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zoom RSS 『銀嶺の果て』(1947)黒澤明脚本にして、三船敏郎の記念すべき銀幕デビュー作品。

<<   作成日時 : 2006/12/15 21:11   >>

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 黒澤明監督の脚本『山小屋の三悪人』をもとにして製作され、公開時にタイトルを改めて『銀嶺の果て』として公開された谷口千吉監督、三船敏郎主演による隠れた名作です。この作品で銀幕デビューを飾った三船敏郎の他を圧倒する個性は眩いばかりである。ギラギラした目と身体の魅力はこの作品でも発散されている。

 東宝ニューフェイスの第一期生として最初は採用される予定ではなかった三船敏郎を採用するように東宝に迫ったのは山本嘉次郎監督であり、黒澤明監督でした。人の縁というのは不思議なもので、会うべきときに会うべき人に出会うように出来ているようです。

 そもそも東宝ニューフェイスの企画自体は、まだ当時歴史の浅かった東宝が各社の協定による嫌がらせにあわずに、自社で映画製作できる環境と生え抜きの俳優を育てていくために生まれた企画である。

 後に有名な労働争議である「東宝争議」で揺れる東宝に嫌気がさした藤田進、原節子、高峰秀子、大河内傳次郎、山田五十鈴、長谷川一夫らいわゆる「十人の旗の会」が大量離脱してしまうと、時代の流れは本来ならば下積みを経験しなければならなかったであろう新人たちに大きなチャンスを与えました。

 争議によって看板俳優を一気に失った東宝が、それでも映画製作を続けていく必要から若い俳優達にチャンスを与えたことが結果として三船敏郎を一気にスターダムに押し上げたとも言える。まさに怪我の功名であろう。

 他の出演者には志村喬もいて、黒澤監督も陰になり、日なたになり、この作品をアシストしたために実質は黒澤明監督作品のようになってしまいました。志村喬と三船敏郎の初共演作品でもあります。後年黒澤監督作品を支える二大俳優がついに揃いました。

 しかしながら、このデビュー作品『銀嶺の果て』は谷口監督にとってはほろ苦い監督生活のスタートであったかもしれません。同じ黒澤明脚本による『暁の脱走』を谷口が映画化したときも、切れ味の悪さを黒澤監督が指摘していました。

 出てくるのはほとんど男のみで、女優は子役の若山セツコのみである。このへんから既に黒澤ズ・フィルムです。舞台は真っ白な厳冬の雪山だけで構成される本作品の魅力は大自然の厳しさと美しさ、そのなかで蠢く男たちの醜さと欲望との見事な対比です。

 わが国において、大自然の厳しさを最も表現しやすい場所は雪山であり、海である。谷口監督はのちに黒澤明監督脚本による漁師の物語『ジャコ万と鉄』も撮っている。漁師の話という地味なテーマでも人間の欲望を深い洞察で描く、この映画もきらりと光る佳作です。

 それら黒澤明監督から谷口千吉監督に譲られた脚本を元にして製作された作品群はそれぞれに見所のある作品には仕上げられてはいます。

 が、譲られた一連の脚本だけでは、映画を脚本以上の素晴らしいものに出来るとは限らないという見本でしょう。あくまでも脚本は設計図であり、それを叩き台にして作品のレベルを上げていくものだと思います。

 何かリズムが違う、もたもたしたテンポで話が展開する、緩急が疑問だったり、カットと繋がりに違和感があるなど感じることは多々あります。ただそれが黒澤明監督と谷口千吉監督の個性の違いとも言える。演技自体は素晴らしいレベルの高さであり、三船に至ってはこれがデビュー作品とは思えません。石原裕次郎のデビューした『太陽の季節』でのそれよりも鮮烈な印象であった。

 雪山の厳しさの描写は荒々しく、寒々しい。これはその頃の世相そのものを表現したものかもしれません。しがない中年二人(志村喬、小杉義男)と若いアプレゲール的な三船敏郎が大胆な銀行襲撃犯人役で登場する。戦争がなければ、敗戦がなければ、全く違う人生を歩んでいたかもしれない人々は大勢いたわけで、彼ら三人はそうした敗残者の代表でしょう。

 最終的に、真っ白な雪山に飲み込まれていく(つまり死亡する)のは改心しなかった二人(小杉、三船)で、人間らしい心を取り戻した志村だけが生き残るという設定は素晴らしい。真っ黒な心を持つ凶悪な犯人(小杉、三船)も白い雪山で浄化されていく。

 気が小さいくせに警官に発砲し、その音により雪崩を誘発して死んでいく小杉は哀れであり、自分だけ助かるために皆の命を繋ぐ命綱を切ろうとする三船はまるで芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』に出てくる主人公のようでもあります。自業自得で破滅する様子もそっくりでした。ここらへんのシーンは迫力のある演出が効果的でした。 

 高堂国典、河野秋武、若山セツコら山小屋で暮らす善良で素朴な田舎の人々が志村と三船を犯人とはまったく知らずに、彼らを一個の人間として迎える。彼らの温かさに触れて、失っていた人間性を取り戻していく志村喬の表情が変化していく様子が素晴らしい。それらの温かさを嫌い、一人抵抗する三船の様子もまたリアルであった。

 音楽を務めていたのが黒澤明監督とはしっくりこなかった伊福部昭というのも興味深い。ここでの彼は作品に相応しい良い音を付けているように思えます。音響を務めた三縄一郎も知る人ぞ知るという有名な人で、黒澤作品やゴジラ・シリーズでの活躍で知られています。

 長い間、幻の作品であったこの三船敏郎デビュー作品もついにツタヤの店頭に並ぶようになりました。ビデオ・レンタルでぼろぼろのVHSをあちこち探し回ったのが夢のようです。今度は是非もう一本の幻の作品『荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻(ブログ内でもアップ済みなので、興味のある方はどうぞ)』もDVDで気軽に見たいものです。

総合評価 85点
銀嶺の果て
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☆☆☆☆(8点/10点満点中) 1947年日本映画 監督・谷口千吉 ネタバレあり ...続きを見る
プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]
2007/01/17 14:53

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 昨日のお礼の為に急遽UPし、TB致しました。昔書いた鑑賞メモのUPで、例によって大俯瞰です。

 全体的には、ハンフリー・ボガートを思い出させるお話でした。

 黒澤明自身が演出したらどうなったかという気持ちはやはりありましたが、谷口監督の味は寧ろハリウッド的ではないかと思います。
 対し、黒澤はフィルム・ノワールに関する限り、ゴダールが指摘するような<ジョン・フォードの日本版>ではなく、ジュリアン・デュヴィヴィエ調だと思っているんです。湿気、粘着性があり、本人の演出なら本作ももっと人間の嫌らしさが出たかもしれないと思ったりしますね。
オカピー
2007/01/17 15:28
 オカピーさん、こんばんは。
>人間の嫌らしさが出たかもしれない
その通りでしょうね。『銀嶺の果て』にしろ『荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻』にしろ、黒澤脚本を用いて、別人が監督した場合にはどこか鋭さというか洞察力が欠けている印象があります。甘ったるい感じとでも言いましょうか。
 しかしそれは監督の個性なので、良いか悪いかはなんとも言えません。『銀嶺の果て』に関しては、これはこれで十分に素晴らしい出来栄えに仕上げられているとは思います。
 同じ黒澤脚本、谷口監督作品では『暁の脱走』の方がバランスが悪いというかちぐはぐな感じがします。これもまたいずれ記事にしようと思っています。ではまた。
用心棒
2007/01/18 00:58

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