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zoom RSS 『意志の勝利』(1935)世界2大プロパガンダ映画のひとつ。レ二のセンスの良さがキャリアの仇に…。

<<   作成日時 : 2008/05/17 12:47   >>

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 ナチ・イーグルの威圧的な映像が前世紀に製作された二大プロパガンダ(もう一方は『戦艦ポチョムキン』)の幕開けを告げる。第一次世界大戦の勃発と敗戦という結果がもたらした悲劇的な、そして惨めな戦後ドイツ国内の様子と苦悩を述べた後、カメラは雲の上を闊歩するような軍用機中に移動する。

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 当然その機中にはナチス・ドイツ党首にして、総統であるアドルフ・ヒトラーが搭乗しているのは明らかである。もっとも演出上のことなので、実際に搭乗していたかは不明です。機内から映し出す機外の映像は神の視点であり、まるでヒトラーが全知全能の大天使の如く、もしくは空から駆けつけるワルキューレの騎行のように、打ちひしがれたドイツ国民に栄光をもたらすために、光臨してくるかのような錯覚を与える。

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 こうした神の視点からの映像後、ヒトラーはある特別な場所に舞い降りる。そこは彼にとっては栄光の地であったが、生き長らえた残党たちにとっては裁きの街となった。その町とはニュルンベルグである。

 この映画を彩る音楽の多くは『ニーベルングの指輪』と呼ばれる4つのオペラ(『ラインの黄金』『ジークフリード』『ワルキューレ』『神々の黄昏』)で有名なリヒャルト・ワーグナーの手によるものを『ニュルンベルグ行進曲』として、無様にアレンジを施して使用している。

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 これらワーグナーの4つの代表作のなかではなんといっても『ワルキューレ』の迫力が随一であろう。ステレオの大音響で聴くのにもっとも適した、そしてもっとも効果を発揮するクラシック音楽である。危険な香りを発散する、その勇猛さ、威圧感は尋常ではない。

 自分も昔はフル・ヴァージョンCDを所有しておりましたが、圧倒されました。フルトヴェングラーもたしか指揮をしたことがあり、これの第三幕のダイジェストのLPを聴いた覚えもあります。音は悪かったのですが、威厳に満ちた良い演奏であったと記憶しております。とりわけ、もっとも有名な『ワルキューレの騎行』はさまざまな映画にも使用され、有名どころではフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』やフェデリコ・フェリーニ監督の『8 1/2』でもかかっていました。

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 個人的には「指輪」の4作品よりも、ワーグナーの生前および、死後の著作権が切れるまでの30年間、バイロイト歌劇場のみで上映されていた舞台神聖祝祭劇『パルジファル』の陶酔感というか、スケールの大きさがもっとも素晴らしいのではないかと思っています。

 なぜ音楽から始めたかと言いますと、わが国はともかく、ヒトラーに利用されたこともあり、イスラエルなどではなかなかワーグナーを上映できなかったのです。たしかに彼の音楽にはドラマチックな勇壮さ、もしくは感性を刺激してくる危険な香りがあります。どこか血生臭い、昇華されきっていない生理的な臭いが存在するような気がします。

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 そこをナチスに利用されてしまったのでしょうか。フルトヴェングラーにしろ、「黒い森の哲学者」ハイデッガーにしろ、リーフェンシュタールにしろ、ナチスが利用した芸術家たちや哲人たちの戦後にはナチスの亡霊ともいえるような傷がそれぞれの活動に暗い影を落としてしまっている。もちろん全体主義に組したと言われても仕方がないので自業自得とも取れます。

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 ハイデッガーは自分の師匠であるフッサールがユダヤ人であるために冷遇されていても、あまり助けに入った形跡もありませんし、彼の規定する人間(現存在)とは先駆的了解、つまり自分の欲得ではなく、人生の目的を知るためならば、贅沢も楽しいこともせず、すすんで身を投げる、というのであったように記憶しております。個の欲よりも、重苦しい人生を考え続けるのが第一というのはナチにとっては都合が良いのです。

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 政治と芸術が融合、もしくは利用されたときには政治がその後も引き続き繁栄して行ったならば、芸術もそのまま庇護を受けるのであろうが、政治が滅んだときには芸術もまた責任を取らされてしまう。やむを得ないといえば、それまでなのですが、割り切れない思いもあります。

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 ヒトラーの優れている点は優秀な芸術家や哲人を自分の都合の良いように利用する点にあります。自らも芸術家を目指し、ウィーンに上り、結果として挫折した芸術家志望のカルト政治家にとっては、彼ら天才の才能は眩すぎたことでしょう。自分では創れなかった美しいものを創りだす彼らの才能をヒトラーは最大限に利用しました。

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 かつての貧しい売れない画家であった彼には誰も目を向けなかったであろうが、今は違う。ナチス党党首であり、一国の最高指導者という権力の座を手にしたヒトラーはとうとうこのニュルンベルグに成功者として入って来られたのです。彼にとってはパリ入城よりも、ローマでのムッソリーニとの会見よりも、このときのナチス党大会の方が嬉しかったのではないでしょうか。

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 彼は意気揚々と入場してくる。ゲッペルス、ヒムラー、ゲーリング、ヘス、ストライヒャーなどナチス党の重鎮や諂い者たちを伴い、10万人以上の群衆に迎えられるヒトラーの様子は成功者のイメージを発散する。

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 しかしながら、「長いナイフの夜」と呼ばれる、古くからの同志でもあったエルンスト・レーム突撃隊(SA)隊長をはじめとするSA粛清を行ったのはこの映画が撮られる1934年9月5日の三ヶ月前のことであった。三島由紀夫の戯曲『わが友ヒットラー』ではレームの心情などがよく表現されていると思われますので、その後の三島自身の運命も含め、興味のある方は読んでみてください。

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 まずはミュンヘン一揆失敗の後の獄中で書いた(実際にはルドルフ・ヘスが口述筆記したという)と言われている『わが闘争』で反ユダヤ思想を訴えたヒトラーでしたが、彼の残虐性の発露の第一歩目は身内に対して発揮されることとなったのは皮肉でした。学生時代に『わが闘争』と『資本論』を読もうとしましたが、どちらも途中で挫折しました。とりわけ『わが闘争』はくどく、難解でしたが、ときおりハッと我に返る瞬間もありました。

 変人が妄想にあふれた自身の哲学を実践できる立場に就いた場合に起こる最大限度の悲劇を体験したドイツ人及びユダヤの人々の苦悩と地獄の苦しみは体験した者しか理解できないでしょう。臭いものには蓋をしておけという発想が60年以上続いているわが国の政治家とは違い、苦しみながらも事実と向き合っているドイツの方が成長しているのではないでしょうか。当方の情報操作と中国の情報操作も似たり寄ったりですが、自由に閲覧できるわが国の方がだいぶんとましなのかもしれません。

 昔と違い、インターネットが家庭レベルにまで浸透している今では情報操作もしにくいが、ガセ情報が事実として一人歩きする場合もあるので、あらたなアジテーションの道具として使用できなくする必要性もあるでしょうし、都合の悪いことは閲覧させないという姿勢も同じように非難されるべきでしょう。

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 身内にさえ、あれほどの残虐行為が行える彼にとってはユダヤ人排他思想を実行に移す可能性があることを世間に示す第一段階だったのではないでしょうか。この時点で彼を利用するのではなく、排除していれば、ドイツの運命も変わっていた可能性もあったのではないでしょうか。抹殺できていれば、彼のその後のユダヤ人への異常な憎悪を背景に行われた「水晶の夜」もなかったかもしれません。

 前置きはここまでにして、映画に戻ります。ゲッペルス、ヘスなどの取り巻き連中を引き連れ、彼は悠々と勝者として、そして救世主としてパレードしてくる。興味深いのはカメラがヒトラーの背後からの視点やヒトラーの視点を強調してくることであろうか。

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 何台ものカメラが最善の、つまりヒトラーおよびナチスの宣伝のために都合の良いカットを積み重ねていくための用意が万全に尽くされている。そのため美しく、かつ機能的なカットが次から次に出てくる。ロシアのエイゼンシュテインとは違った感じのモンタージュであり、感情の昂ぶりと特権階級や旧体制への怒りを狙った『戦艦ポチョムキン』とは違い、機能性とロマンで、ドイツ民族とナチスを美化した危険な映像であると感じました。

 リーフェンシュタールの美のセンスがナチスに極限まで利用されたとも取れるが、レ二自身も加担していると取られても言い訳はできない。なぜならこれを撮ったのは他でもない彼女なのですから。

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 ヒトラーとナチスを美化し、神聖化していくこの映画は当然のことながら、今でもドイツでは放送禁止となっています。それはつまり、それほど上手く出来ているプロパガンダであるという裏返しであり、証明でもあります。そしてドイツがまだヒトラーの亡霊に怯えているということかもしれません。

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 またこの作品は日本語版も製造販売されてはいません。同じくレ二が監督したベルリン・オリンピックを記録した『民族の祭典』『美の祭典』は販売されていますが、これはまだなのです。Amazonでは『意志の勝利』を検索すると、英語版が出てきます。今回見たのは英語版です。字幕を頼りに見ていきました。

 熱狂で迎えるニュルンベルグ市民たちには当時ヒトラーは救世主に見えたことでしょう。あとになって、彼らを批判するのは容易いが、悲惨な戦後を経験し、未だにそれを引きずっていた国民には負のエネルギーと鬱憤を発散する土壌はすでに出来ていたのでしょう。

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 松明が灯される夜の党大会。もっとも有名なプロパガンダ映像かもしれません。人文字によるカギ十字の行進映像や「ハイル!ヒトラー!」の叫び声はドイツ国民にはいまでも悪夢でしょう。全員でヒトラーの言葉を朗読し、全員で歌い、全員一致の一糸乱れぬ行進と太鼓のリズム。まさに全体で一つという印象を強く植え付けている。

 紅蓮の炎のなかをシルエットに映し出され、異様なムードの高まりを見せる夜の党大会。興奮しきっている群集の息吹が聞こえてくるかのようです。「夜」の効果、「炎」の効果を熟知した悪魔の演出に驚かされる。さらにそれらを倍加させる群集という圧倒的なエネルギー。万人単位の狂気の発露は恐怖である。まるで全員が集団催眠に掛けられてしまったかのようだ。

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 ヘスやゲッペルス、そしてヒムラーがたびたびヒトラーとともにカメラのツーショットやスリーショットで抜かれているが、これはヒトラーの取り巻きの力関係の優位がもはや粛清されたレームを代表するSAや武闘派のゲーリングではなく、官僚的である彼らに移行しているのを示す証拠でもあろう。粘着質で残忍な彼らが権力に近づいていく瞬間を捉えた映像でもある。

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 このようにさまざまな意味で、ある政党のプロパガンダであるという枠では収まりきれないスケールの大きさと映像美、そしてナチスの歴史が確かにそこには存在している。なんとも不気味な作品なのです。悪の魅力に引きずり込まれていくのを感じます。

 すべてのドイツ国民を鼓舞するように、ワーグナーを編集した無粋なニュルンベルグ行進曲は彼らを讃えて、ドレスデンやライン地方など国中から集まってきた若い力の勃興を国民に誇示する。彼らの顔は活気に満ちている。約10年後には彼らの顔は再び苦悶の表情になることを彼らはまだ知らない。ドイツだけが二度の大戦を二度ともに敗戦で迎えた。

 先ほども述べましたが、この映画は基本的にドキュメンタリータッチでありながら、視点はヒトラーのそれであることが多い。まるで彼が国民全体を見ているのだ、とでも言いたげな感じにも映る。

 「ひとつの民族、一人の総統、ひとつの国、ひとつのドイツ」

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 そしてとうとう始まる大演説大会。ヒンデンブルグへの弔辞を読み上げるヘスの演説を皮切りに、ストライヒャー、フォルツ、ディートリッヒ、ゲーリング、ゲッペルスらがローリング・ストーンズの野外コンサートの前座のように次々に演説を始めていく。ダイジェストで語られる内容は画一的で、ヘスとゲッペルス以外の演説はあまり切れを感じない。余談ですが、ヒムラーの肉声というのを聴いたことがありません。演説するところも見たことはありませんが、下手だったのでしょうか。あれだけいつもヒトラーに寄り添うようにしていた彼の肉声がないというのは不思議な気もします。

 ヘスは「あなたが行動すると、国民も行動する」「あなたが判断するとき、国民は従う」と述べ、そして最後は「ジーク!ハイル!」で締めくくる。

 さあ、真打ちの出番だよ!とばかりに登場するヒトラー。

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 ヒトラー映像でよく見られるように、彼はいきなり捲くし立てて話すわけではない。ゆっくりと、必要以上にゆっくりともったいぶって、登場してくるのだ。しかも最初はしゃべらない。場の雰囲気が収まり、徐々に痺れを切らしてヒトラーに視線が集中してくるまで、彼は何もしゃべらない。あちこちの文化施設で催される講演会でも、上手い人ほど間を置き、静かにしゃべりだす。

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 はじめは静かに淡々と、中盤になり感情が昂ぶって行き、そして後半、ついに堰を切ったように激しい言葉とジェスチャーで観衆を自分のペースに引きずりこんでいく。演出と技量がずば抜けていると言わざるを得ない。興奮し、喉を震わせながら絶叫するヒトラーの演説に酔いしれていく観衆たち。悪魔ではありますが、演出や技法は現在のアメリカ大統領などの演説よりも見事であります。自分を熟知しているのがはっきりと理解できる演説でした。

 映像的に見ていくと、基本は党大会のドキュメンタリーということもあり、ハイ・アングルかロング・ショットが多い。ただし、ヒトラーに対するカメラはアイレベルか威厳と威圧感を増すためのロー・アングルを使用している。

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 川の反射を効果的に用いたり、冒頭の空中映像や行進時のマスゲームなど映像美への拘りも尋常ではない。ヒトラー、ヘス、ゲッペルスの三人が壇上へ上がっていく最後の演説シーンでの舞台装置の演出の見事さと巧みさは何度見ても素晴らしい。空撮や移動撮影などが与える躍動感も見逃してはならない。新鮮な権力が疾風のように駆け抜ける映像の魔力は観る者をミス・リードしても仕方ない。それほど「カッコいい」「スタイリッシュな」映像が続くのである。

 後半のお昼の行進時に実体と影が一緒に行進する映像が印象に残る。美しく撮りすぎているのだ。リーフェンシュタールの確信犯的な映像美へのこだわりが戦後の彼女を映画界の主流の位置から遠ざける結果となってしまったのは残念ではあります。

 ただし前半の演説の後に延々と20分近く続いていくパレード及び行進は正直辛いものがあります。ここらへんはもうちょっとカットしても良かったように思えますが、ここが長い分、後半のヒトラーの演説を早く聴きたいという観客を焦らす効果を狙ったのかもしれません。

 みんなが見ているという意識を持って政治を演出して見せたのはアメリカではなく、ドイツが最初だったのだろうなあ、というのを強く感じました。まるでモーゼの十戒のように人垣の裂け目を歩いていく三人の様子はなにやら厳かであるように見えるし、滑稽にも見える。

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 10万人以上の群集で埋め尽くされた党大会。ハーケンクロイツの旗を掲げ、行進している党員たちのいったい何パーセントの人々が第二次大戦の終わりを無事に迎えることが出来たのであろうか。彼らにもそれぞれの家庭があり、人生があったはずである。

 それは幸運だったか、不幸だったのか、ナチスの呪縛が解け、全体の中の一部分という位置付けから、ふたたび一人の人間であるという個に戻った彼らは何を思ったのであろうか。

総合評価 85点


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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
ご無沙汰です。
ナチのプロパガンダの巧妙さ、優秀さは軍服や、家庭にラジオをおかせたりと、有名な話だけれど、具体的なフィルムは未見です。記事を読みながら一度観なくてはとおもいました。
ちょっと時間を置いてから。実は先日「靖国YASUKUNI」観て記事あげて、その前に「あの戦争は何だったのか」という記事もあげて、やはりこういう記事はどっと疲れてしまいますね。正直、用心棒さんの記事読むだけで、どっと疲れる。(記事そのものではないですよ!(笑)) 底なし沼を覗き見たときのような疲れ(って抽象的な表現ですけど…)。
いつものお気楽モードにまで回復するのを待って、本作探してみます。「国民の祭典」はTSUTAYAにおいてますから。まずはこれから。どこかで観ないと…っておもっていたからいい機会です。
シュエット
2008/05/20 16:51
 シュエットさん、おひさしぶりです!
ず〜〜〜っと忙しくなかなか更新ができませんでしたが、盟友トムさんの復帰をお祝いするために、無理やりアップしてしまいました。

ナチの凄いのはファッショナブルなところ、テレジェニックなところ、デザインの美しさではないでしょうか。思想面ではすべての責任を敵(この場合はユダヤ人でしょう)のせいにするのは敗戦で疲れ切ったドイツ人には楽だったのでしょうね。
 この映画ですが、youtubeの検索で『triumph of the will』を打ち込んでみてください。フルレングスの動画ファイルがアップされているはずですよ!ではまた!
用心棒
2008/05/20 20:22
レニ・リーフェンシュタールのことを書いた記事をTBさせていただきます。「意志の勝利」にはちょっとしか触れていないのですが。

ナチスは外見を重視したそうですね。あの独特の魅力を持つ制服。圧倒的な権力に屈服するという、一種被虐的な快楽を催させる様々な演出。ヒトラーが稀代の演出家であったことは、用心棒さんが言及してくださった通りです。昔「地獄に堕ちた勇者ども」を観たときにも、ナチスの恐るべき誘導テクニックに、背筋がぞっとするような感覚を覚えました。

レニもある一時期、このヒトラー・マジックに惑わされていたのは事実ですね。権力と芸術が昔から切っても切れない関係にあるのは、もうどうしようもないことなんでしょう。
豆酢
2008/05/20 21:38
 豆酢さん、こんばんは!おひさしぶりです!
 若い人を引っ張り込むにはカッコいいのが一番というのは古今東西変わらないでしょうし、スタイリッシュな方が受けるのは大統領選などを見ても明らかでしょう。
 レ二の凄い点であり、致命的な点でもあるのは対象が海洋の自然でも悪の俗物でも、圧倒的な美しさと魅力を放つ映像に変えてしまうところでしょうか?それをセンスと呼ぶのか?なにはともあれ、レ二の撮る画は魅力的なのです。
 ではまた!
用心棒
2008/05/20 22:36
用心棒さん、どうも。あまりの大作記事ゆえ、コメントを躊躇しておりましたが、さきほどシュエットさんと相互リンクさせていただきこちらの記事の情報をいただいき訪問しました。
わたしの記事で、TBできるのはクレマンの『パリは燃えているか』でしょうか?
>彼らにもそれぞれの家庭があり、人生があったはずである。
これは、さすがルネ・クレマン、『パリは燃えているか』でもテーマとして描かれているシークエンスがあります。戦争は勝敗の問題ではなく、人の死であり、人類の尊厳の破壊であることは、ファシズムに携わった者も、連合国であった側の者にとって何ら変わるものではなかったはずです。
ところで『ニーベルングの指輪』第二部『ワルキューレ』のバイエルン国立歌劇場の音楽監督だったハンス・クナッパーツブッシュのウィーンフィルとの演奏が大好きです。
わたしが所持しているのは、ワーグナー名曲集Vol.2「タンホイザー序曲・ヴェヌスベルクの音楽、さまよえるオランダ人序曲、ヴァルキューレの騎行、ジークフリート牧歌」収録の53・55年のハイライト盤ですが、
トム
2008/05/25 20:52
クナッパーツブッシュは、ヒトラーに抗したためにミュンヘンで活動できなくなったので、ウィーンへ移住しウィーンフィルの演奏しかできなくなったといいいます。
ワーグナーが好きなヒトラーが、唯一、彼の嫌いなワーグナーというのが素敵です(笑)。
わたしのブログ記事にも書いたのですが、本物と偽物の違い、これは人類の狂気にすら決して侵されるものではないと信じています。
では、また。
トム(Tom5k)
2008/05/25 20:53
再びお邪魔します。
「戦艦ポチョムキン」と本作「意思の勝利」TBありがとうございました。
映画「靖国」も合わせてTBさせていただきます。「戦艦ポチョムキン」私もう一度見直します。それからコメントいれさせていただきますね。観たのは高校生の時、学校の視聴覚教室で観ただけです。当時はロシア革命のなんたるか知識だけで知っていただけで、映画そのものを受け止める感性なんぞ皆無に近かった。
それぞれレビュー読ませていただいて、あらためて映画「靖国」観たときの「靖国神社」そのものに対する感覚が蘇ってきました。
映画を見る側のスタンスが問われる…そんなことを痛感します。
過去映画をみていると映画って時代の潮流が色濃く反映され、振り返れば何時の時代でも、その時代の意志を表出しているなって思う。
ブログ初めてから、最近、そんな眼で映画みていることが良くある。特に最近の公開映画のテーマや、あまり観ないけど邦画作品横目で観ていて、映画からその国が見えてくる気がします。そういう意味でも用心棒さんが今こうしてプロパガンダ映画について語られていることってとても意義を感じます。
シュエット
2008/05/25 21:20
 トムさん、こんばんは!
 プロパガンダ映画には感情を揺さぶり、誘導していくための「毒」となる要素が必ず仕込まれていますね。
 人類を破滅に導こうとしたナチでさえもあれほど美しく魅力的に撮ってしまうレ二は彼女の才能自体が重い十字架となり跳ね返ってきてしまった、悲劇的な例なのかもしれません。
 ワーグナーも然りで、彼の作品には血の匂いを嗅ぎ取れます。その危なさがまたたまらない魅力であり、自分もカール・ベームのCDやらフルトベングラー指揮のLPを昔は持っていました。引越しするときにどこかへ散逸しまい、残ってはいませんが、物は失っても耳にはしっかりと残っています。ではまた!
用心棒
2008/05/26 00:38
 シュエットさん、こんばんは!
>時代の意志を表出
 その通りだと思います。撮っている側が意識するにせよ、しないにせよ、雰囲気・リズム・俳優の表情・舞台背景・表現などには必ずどこかしら時代そのものや病んだ様子が反映されているように感じます。
 またゴダールが確か言っていたと記憶していますが、「すべての映画は繋がっている。」というのは事実でしょう。遠い国で同時代に作られたものでも、あとあとよく観ると表現の違いこそあれ、同じようなテーマや撮り方を模索していますし、「あれ?これって、あの映画に似てるなあ。」というデジャヴ状態になることもありました。皆それぞれ「良い」と思う映画表現を模索する過程では結果として、時代が要請する表現を手に入れるのかもしれません。
 ではまた!
用心棒
2008/05/26 00:48
用心棒さん、こんにちは。
「ワンダー・アンダー・ウォーター原色の海」と「アフリカへの想い」を観ました。you tubeの検索で『triumph of the will』でもいくつかの映像を観ましたが、確かに素晴らしい映像ですね。天才だと思います。技術的にも完成されれいますし、当時としてのモンタージュやドリーにはメッセージ性の説得力、そしてライティングによる効果には独特の映像美を感じます。また、わたしが魅かれるのはレニ・リーフェンシュタール本人の美しさです。あらゆる意味で当時のナチスのPRに絶大な効果を揚げる要因だったのでしょうね。
戦後のバッシングの原因には、嫉妬ややっかみもあったのかもしれません。
トム(Tom5k)
2008/08/09 14:48
>続き
特に聴衆(特に若い少年のナチス憧憬の表情など)のクローズ・アップと演説するヒトラー、さらにドイツ国民の歓声をヒトラーの演説が始まったときにブツ切りにしている音声も含めたモンタージュ表現など・・・。
これは『独裁者』で逆の効果でチャップリンが使っていました。
TBさせていただいたマルセル・カルネ=ジャック・プレヴェール、アレクサンドル・トローネルの仕事や後のジョセフ・ロージーとアラン・ドロンの仕事を考えれば、やはり世評通りにわたしも彼女を許してはならないと考えます。レニの映像がなければ何十人・何百人・何千人・何万人かは知る由もありませんが、地球より重い人一人の命への残虐が少しでも防げたように思うからです。
ここは、どうもわたしもつい頑なになってしまいます。そして彼女も被害者の一人ではあることもわかるのですが・・・。
では、また。
トム(Tom5k)
2008/08/09 14:49
 こんばんは!
 すでにナチス崩壊から60年以上も経っていますが、いまだに評価をするのがとても難しい映画作家ですね。
 映画作家として、純粋に彼女が持っていたセンスや技術レベルだけを考えれば、ずば抜けた能力を感じます。
 が、一方ではナチスへの貢献という悪魔の側面も持っています。何度見ても見飽きない美しさの一方では、彼女の映像をすべて盲目的に受け入れてしまい、ナチスへ傾倒していった者もいたのではないでしょうか。
 難しいですね。次回は納涼ということで、ホラー映画を書こうかと思っているのですが、悪名高い『ギニーピッグ 血肉の華』か、エド・ウッドの『死霊の盆踊り』を予定しております。ではまた!
用心棒
2008/08/09 22:50
今週中にはなんとしても記事を…と思いながら、なかなかまとまりきらず、まとまりきらないままですが記事アップ。まとまらないこと自体がこの映画の感想でもありますが。
映画という物自体が、その誕生から既にしてプロパガンダとしての宿命を負ったものなんでしょうね。
「アフリカの想い」という晩年のレニのドキュメンタリーでレニはあの映像がレニよ。それ以外の何ものでもないわ」といったことをきっぱりといっていた。
芸術の追求という、彼女の映画監督としての欲望と野心が、ヒトラーと結びついた。ナチ党の存在にあれだけの美を与えて映像に甦らせた。「ニュールンベルグ裁判」バート・ランカスターがドイツ復興をめざしたが故にヒトラーの台頭を黙認したといったセリフを語っていた。
カラヤンはあの党が、この先どんな道を歩むのか、割っていたら…とかつてナチ党員だった自身を釈明している。
人間とは時代の価値観に惑わされ、翻弄される弱い力の存在でしかない、その人間の人生を映し出す映画もまた、たった100年そこらの歴史しか経ていない。レニの芸術至上の傲慢さは裏返せば人間というものの弱さとも思える。その映画の歴史の中でレーニンはいち早く映画のプロパガンダとしての役割を見抜き映画学校を設立し、戦争中はどれだけの軍事目的の映画が製作されたことか。
こんな作品をみると、3D映画だどうだって騒いでいる世間をみると、「映画とは一体なんなんだ?」ってこれから先も問われ続けながらもあり続けるんだろうなって思ったり…しかし、見終わった後は、ナチスの亡霊がいまだに彷徨っているような感覚に囚われる。
シュエット
2010/02/05 16:18
 こんばんは!

ついに記事にされたんですね。後でお邪魔いたします!

今まではぼくもドイツ語版(何言っているか意味不明)と英語版で見ただけでしたが、今回の日本語版を見て、演説のディティールがさらに情報として入ってきたので、なんだか嬉しい。

ただ、この映画って、もちろんヒトラーの言葉の魔力が強烈なのですが、それ以上にレ二が映し出してしまった魔物の美しさのインパクトがあまりにも大きいですね。

>3D映画

技術革新は大切ですが、何を撮るか、何故その映画が必要なのかこそが重要です。

 技術は何十年も経つと、冷笑される対象になりますが、エッセンスをきちんと描いていれば、永遠の存在として語り継がれるのかもしれません。

 美しいものが善であると思っている方が多いのでしょうが、悪の華も確かにあるのだと実感させてくれる稀有なフィルムでした。

 ではまた!
用心棒
2010/02/05 20:12

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