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zoom RSS 『乱』(1985)シェイクスピア四大悲劇のひとつ『リア王』を翻案した黒澤明、最後の時代劇。豪華絢爛!

<<   作成日時 : 2012/04/22 01:21   >>

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 黒澤明監督の最後のモノクロ作品となった『赤ひげ』は武骨な立ち回りなどのいわゆる一般の方が黒澤映画に持つであろう男祭りの派手さはないものの、風景や人物の描写や構図でモノクロ映画の美しさの極致を堪能させてくれました。

 『赤ひげ』完成後に黒澤明監督は多くの作品で栄光の日々をともに過ごした三船敏郎ともコンビを解消し、戦前のP・C・L以来の東宝をも離れてしまいます。

 その後は『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ!』でハリウッドの映画製作システムや東映の慣れないスタッフに戸惑い、資金面や精神面でも多くのトラブルに直面します。

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 こうした数年間の流浪の末に東宝に戻るも、『どですかでん』完成後には自殺未遂事件を起こしてしまう。『デルス・ウザーラ』では極寒のロシアでの撮影などの困難を経験して、さらには品質の悪いロシア製フィルムに戸惑いながら、なんとか『どですかでん』『デルス・ウザーラ』の二本のカラー映画を撮り終える。

 そして、ようやくはじめて、自身初のカラー映画の時代劇を撮るチャンスを得ました。栄光のキャリアがあっただけに余計に不遇の時代は辛かったでしょうが、呻吟の数年を経て、再び光り輝く日を迎えます。それがカンヌ映画祭でグランプリを獲得した『影武者』です。

 海外では評価を受けたものの日本では戦闘シーンが少なすぎるなど批判を浴びました。また勝新太郎の降板騒ぎなどもあり、厳しい映画監督としての黒澤明のイメージが当時小学生だったぼくらにも伝わってきました。

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 トラブルはあったものの、これを撮り終えると黒澤明監督は次作映画『乱』の構想と準備に取り掛かります。このころ自宅で描いていた『乱』の下準備である絵コンテはその後に公表され、彼の頭の中にあったイメージが多く具現化されていたことに驚かされました。

 かつて『蜘蛛巣城』でシェイクスピアの四大悲劇のひとつ『マクベス』の換骨奪胎に挑み、山田五十鈴の名演もあって大成功を納めたからなのか、彼は再びシェイクスピアの四大悲劇のひとつとなる『リア王』を翻案した『乱』に挑むことになります。

 映画を見ているとかつて『蜘蛛巣城』で三船と山田五十鈴が居城の屋敷で並んで座るカットがありましたが、ここでも寺尾聰と原田美枝子が同じような構図(お城だから当たり前かも…)とメイクで座っていたシーンがあり、思わずニヤニヤしてしまいました。

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 楓の方のメイクも能をイメージしたものであるのが明らかでしたし、野村萬斎のこの世の物とは思えない幽玄な姿形を見たときには『續 姿三四郎』を思い出しました。

 他にも『影武者』や『隠し砦の三悪人』を髣髴とさせる映像がところどころに散見できた(勘違いかもしれませんが…。)ので、楽しい気持ちで見ることが出来ました。今となってはまさに黒澤時代劇作品の集大成として位置づけて撮っていたのだろうなあと思いつつ、この作品を再びDVDで見ています。

 シェイクスピアの四大悲劇だけではなく、戦国武将の毛利元就が三人の息子(吉川・小早川・毛利家の嫡男たち)に宛てた三本の矢の故事も作品に盛り込まれていて、しかもこれは団結を説いた話だったのに、戦国時代では恐らく大多数を占めていたであろう分裂と滅亡への動きにベクトルが向いていました。

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  まあ、わざわざ毛利元就が息子たちに団結を説くという故事が後の世にも広がるということはそれだけ多くの戦国武将の家々が内部分裂で崩壊した武将が多かったことの証左でしょう。

 成功話よりも悲劇に仕立てたほうが人間の本性が良く炙り出されるでしょうし、昔から現在に至るも何も変わらない、何も学ばない人類への怒りが込められているのかもしれません。

 しかしながら、『乱』のラッシュ上映時に黒澤監督がクラシックの音源をすでに各場面にイメージとして当てていたために、クリエーターである作曲家の武満徹を激怒させ、軋轢が生じました。それでも武満は意地もあったようで、この映画にぴたりとはまる見事な音楽を付けました。

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 資金面では本国である日本では金策が上手く行かず、フランスからの援助を得たので、お目付け役としてのプロデューサーにセルジュ・シルベルマンを迎えて映画製作しなければなりませんでした。またアカデミー賞にはフランス映画扱いになってしまったためか、ノミネートすらされていません。

 コミュニケーションや文化の違いでかなり苦痛だったかも知れませんが、黒澤映画は1960年代後半以降は外国資本との提携が顕著になっていきます。それでも作品の質向上のためにはしみったれた日本の会社に頼むよりは各国での配給を念頭に置いた海外の資本と交渉するほうが仕事がしやすかったのかもしれません。

 この作品でもお城(富士の裾野に作った城のロケ・セットで製作費用は当時のお金で4億円!)のセットを丸ごと焼き尽くすシーンがあったように、彼が抱くようなスケールが大きなイメージを映画として満足な出来上がりに撮影するには日本映画の予算や尺度では計れなくなってきていたということでしょう。

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カラー映画を撮るようになっても、黒澤明監督の圧倒的な美意識は健在で、製作構想中に画かれた絵コンテやイメージを見れば、納得していただけるでしょう。

 映画の冒頭から終末までが絵巻物のように展開していくさまはまさに集大成と呼ぶに相応しい、彼にとっても悔いの少ない“写真”だったのではないでしょうか。いまこそデジタル修正を施した後に再度、劇場公開して欲しい黒澤映画のひとつです。

 場面構成としてはオープニングの巻狩りや最後の合戦シーンなどは初夏と思えるような陽気を感じますが、三の城攻略シーンなどは寒々しさを感じます。実際、撮影されたのは明るいシーンは九州で撮られたようですが、三の城シーンは冬場の富士の裾野での撮影です。

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 メイキング映像を見ても、三の城でのシーンは暖をとる為の焚き火などが置かれていたり、吐く息が白い映像を見ることが出来ます。根津と仲代が最後の別れをするシーンもここで撮られたようです。根津の役柄は次男坊であり、彼の居城は熊本城でのロケでしたので、彼らの最後の会話だけが富士で撮られたのでしょうか。

 劇場で観ていて、思わず呻いてしまったシーンは三の城の炎上及び落城場面でした。老い衰えた仲代達矢の左右から火の矢が襲い掛かる瞬間はまさに映画的センスが冴え渡る描写です。この一連の落城への流れで素晴らしいのが音の使い方で、ほぼサイレントに近い状態で、モンタージュによって物語が語られていきます。

 この映画は音楽が素晴らしかったのはもちろんなのですが、それ以上に音響が凄まじく、地響きする騎馬武者のギャロップや大地を震わせるような銃撃は映画館で観ていて、とても興奮したのを覚えています。

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 映画的にも工夫が凝らされている点が随所にあります。まずは三国の位置関係はオープニングの余興の場において、道化役ピーターの視線と隆大助が入れる戯れ言により何気なく示される。『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』でもさり気なく位置関係が観客に提示されましたが、この映画でも分かりやすく理解させてくれる。

 山の上に偽兵を置き、一気に本拠へ襲い掛かる敵軍の計略が描かれていたりするのも見ていて興味が増してきます。三の城を攻め立てるときに天守閣を中心として舞台に見立てると、上手から赤い鎧で統一された根津軍の軍勢が寄せてくるのに対して、主君であるはずの黄色い鎧で統一された寺尾軍が下手から乗り込んでくるのに違和感を持ちました。

 これはすでに寺尾が井川比佐志演ずる鉄修理の策略に陥れられていることを暗示しているのだろうか。整然と混ざり合うことなく、別々に二つの軍が城に殺到してくるのは味方ではあるが信用していないという意味なのか、それとも映像化されたときに観客が見やすいようにするための配慮なのでしょうか。

 また登場場面や家督を譲り、一の城を退去するまでは堂々として、背中を凛と伸ばしていた仲代の背筋が困窮するにつれ、丸まっていき、目が落ち窪んでいくさまからは語らずとも心身とも老いてしまって、後悔して焦っているものの、本来であれば頼りたい三男坊に会わす顔がない複雑な状況を物語る。

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 日に日に老衰する自身への恐怖はそれまでの所業への因果応報として、我が身に跳ね返ってくる。秀虎やリア王だけではなく、長い人生を生き抜いてきた多くの観客にも理解できるテーマではないか。

 前半の攻略シーンではほぼサイレントだったのが、最後の合戦シーンでは地響きするような大音響でしたので、メリハリが付いていて良いなあと思いながら、画面を眺めていました。

 『影武者』で戦闘シーンが少なすぎるという批判があったためにこの『乱』ではかなり多くの迫力ある合戦などのモブ・シーンを作品に盛り込みました。三の城攻略場面や最後の合戦シーンなどで騎馬戦や火縄銃編隊の集団射撃などを展開させている場面はさすがの迫力でした。

 最後に独りぼっちで取り残されてしまう盲目(仲代によって眼を潰されている。)の少年(野村萬斎)が大切な笛を落としてしまい、断崖で茫然と立ち尽くす絶望的な様子を引きで捉えた構図や同じく将来を担うべき若き三男(隆大介)が流れ弾に当たって絶命してしまい、部下たちが途方に暮れて歩き続けるシーンもいまだに忘れ得ません。

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 どちらも夕闇が迫る時間帯に撮られましたが、これからの一文字家が辿るであろう暗い将来を暗示させます。また女を描けないと言われ続けた黒澤監督でしたが、この『乱』では原田美枝子という素晴らしい主演女優を手に入れました。

 彼女の存在感があってこそ、男祭りと呼ばれる黒澤監督のスタイルがより引き立ってくる。毒蛇のような眼差しと美貌で周囲を脅しながら、城主の三兄弟たち(寺尾聰、根津甚八、隆大介)を分裂させていく傾国の美女を見事に演じた彼女なくしてはこの映画は成立しません。

 なかでも根津甚八に懐刀でいたぶるように切りつけたあと恫喝し、すぐに彼を篭絡し抱かれた後に、脱いだ帯を巻き直す一連のシーンの出来が素晴らしい。蛇が走るようにシュルシュルと内掛けを引きずりながら歩いてきた原田が根津との情事のあと、帯を直すときもまるで蛇が這い回るように抜け目ない女の描写にゾクゾクします。

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 よほど彼女を気に入ったのか、次回作の『夢』のなかのエピソード『雪女』でも原田を起用しています。ここでも彼女は化け物雪女を演じています。

 『乱』のあらすじは『リア王』を遵守していますので、あらためて書きませんが、展開としては巻狩りと国譲りの御前会議、一の城(姫路城)及び二の城(熊本城)でのいざこざ、三の城攻略と落城、仲代の発狂と放浪、三男坊の仲代救出作戦と親子が落命するまでを描きます。

 権謀術数と自らの老いと迷いが招いた混乱を描いたこの作品は合戦シーンが多い割りには盛り上がりに欠ける。基本的に気分を高揚させるような合戦がなく、滅びに焦点を当てたからかもしれません。

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 上映時間が長いという声もあるようですが、台詞が少なくて最小限度しかないため、そして何よりも美しい衣装や調度品などの豪華さもあり、ぼくは見ていて飽きませんでした。

 最近は物語の頭とお尻がちゃんと繋がっていなかったり、キャラクターを描き分けられずに作品が渋滞を起こしているような映画を見かけます。

 きちんとストーリーを展開させられないのならば、無理にオリジナルを作ろうとせずに古典にアイデアを借りて、オーソドックスな作品をまずは世に送り出すべきなのではないか。

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 映画もジョークと同じで、新しいジョークを考えるのではなく、古いジョークをそれを知らない人に言えば良いのです。流行り物をすぐに無断転用すれば、安易なパクりと呼ばれて蔑まれてしまいますが、古い作品のアイデアを断りを入れた上で引用すれば、それは温故知新であるばかりではなく、オマージュという便利な方便として認識される。

 脚本も書いている黒澤明監督ならば、オリジナルでも勝負出来たでしょうが、あえてシェイクスピアを用いたのはなぜだったのかは解りません。

 それでもシェイクスピアを読んだことのない人にとってはとても新鮮な作品として楽しめたでしょうし、シェイクスピアへの興味が湧き、彼のオリジナルを読みたいと思わせたはずです。

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 実際ぼくも映画館で『乱』を観た後にシェイクスピアに興味を持ち、四大悲劇や『真夏の夜の夢』『ロミオとジュリエット』などの代表的な作品を読みましたので、興味の範囲を広げていく意味でも楽しいきっかけとなった作品でした。

 出演者は仲代達矢、寺尾聰、根津甚八、隆大介、原田美枝子、宮崎美子、植木等、井川比佐志、ピーター、油井昌由樹、加藤武、田崎潤らとなります。これらを見て正直思うのは当時の映画を取り巻く事情、特に俳優の時間拘束が難しくなってしまったために起こった人選、とりわけスター俳優を簡単に映画に招くことが不可能に近くなってしまったことです。

 テレビが活動の主体になった俳優たちはギャラが低く、待ち時間が多くて効率の悪い映画への長期出演が難しくなってきており、本来、黒澤監督が欲しかった人材を確保するのが困難なためにあまり有名ではなかった俳優たちを使わざるを得なかったというのが真相なのではないでしょうか。

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 よって、出演者のリストを見て、いたずらに誰々は下手だとか、存在に華がないなどというのはあまりにも勝手な意見に思えます。撮りたくてもブッキングするための予算がなかったので、このラインナップになったのではないか。

 綺麗な写真を撮りたいというのがまず根本にあり、そこを充実させるために予算を当てていき、残りでやりくりしていく過程において、俳優陣を拘束する予算が削られていったのではないか。あくまでも想像に過ぎません。

 最後に触れなくてはならないのは後期黒澤作品に対する必要以上の評価の低さと狂言回しの役割だったピーターが演じた狂阿彌の違和感でしょうか。おそらく劇場で観た、多くの観客が感じたように、彼の役どころはどうもうわずっていて、見苦しいと思います。

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 彼のポジションを適切な役者を当てはめられていれば、もっと深みが増し、評価が一段と高まっていたのではないか。浮き上がってしまっている彼は確かに見苦しいと感じる場面、もっと違う感情を込めた方が良いのではという場面もちらほらありました。

 それでも黒澤映画、最後の時代劇となったこの作品は黒澤監督のイメージを具体化できた映画だったのではないでしょうか。公開から30年近く経っても、映画ファンがあれやこれや意見を言っている状況をみても、映画監督としての喜びなのではないか。

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 物語は古典に則っているので、物珍しい仕掛けを期待している者には物足りなく映るかもしれません。ただ分かっていて欲しいのは映画は活動写真であり、画そのものがパワーに欠ける映画は本質的な意味では映画ではない。

 ストーリーばかりを追わずに写真を楽しむ懐の深さを身に付けていったほうが、多くの種類の映画を楽しめるようになるのではないでしょうか。

総合評価 80点


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
用心棒さん、こんばんは。
随分とむかしに観た記憶でしかないのですが、実はこの作品、わたしは用心棒さん(というか多くの「乱」の鑑賞者)と全くバッティングしてしまうのです。というのも、わたしには狂阿弥を演じたピーターが強烈だったのです。
特に、最後の「神も仏もあるものか」の彼の絶叫は、わたしの心には強く響きました。
すぐに「神も仏も悲しんでいるのだ」というセリフもあり、何と現代的なシェークスピアなのか、と思ったのです。
末の方を演じた宮崎美子は不憫でした。本当に善も悪もなくなってしまう戦さの虚しさを感じましたよ。
盲目となった弟が城跡に佇んでいる様子は、戦乱の時代の日本が外国人にも理解できるようなショットだったと思います。
検校や按摩・鍼灸・琵琶法師など、日本人には視覚障がいが多かったことも映画の題材になるところで、黒澤明は、それを分かり易く描写していたように感じました。
このラスト・ショットだけでも黒澤の国外での評価は高いものになるのではないかと思いました。

では、また。
P.S.今日はゴダールの「ウィークエンド」をレンタルしてきました。
トム(Tom5k)
2012/09/16 02:08
 こんばんは!

>狂阿弥
好き嫌いはあるでしょうが、存在感は出していましたね。力み過ぎにも思えましたが、黒澤映画に出るのですから気楽になんて言えないでしょうね(笑)

>宮崎
原田美枝子が強烈過ぎたので、とても地味に見えましたが、彼女との対比を出す意味でも宮崎のキャスティングは不可欠でした。

>視覚
そうですね。座頭市や不知火検校は勝新の地位を固めましたし、平家物語を語る琵琶法師も『七人の侍』に出てきます。

 野村萬斎が絶壁で呆然と立ち尽くすシーンは映像イメージとしては強烈でした。

>「ウィークエンド」

オモチャ箱みたいな映画ですね!『勝手にしやがれ』や『気狂ピエロ』ほどにはあまり語られていませんが、映画の出来はゴダール屈指の作品だと思います。お楽しみください。

ではまた!
用心棒
2012/09/18 00:50

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