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zoom RSS 『天国と地獄』(1963)黒澤明監督、現代劇の最高傑作にして完璧な作品。ネタバレあり。

<<   作成日時 : 2005/12/30 10:07   >>

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 黒澤明監督の、というよりも歴代の日本映画の中でもジャンルを問わず、これぞ最高傑作と呼ぶに相応しい見事な出来栄えであり、彼の現代劇の中でも一二を争う素晴らしい作品です。昭和三十年代という時代に、警察の科学捜査と、知能犯かつ愉快犯との攻防という今でも通用するテーマを扱っていたことは斬新であるのみでなく、彼の持つ幅広い興味の対象と先見の明に驚かされます。

 奇を衒っているのではなく、作品の根底に流れる黒澤監督が抱いている「人間」に対してのやりきれなさと「法律」への疑問、追い込まれたときに人間がどのような行動を取るのかに関しての彼の深い洞察を感じ取るべき作品であり、表面上の仕掛けばかりにとらわれすぎては本質を見誤ります。

 前半は完全な室内劇であり、中盤での密閉空間でありながらスピード感をも併せ持つ特急「新こだま」車内での予想もつかなかった現金受け渡しの場面を挿み、後半は一転して犯人を追い詰めていくスピード感に溢れる屋外劇となります。開放感のある展開に持ち込むまで、ギリギリの圧迫を観客に与える前半と中盤の構成、これこそが後半が生きてくる「鍵」でした。

 そして、この作品で最も興味深いのは前半の主役である三船敏郎が、後半では脇役となり、前半に脇役だった仲代達矢が、後半では見事に主役になっていくことです。作品の途中で主役が入れ替わるというのは初めて見ました。また前半では、犯人である山崎は「声」のみの出演であり、追い詰められていく後半の途中になってシューベルトの『鱒』と共に、ドブ川のシーンでようやくその姿を現します。見えないことへの恐怖の演出に優れています。

 このようなやり方で、犯人が登場してくるのは、フリッツ・ラングの『M』でのピーター・ローレや、ジャンルは違うかもしれませんが『ジョーズ』などが有名ですが、この作品の山崎さんの登場の仕方もそれに負けない位のインパクトを残してくれました。
 
 この作品で、おそらく最も有名なシーンは超高速で走っている特急電車の中で、身代金の入った鞄を洗面所の窓から外に投げるシーンでしょうが、これ以外にも素晴らしいアイデアが後から、後からどんどん出てくる。まさに、この頃の黒澤監督をはじめとする小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎という脚本チームの気力の充実振りがうかがえる素晴らしい映画でした。

 又、展開が読めない面白さが多い作品でもありました。自分の子供が誘拐されたと思っていたら、実は運転手の子供だったり、実行犯を追い詰めていったら、既に主犯に殺されていたり、追跡時に被害者と加害者(意図的に近づく)が偶然に出会ったりするシーンなどです。

 四人体制(久板・菊島・小国・黒澤)で脚本を仕上げていくということからも、いかに黒澤監督が脚本を大切にしていたかが理解できます。一人ではどうしても意見が偏ってしまい、ワンパターンになりがちですがこれならば、そういった弊害を免れることが可能となります。反面、意見が割れてしまった場合に収拾がつかなくなりますが、ここでは監督がしっかりと舵を握っているために散漫さは見られません。

 全員の本作りへの緊張感が作品で見られる緊張感をより高く限界まで押し上げています。一つも気を抜けるプロットが無く、二時間半弱という長い時間を、全く感じさせずに一気に畳み掛けてきます。力技と繊細さが同居する脚本の真髄です。

 上映当時、評判が悪かったとのことですが、この作品の演技という意味で最も素晴らしかったのは室内でのそれです。まるで『ハムレット』の舞台演技を見ているかと、錯覚してしまうほどに完成された室内劇です。まず時間の経過は窓から見える風景と時計、そして犯人の電話で示されます。そして圧巻なのは「ナショナルシューズ」の三人の重役と三橋達也の演じるいやな秘書、仲代たち四人の刑事たち、三船家族の三人、運転手親子の二人、そして「声」のみの出演となる山崎の合計十四人もの俳優陣の集中力溢れる演技です。

 平均ワンカットが五分という長丁場で、しかも使われているのが応接間のみという圧迫感の中で、前半の一時間を完璧に演じていきます。ワンカットで撮り続ける事は、俳優陣に多大なるプレッシャーを強いることになりますが、それ以上に監督にも撮影スタッフにも神経をすり減らすような緊迫感を与えます。結果として出来上がってくるものは真剣勝負の映像のみであり、完璧な演技の集大成です。

 この作品でのテーマとなるのは、『ハムレット』と同じく追い込まれた時に人間として本来取るべき行動とはどういうものなのかということです。そしてその行動を取ったときには結果として何が起き、どう対処していくべきなのかという、とても難しい立場に追いやられていく人間を三船敏郎が真摯に演じています。ここでの彼にはアクションは全くありませんが、彼の存在感と事態の深刻さがもたらす苦悩はそのような表層的な行動を全く必要とはしていません。彼の目と表情が全てを物語ってくれます。演技面での新境地を開いた作品だったのではないでしょうか。

 彼以上に存在感を示したのが、『七人の侍』で監督から怒られ続けた仲代達矢と、当時は新人だった山崎努です。この作品を最後まで見て、後から振り返ったときに真っ先に思い出すのはこの二人の俳優です。追い詰めていく仲代と、追い詰められていく山崎とでは立場が真逆ではありますが、どちらの俳優も観客として見ていて素直に感情移入が出来る、言い換えれば俳優自身の役柄への熱意と、その役に成りきることによってもたらされる自然さが伝わってくる素晴らしい演技でした。
 
 とりわけ仲代に関しては、それまでの黒澤作品では常に助演の俳優陣の中で、最も重要なバイプレーヤーだった志村喬に代わり、完全に黒澤作品での三船に次ぐ、もっと言えば三船を抜き去るくらいのレベルの俳優にまで昇格しています。この作品の後半の主役は間違いなく彼です。

 そして彼を支えるのが犯人役の山崎です。新人俳優であった彼を一躍スターの座に登らせるきっかけを作ったのみならず、黒澤作品が三船・志村体制から脱却して、来るべき仲代・山崎体制に代わっていくきっかけにもなった、この作品の意義はとてつもなく大きい。実際に二人が共演するのは『影武者』まで待たねばなりませんが、テレビなどの新興娯楽の影響や、監督自身のアメリカでの失敗や自殺未遂など、彼と映画を取り巻く状況が悪くならなかったならば、もっと何本も二人の共演を見られたのではないかと思うととても残念です。

 その他に目を引いたのは「ボースン」を演じた石山健次郎と運転手役の佐田豊、そして『悪い奴ほどよく眠る』以来の出演となる三橋達也でした。監督からの駄目出しが一番多かったという二人(石山・佐田)が一番印象に残るというのは、監督としては不満が残るのでしょうが彼ら二人の残した印象はとても大きなものでした。

 また二枚目のスターだった三橋を、一番嫌なタイプの人間役として使うキャスティングの妙に思わず唸っていました。悪人顔を持つ人をあの役に使っても、大して効果は期待できませんが、ベビーフェイスの彼があの役を演じることで、より一層、人間の持つ陰湿さといやらしさを表現することに成功しました。俳優・三橋達也の新天地を開いた作品でもありました。

 前半一時間の室内劇での完璧なまでの立ち位置とカメラワークがこの映画の最初のポイントになります。一時間という長い時間を、ひとつの部屋だけで映像として持たせるのは至難の技ですが、黒澤監督はその問題をマルチ・カメラ方式と、長回しによる時間の寸断を出来る限り失くしていったワンカット撮影、そして事前の入念なリハーサルによる完璧な立ち位置の確認によって、人物が被らないように工夫しています。ここでの緊張感と圧迫感が後半の追跡劇への「タメ」を作り、見るものを一気にラストシーンまで引っ張っていきます。

 前半と後半の繋ぎ役として見事に使われているのが特急「新こだま」です。前半と同じ密閉空間でありながら、外の景色がどんどん変わっていく電車の使用はとても効果的です。このシーンで特に印象に残るのは全ての撮影を電車内から行っていることです。

 通常ならば、外からの速さを観客に見せたいところですが、(これをやって失敗したのが『暴走機関車』)もしそうしてしまうと作品を語る視点が、犯人側のほうに移ってしまいます。あくまでも被害者と警察からの視点でここまでは撮影される必要性をこの作品は持っています。もし犯人の側からこのシーンを撮ると前半の芝居の意味が全く無意味になってしまいます。その意味で、このシーンでの視点の位置は正しいものなのです。

 この後の「進一君」を取り戻すシーンとそれに被さるファンファーレで第一部が終わります。シークエンスのつなぎとして使われているジャンプ・カットも上手く使われていて緊張感の持続に貢献しています。

 第二部が始まり、ここから初めて視点が犯人のものに移ります。身代金を受け取ってから、それまで「声」のみだった犯人はようやく我々に姿を現し、犯人の視点から被害者宅を見るシーンが出てきます。シューベルトの『鱒』と共に現れるここが劇中の二部の始まりであり、被害者を精神的にも経済的にも追い詰めた犯人が、今度は警察とメディアによって自分自身が追われるものに変わる瞬間でもあります。

 徐々に追い詰められていく焦りから、自身で墓穴を掘っていき、有名な「煙突シーン」に繋がっていきます。ここでのパートカラーが鮮烈な印象を与えたのはモノクロの中に突如カラー映像が入ってくるということのみならず、黒澤作品で初めてカラー映像が出てきた瞬間であった事も関係しているかもしれません。ただし目新しさがあったとはいえ、作品全体の中で、あの煙が効果的であり、かつ必要だったかについては自分自身の印象としては疑わしいと言わざるを得ません。あのような中途半端なワンシーンだけにそれほど大騒ぎする必要があるのか、というのがこのシーンについての率直な感想です。

 今回、警察の科学捜査の手法と刑法の知識を作中に多く採用した結果、従来の自身が作った『野良犬』での警察物の「足」で事件を解決していく、今では見慣れた作り方を自ら否定してより新しい警察像を作り出すことに成功しています。「筆跡」の使用とプロファイリング、「情報操作」、「追跡グッズ」、「連続写真撮影」、「逆探知」、「犯人の声の録音とその分析」、「多重追跡」そして「刑法の抜け道と対処」などが斬新であったゆえに、後に外国で上映された時に「日本の警察がこのような科学捜査をしているはずが無く不自然だ」と言われたというエピソードを読んだことがあります。それほど世界的に見ても新しい演出を用いたのです。

 最後の監獄での面会シーンで、お互いが話しているときに、それぞれの顔がガラスに浮かび上がっている演出は素晴らしく、憎しみの中にお互いが共有する何かがあり、それを表現するためにあの演出が用いられている様に感じました。どちらが悪であり、どちらが善であるというような単純な対比は無く、どちらにも善と悪が共存しています。

 会社を乗っ取ろうとした権藤(三船)は世間からはヒーロー視されますが、破産して町工場からの再出発を余儀なくされます。会社にとって彼は悪であり、彼の破産は会社の現経営陣に平和と安定をもたらします。彼は「会社乗っ取り」というもっとも大事だったゲームの敗者でもあります。何が正義で、誰が悪なのかは立場によって、まったく変わるものなのです。また竹内(山崎)にしても苦学してせっかく医大に入ったとしても、病院の階段シーンで明らかな通り、出世の群れから外れてしまえば、没落していくより他はありません。苦学するという努力、すなわち善の意思を持っていた者が悪の道に落ちていくという皮肉がとても哀しい余韻を残します。

 破産という経済界の死刑宣告を受けても再び立ち直ろうとする権藤。裁判で死刑が確定して社会への復帰の道が閉ざされてしまう竹内。死刑論などにもかかわってくる重たいテーマの作品です。余談になりますが、名前から推察すると権藤は「金吾」なのでおそらく五男、そして竹内は銀次郎ですからおそらく次男なのでしょう。

 貧困家庭に生まれた五男が苦労の末に成金となり、医者の次男である犯人は、継ぐ病院も無くあぶれてしまい社会からドロップアウトして犯罪を引き起こす。恵まれていないという意味では似たような境遇にいた二人ですが、立派な人になるか、駄目な人間になるか、結局は個人次第という『野良犬』と同じテーマが形を変えて再現されています。

 前半の室内劇での緊張を和らげるために、そしてある時はさらに緊張を高めるために「音」が有効に使われています。窓を開けると入ってくる、横浜の街の雑踏の音や時計の音、そしてシャワーの音が劇の緊迫感をいったん弛緩させてくれます。反対に、この室内では電話の音が三船さんと進一君の生死を分ける運命の音になります。三船が社会的に「生きよう」と思えば進一君は命をなくします。反対に進一君を生かそうとすれば、三船は人生に敗れます。これ程に効果的な「生死」を分ける音を聞いたことがありません。

 正真正銘の音楽はこの室内シーンでは全く聴かれません。タイトルロール以外の劇中で初めて音楽を聴くのは進一君が解放された場面で聴くことになるファンファーレです。これは攻守が入れ替わる瞬間にかかる曲であり、権藤邸と犯人宅、そして特急と続いた密室から全員が解放された瞬間でもあります。

 山崎が初めて画面に登場してくるシーンで使われるシューベルトの『鱒』はいかにものんびりとした曲で陰湿な犯人には似合う曲ではありませんが、そのギャップによりさらに犯人の異常性を高めるのに貢献しています。山崎の登場する場面では特に音楽が強調されていて、無国籍レストランの喧騒、麻薬街の陰惨さ、そして別荘地で最後の殺しを行おうとする場面での『オ・ソレ・ミオ』による対位法の再現が素晴らしい音の効果を生み出しています。この場面での山崎のサングラスをかけた顔は不気味なミュータントのようです。

 権藤邸が使われる前半部分は、ほぼ応接間のみが舞台となります。現実的に当時の住環境から言えばあの部屋は広すぎる気がしますが、舞台劇の性質上は最低限度の空間だったのでしょう。また特急こだまのシーンはとても短いものでしたが、残した印象はとてつもなくショッキングな映像でした。監獄の面会シーンで用いられている、両者をまさに『天国と地獄』に分ける、ガラス板に映るお互いの顔が素晴らしい。

 黒澤監督が扱った現代劇の作品の中でも、一番緊迫感に満ちた作品であり、全作品を見渡しても、完成度ではベストスリーに入る作品です。見る度に新しく気がつくところが出てくる、まさに映画の教科書のような出来栄えであり、芸術性、社会性、娯楽性共に超一流の作品です。

 発想の斬新さのみならず、人間とは何かを問いただしていくとても懐の深い作品です。どうしても黒澤作品と言うと、大掛かりな時代劇のイメージが大きすぎるくらい大きいのですが、一黒澤ファンとすれば時代を経ても古臭くならない彼の現代劇にこそ、監督のよさが凝縮されているのではないかと確信しています。

総合評価 98点
天国と地獄
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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
 TB致しました。
 10点を付けたかったのですが、終盤に内容面でひっかかるものがあり9点。限りなく10点に近い9点です。

 「七人の侍」のコメントで古典的な構成という部分がありましたが、よく出来た作品というのは概してギリシャ古典劇以来のこの方法論を守っているようです。最後に来るのがアリストテレスの言うカタルシスですが、「天国と地獄」にも演劇用語としてのそれは当てはまりますね。
オカピー
2006/01/09 17:08
 TBありがとうございました。演劇、能、歌舞伎、バレーしかりで、古典芸術には演技、演出、脚本のアイデアがつまっています。

 なかなか見る機会が無いのがとても残念ですが、なるべく見に行く機会を持ちたいと常々思っております。

 こちらからもTBさせていただきます。ではまた。
用心棒
2006/01/09 19:07
 こちらにも【シネクリシェ】さんのTBが入っていますね。
 【シネクリシェ】さんの「演技過剰故に凡庸ではないか」という意見は、些か映画的な見方とは言えないのではないかという気もしますが、それ以上に「前半が退屈」という、「七人の侍」でも時々お目にかかる「映画は人間探求する芸術である」という基本を忘れた論評があるということに驚きますね。映画は文学論になってはいけないという信条ですが、その意見は余りにも的外れ。映画はゲームではないんですから。

本作は、前半は個人の心中の葛藤、現金受け渡しを経て、後半は個人対個人の対決に移っていく、その変化も実に鮮やかなものでしたよね。
オカピー
2006/11/17 18:18
 オカピーさん、こんばんは。
 個人的には山崎努を追い詰めていく科学的な捜査で押し捲る後半のダイナミズムも良いのですが、息が詰まるシェイクスピア的な密室劇の方が好みです。
 前半部分をよく見ると、マルチ・カメラをフルに活かした長回しを決行したことによって得られた緊張感が漲る画面、ダイナミックに撮影された人物の移動と配置が人物関係を浮き上がらせる素晴らしさ、権藤役の三船敏郎が吐く息の音でさえも大きく聞こえるような重苦しい雰囲気の中で窓を開けると、外の開放的な喧騒が入ってくるという音の使い方の見事さ、つまりカットによるものではなく、音によって場の空気を変える演出などにしびれてしまいます。
 個人的には刺激的で十分に黒澤明監督が残した最高の現代劇を楽しみました。
ではまた。
用心棒
2006/11/17 23:27
横レス、失礼しちゃいます。
>映画はゲームではないんですから。
オカピーさんのおっしゃるように、派手なアクションシーンによるカタルシスに慣れすぎた観る側の問題のような気がします。観る側は、もっと良質の文化に触れて自己研鑽に励むことがより良い社会を創るために必要だと思います(大袈裟かな?)。
>マルチ・カメラをフルに活かした長回しを決行
まるで、ヒッチコックスリラーのような緊迫感
ですね。
そして、その緊迫感には三船の倫理観と打算の選択への苦悩なども合わせて表現されていました。黒澤監督の美しい精神性が裏付けとなったヒューマニズムが、溢れんばかりに展開されていたのではないでしょうか?
ダイナミックな作品であることが素晴らしいのはもちろんですが、そういう素朴でありきたりの感動が、どこか観る側を勇気づけている作品のような気もしています。
では、また。
トム(Tom5k)
2006/11/18 00:50
 トムさん、こんばんは。
 派手に動き回らねば記憶に残らないというのではヨーロッパ映画のほとんどはお手上げになってしまいますね。
 スペクタクルの反対にナラティブという言葉がありますが、人物の心の葛藤を映像で表現するこのスタイルは分かりやすいスペクタクルよりも、映画ファンの心をくすぐります。
 『揺れる大地』をアップしました。ご感想はいかがでしょうか?駆け足で書いたために纏まりがないのですが、よろしくお願いいたします。ではまた。
用心棒
2006/11/18 01:07

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『天国と地獄』(1963)黒澤明監督、現代劇の最高傑作にして完璧な作品。ネタバレあり。 良い映画を褒める会。/BIGLOBEウェブリブログ
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