセットだということは知ってはいるのですが本物の街のような活気が充満しています。これがおそらく、監督の求める映画的なリアリズムなのでしょう。本物をただ撮ったからといって、リアリズム作品にはなりません。

 余談になりますが、同じ時代を撮っているのに、深作監督の『仁義なき戦い』とはまた違う美しさはいったいどこから来るのだろう。どちらもとても面白く、撮り方にこだわりのある作品ですが見せたいものが全く違うように見えます。美しく描いた黒澤監督、剥き出しの迫力を切り取った深作監督。

 当時はまだわが国は「国」ではなく被占領地に過ぎませんでした。そのために幸か不幸かアメリカ音楽が著作権などの権利を気にすることなく好きなように使えたそうで、魅力的な当時の流行曲がふんだんに使われています。マーケットのシーンでの、三船の絶望感とのギャップが大きな効果を生む対位法を用いた『郭公ワルツ』は他の監督には真似が出来ません。ギターで奏でられる山本のテーマでもある『人殺しの歌』、また監督自身が作詞した『ジャングル・ブギ』を大スターだった笠置シヅコに歌わせるなどアイデアに満ちています。そしてもうひとつ印象に残る音は三船がマーケットで絶望するシーンでの「風」、そして千石さんの絶望するシーンでの「風」です。「風」は両者から生きていく希望を奪っていきます。黒澤監督作品名物である激しい雨は今回も出てきました。

 セットも素晴らしい。この街並みのセット自身が生命を持っているように感じました。何人もの命を奪っていくマーケットの利権。見た目は活発ですが、中身はどろどろしているのが作品を通して明らかになっていきます。もう一つ目を引いたのが三船さんや山本さんのダンディーな衣装です。当時ならば、まだぼろぼろの旧軍服やすれた着物などを着ているのが当たり前の情勢下で、しかも夏なのに(志村さんがアイスキャンデーをほおばるシーンがあるのでそう推測しました)ヤクザのいい顔の人はスーツを着ているではありませんか。あの時代にあの格好をしていれば、ヤクザにあこがれる人が出てきても不思議ではありません。皮相的な面でもヤクザ礼賛ととられても仕方の無いことだったのかもしれません。

 時代劇の印象が、あまりにも大きな黒澤監督ですが、この時期には六本連続で現代劇を撮られていて、この作品はその流れの中の四本目の作品になります。この作品はそれら六本の中で一番完成度の高い作品です。脚本、演技、演出、音響、環境などの重要な部門においてほぼ完璧に近い作品を創り上げています。いろいろな複合要因が重なり合い、しかも全てがよい方向に向かって動いていったために、重層的に素晴らしい映画となっています。その良い流れを象徴するのが三船敏郎であり、彼の到来が黒澤映画を、より高い次元に引き上げていき、黒澤作品にとって不可欠で重要な要素となっていくのは自然の流れだったといえます。ただこの作品に関する限り、志村喬があまりいいとは思えませんでした。

総合評価 97点
酔いどれ天使
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この記事へのコメント

2005年12月24日 00:46
こんばんは。
時代劇の黒澤も良いですが、現代劇はもっと良いかもしれませんねえ。特に「野良犬」と「酔いどれ天使」の戦後ムードは抜群。用心棒さんの仰るように、映画のリアリズムが横溢しているのですね。そう、本物を撮ったからと言って映画のリアリズムにはなりません。
この時代の黒澤犯罪映画には、30年代のフランス製フィルム・ノワールの香りがします。影響なのか、生まれてついての資質なのか。
2005年12月26日 00:55
 こんばんは。黒澤監督を好きな理由のひとつが、実は数多いモノクロ作品の色彩感覚なんです。『乱』や『夢』などカラー作品にも優れた作品があるにはあるのですが、個人的には黒澤映画とはモノクロの素晴らしさでもあります。
 
 モノクロというと白黒だと思っている方も多いのかもしれません。しかし実際には、白から黒までの膨大な灰色の範囲の中から、最も相応しい色と光を選ぶセンスを持っていてこそ、初めてカラーも扱えるようになるのではないかと思います。
 
 ではまた。
ルーシー
2006年06月07日 11:32
 はじめまして、私も三船敏郎さんに興味を持つひとりです。
 あれほど国際的にも有名な俳優さんは日本でも数少ないですね。
そんな三船さんは、大スターであっても機材運びを手伝ったり、気さくな方だったようです。
 私も三船さんの記事をブログで書いてみました、よかったら遊びにいらして下さいね~、ではまた!

http://lucy-diary.cocolog-nifty.com
2006年06月07日 21:45
 ルーシーさん、はじめまして。そしてコメントをありがとうございます。
 三船さんは大好きな俳優さんの一人で、これからはあれほどにインパクトのある俳優さんで、しかも国際的に人気の出る方は日本から現れないのではないかと思っています。
 そちらにも伺わせて頂きますね。

 ではまた。
マーク・レスター
2008年07月31日 08:05
用心棒さん 初めまして。
レビューを興味深く拝見致しました。
木暮実千代さんの存在感は凄かったですね。
そして何よりも千石規子さんボクは好きでした。
トラックバックをさせて頂きますので、今後ともよろしくお願い致します。
2008年08月01日 02:39
 マーク・レスターさん、こんばんは!そして、はじめまして。
 昔の女優さんたちの存在感というか凄みというのは今の人たちでは出せないでしょうね。
 小暮実千代さんって、退廃的な雰囲気を持っている人ですが、実生活では煙草の煙でむせ返るような煙草嫌いで、質素な生活を営む主婦だったそうですよ。
 私見ですが、この映画の女優さんの中では千石さんがもっとも輝いていた印象があります。
 ではまた!
トム(Tom5k)
2009年12月06日 15:36
用心棒さん、こんにちは。
これは、本当に三船敏郎の実質出世作品でしょうね。実に魅力的です。黒澤監督は、若い男性の未熟な部分をうまく(それも多側面から)描いていたように思います。
「七人の侍」の木村功、「椿三十浪」「赤ひげ」の加山雄三、「野良犬」の三船敏郎などなど。
この作品の三船敏郎は、まさにその典型でしょうね。
>千石規子、久我美子、中北千枝子
本当に黒澤一家の女優オールスターキャストかもしれませんね。
わたしは、久我美子さんが最も気に入っている女優さんです。
木暮実千代さんは、溝口一家という印象ですが、黒澤脚本作品にも出ていますよね。
悪女や聖女の両極端のみならず、俗世的な女性の正負両側面の描き方も実にうまい・・・そういう意味では、「静かなる決闘」の千石規子さんなどは、絶賛すべきではないでしょうか?
映画的なのか否かという観点でいえば、それはシナリオによる人物設定よりも、俳優の演技によるものだと思いますが、それも演出の力なのでしょうね。
では、また。
2009年12月06日 23:55
 こんばんは!
 たしかにこの映画こそが三船敏郎が映画界で出世していくきっかけとなった重要な作品ですね。

 どうしても時代劇のインパクトがあまりにも強いために影の薄い印象を残している現代劇ですが、じつは黒澤作品の総数からすると、現代劇の方が多いわけで、世間一般のイメージと実情は違うのだという見本かもしれません。

 俳優たちが活き活きしているのが見ていても分かります。戦争が終わったという実感が徐々に芽生えてきて、空襲など生命の危険が去っていく過程にある時期の作品ですので、人間の生命力の強さを感じさせてくれます。

 ではまた!

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