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help リーダーに追加 RSS 『アルジェの戦い』(1965)帝国主義はそもそも英仏の専売特許であった。大戦17年後の報い。

<<   作成日時 : 2008/07/03 09:33   >>

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  『アルジェの戦い』はアフリカ大陸に位置するアラブ諸国のひとつであるアルジェリアが、宗主国である侵略者フランスから多くの犠牲者の血の代償を払いながら、念願の独立を勝ち取った過程をセミ・ドキュメンタリー・タッチで描いた60年代映画の傑作である。

 監督であるイタリア人、ジッロ・ポンテコルヴォは素人俳優を多数起用したことによって、ロッセリーニのネオリアリズムを継承するような生々しい、そして殺伐とした雰囲気をフィルムに定着させた。ロッセリーニ監督の『無防備都市』以来の衝撃度でした。60年代では廃れていたと思われていたであろうネオレアリズモの遺伝子は彼によって、しっかりと引き継がれていました。撮影を務めたマルチェロ・ガッティも多大な貢献をしました。

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 革命のリアルな内幕を描くドラマ部分の演出に加え、挿入されるドキュメンタリー・タッチのフランス軍とFLNとの軍事衝突するモブ・シーンがフィクションとは思えないほど強烈な真実味と迫力を与えている。イタリア映画の音楽といえば、この人しかいないというエンニオ・モリコーネもさすがの貫禄を見せつける。

 第二次大戦で、ナチス・ドイツにより抑圧されていたフランスがようやく解放されて、本来の国力としたたかさを取り戻すと、途端に帝国主義の産物である植民地経営とその権益防衛に心血を注いだのはなんとも皮肉である。

 『パリは燃えているか』ではフランスを支持したであろう人々も、この『アルジェの戦い』では敵に回っている。制作したのがイタリア人だったのも痛快だ。まるで「お前らのやってることも同じだろ!!」と言っているようだ。守る側より、攻める側に勢いや躍動感、そして観る側のシンパシーが生まれるのは当然である。

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 ポンテコルヴォ自身もかつてはファシストに対するレジスタンスに参加していたこともあり、ファシズムはもちろん、民主主義や共産主義にいたるまで、思想への懐疑と幻滅があったように思える。そのため彼はフランス軍の残虐性のみならず、アルジェリア民族戦線自体の粛清、女性や子供を使った許されるべきではない無差別報復テロ、民間人への銃撃シーンなどもきちんと隠すこともなく撮影している。

 作品としては素晴らしい出来映えとなっている、この映画はフランス人たちにヴェネチア映画祭では拒否された、いわくつきのフィルムでもあった。第二次大戦時に、ナチの抑圧からの自由を叫びながらも、いざ自分たちが解放された後になると、かつての自分たちと同じ立場にある人々に対して、圧力を掛け、自分たちの既得権益を守ろうとするフランスのさまは醜く、どれだけ正当化しようとも、そうした欺瞞は許されるべきではない。

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 自由というオブラートに包まれた帝国主義は勝ち続ける限りは正義である。民主主義というオブラートに包まれた帝国主義も勝ち続ける限りは正義である。第二次大戦に勝利した連合軍側も、「悪」と呼んだ枢軸国側となんら変わりがなかったことが60年代に証明されたにすぎない。

 思想は民衆のためにあるものであり、政治の道具にしてはならない。宗教にしろ、思想にしろ、本来は民衆が生きるための指針として用いられるべきであって、権益を主張するためや権力を得るために使用して欲しくはない。キリストもマルクスも民衆のために説いたのであって、政治家のためではない。宗教戦争も根を辿れば、しょせん権益の争いに過ぎないのではないか。それを宗教という美名の下に行うのである。利用する者が悪であり、宗教が悪いのではない。

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 ナチス・ドイツとの違いは何だろうか。それは勝ったか、敗れたかのみである。決して正義か悪か否かではない。幸い民主主義陣営のシステムの方がファシズム陣営や共産党主義陣営よりも、緩やかな支配をしたために機能していただけである。

 このアルジェリア独立戦争にしても、もしも現地のアルジェリア人がフランスに敗れていたならば、単なる暴徒を鎮圧したという事件がフランス側の歴史記述で短く伝えられていただけなのかもしれない。『パリは燃えているか』ではドイツもフランスも、同じヨーロッパ人であるという共通理解が根底にありました。

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 しかしこれは文化も宗教も違うアフリカ人との戦いなのである。ここではフランスの論理など通用しない。日本やドイツで、四十年代に破綻した帝国主義がまだ機能していたフランスやイギリスは約20年遅れで、そのシステムの限界を味わったにすぎない。何の反省もしていないのは、その後の歴史が物語っている。

 「人々により、そして人々のために」。これはアルジェリアの標語である。国歌中にもフランスへの忘れられない恨みが刻まれている。1954年から1962年までほぼ十年間内戦を繰り返したこの国の独立とプライドは血の中から生まれたものであるので、何があっても、大国にけっして屈しないであろう。

 映画の見せ場は数々の衝突のシーン、とりわけクライマックスである革命の戦士であったブラヒム・ハギアグの爆死シーン、その後に起こる動乱での戦車を使った市街戦シーンであろう。とてもフィクションとは思えないほどの生々しい軍事衝突の様子はまったく古びておらず、いまも血の匂いを放つ。

 テロの手法や組織論も明確に描かれていているのも興味深い。三人一組にして、それ以外の仲間についてはお互いに面識もないような形態をとることで、フランス軍に芋づる式に逮捕されるのを防ごうとしていたり、ゼネストを決行して国家の機能を麻痺させたり、イスラム教自体を利用して、どうしてもボディ・チェックが甘くなる女性を爆破テロの実行犯として起用するなどしている。

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 これに対するフランス側の対応もまた適材適所である。第二次大戦中のレジスタンスの英雄である指揮官(ジャン・マルタン)をアルジェリアに派遣し、レジスタンス運動を根絶やしにしようと目論む。その手法は拷問であり、抜き打ちの検挙であり、スパイを潜り込ませることであり、リーダー格の人物たちを捕まえることでの頂上作戦的な組織の壊滅であった。レジスタンスのメンバーだったからこそ知っていた、革命へのノウハウを今度は征服するために使用するのはなんとも皮肉であった。

 指揮官役のジャン・マルタン、革命側のリーダー役のブラヒム・ハギアグの演技は素晴らしく、彼らなしではこの映画は語れない。また彼らの周りを固める素人俳優たちの素朴な演技、さらに彼らを取り囲む群集のモブ演技が渾然一体となり、当時の様子を忠実に再現しました。女戦士たちの覚悟を表す決死の目も忘れがたい。爆死前に死を悟ったブラヒムの澄んだ目も記憶に残ります。

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 音楽の効用も素晴らしく、フランス軍の軍事作戦による緊迫したシーンに流れるメイン・テーマはもちろん、女戦士や民衆が蜂起するときに流れる、ビートの利いた鼓動のような、そして地響きのような太鼓をベースにした力強い音楽がとても印象的でした。

総合評価 97点


アルジェの戦い(トールケース仕様)
アイ・ヴィー・シー
2002-11-25
ジッロ・ポンテコルヴォ

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
やはり精力的に観られてますね。
ただ、こういう作品をみると、生半可な作品では手応えがなくなってきますでしょ?
最近の公開作品に不感症気味になってるのもこのあたりが原因かと。
でも私もこういう作品みてしまうんですよねいいまはちょっとクッション置いてフィンランドのアキ・カウリスマキだの、そのあと続いてイランのアッパス・キアロスタミなどムキになって再見してます。
「アルジェの戦い」もずっと前に見たきり。「希望テルエルの山々」といい、用心棒さんのブログで刺激されて、またアンジェ・ワイダなども見直したいという気持ちも沸いてきているこのごろです。
>爆死前に死を悟ったブラヒムの澄んだ目
この頃の俳優って、いつも思うんですけど「大人の目」をしてますよね。オーバーな演技をしなくても立って見つめるだけで、心情が見えてくる。語らずとも説得力があるんですよね。
ますます最近作に不感症になってきそう。
シュエット
2008/07/03 10:22
用心棒さん続き。
でも今の世界を見ないとなとも思います。辛いテーマだけど「告発のとき」観に行こうと思ってます。週末見るつもりで出かけたものの劇場で座って観ようとしている私はなんなんだって思ってしまい、劇場まで行けなかったんですけど。
シュエット
2008/07/03 10:23
 シュエットさん、またまたこんばんは!
>「大人の目」
彼の目もそうですけど、昔の俳優さんは黙っていても魅力的でしたね。ハンフリー・ボガートはいまでも大好きです。

>不感症
 僕もそうならないように、新作をなんだかんだ言いながらも、月に数本は観るようにしています。観ても、記事にしないもののほうが多いですけど…。

>『告発のとき』
 イラクを扱った作品ですね。暗く重い気持ちになりますね。アフガニスタンを扱った『大いなる陰謀』がゴールデンウィークに公開されていて、観に行きましたが、あれもかなり重い映画でした…。
 先日見たのはキューブリック監督のお蔵入りした幻の長編デビュー作『恐怖と欲望』でしたが、この映画も戦争の狂気を扱った映画です。
 及第点とは言いがたいのですが、彼らしさは所々に出ていました。初監督作品の『拳闘試合の日』とともに近いうちにアップするつもりです。ではまた!
用心棒
2008/07/03 20:22
用心棒さん、コメントを躊躇っていました。いわゆる先進国で、のうのうと生活していることを考えると、このような作品を語る資格があるのか否か。つらいです。現在のイラク、チベット、アフガンに関わる問題もこのような作品から学ぶべきことは多いのでしょうね。
ジロ・ポンテコルヴォ監督は、今どうしているんでしょうかね?その後カンヌ映画祭の審査員などしてましたよね。
それにしても映画が映画たる目的として、このような作品が一般化されたことに映画史というものの意味が発生してくると思います。
いわゆる「映画」が先進国の文化であるが故の不足を補おうとするテーマも必須なのでしょう。
フランコ・ソリナスは、我がアラン・ドロンのプロデュース、そして主演の大傑作『パリの灯は遠く』でシナリオを担当していますが、こういった社会派リアリズムの脚本ってどうやって作るんでしょうね?
トム(Tom5k)
2008/07/06 16:29
>続き
最近、アメリカン・ニューシネマの西部劇『ソルジャー・ブルー』を借り、ラストの大虐殺シーンで具合いが悪くなっています。次の記事更新はこの作品の関連記事にする予定ですが、つらい作品観てると、もう映画ファンやめたくなってくるなあ(笑)。
では、また。
トム(Tom5k)
2008/07/06 16:30
 トムさん、こんばんは!
 この映画って、アルジェリア人の喜びだけではなく、彼らの怨念やフランス人の怨念を感じますよ。
 リアリズムの極限まで行ってしまった映画ですね。この映画をヴェネチアで観た後では、すべての劇映画が虚しく見えたでしょうね。
 60年代にフェリーニやヴィスコンティなどが多くの傑作を生み出したイタリア映画界ですが、そのなかでも好き嫌いは別にして、ベスト3に入るのは間違いないと思います。
>大虐殺シーンで
 観るのがツライのって、結構ありますよね。最近では『ランボー 最後の戦場』はキツかったですし、有名どころでは『ソドムの市』は何度トライしても駄目です…。
 そういえばイタリア人製作の、血がドバドバ出てくる西部劇はマカロニ・ウェスタンと呼ばれていますし、イタリア人って、こういう直接的な表現が好きなんでしょうかね?
 ではまた!
用心棒
2008/07/06 20:31

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