『シエラ・デ・コブレの幽霊』(1964)伝説のホラー映画をついに見ました!ダイジェストだが…

 かなり前から映画マニアの間で存在が知られてはいたものの、多くのファンがなかなか全編はおろか、ブツ切りの動画すらなかなか見る機会がないままに数十年以上経過していた作品が『シェラ・デ・コブレの幽霊』でした。

 淀川長治さんが司会を務めていた日曜洋画劇場にて1960年代に放送があったようですが、ぼくはまだ生まれる前の回だったようですので、当然見ていません。監督のジョセフ・ステファノはヒッチコックとも関係があった人で、テレビの『アウターリミッツ』の企画から外されて、失意のうちに『The Haunted』のシリーズを立ち上げるためのパイロット版として製作したのがこの『シェラ・デ・コブレの幽霊』だったようです。

 当然、劇場公開はされていません。しかも不運は続き、このパイロット版のあまりの出来の良さ、つまり、あまりにも怖すぎて、関係者が気分を悪くするほどの傑作だったために放送は見送られ、企画もダメになってしまったというエピソードもあり、より幻の作品としての格が上がったのかもしれません。

 ここまででお気づきの方もいるでしょうが、、これはもともと映画として公開するために製作されたわけではなく、いわゆるテレビ映画だったようです。まあ、あちらの場合はX-ファイルや『激突!』でも分かるようにしっかりとお金をかけて作るので、たとえテレビ映画でも一定以上の品質に出来上がります。

 10年くらい前に金曜夜の探偵ナイトスクープで一度、この幻の作品が取り上げられ、関係者やお笑い芸人の麒麟の二人が役得で鑑賞していたのを見て、映画マニアたちは羨ましがっていました。

 権利問題からか、せっかくの映像がほんの断片すら放送されなかったため、その時の感想からはどんな作品なのかは窺い知れませんでしたが、『夕映えに明日は消えた』とともに死ぬまでに見ておきたい作品の一つでした。

 レンタル屋さんによく並ぶZ級ホラーに紛れて、権利関係とかは無視した強者の販売元が荒稼ぎして逃げ切る感じで、ポンと間違えて出てこないかなあと期待しながら、毎月ホラー・コーナーを覗いていたものの、アメリカで1960年代作品がいつまでもソフト化されないということは永久に無理なのかなあと半ば諦めていました。

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 ようやく昨年になって、アメリカではBlu-rayが発売されたようですので、Amazonで探してみましたが、まだ出品されていません。まあ、需要は確実にある訳ですから、輸入業者に期待しましょう。フリフリを持っているぼくはたぶんDVDを購入するでしょう。

 もうそこまで来ている感じがとても嬉しい。そんな感じだったのが、ブログのお仲間のベラデンさんから一昨日にYouTubeに『シェラ・デ・コブレの幽霊』の動画が上がっているよとの情報を寄せていただいたので、コメントをチェックした後に速攻アクセスしました。

 ちょうどお昼をすぎての休憩中でしたが、いつ消されるか分からないので、食い気よりも当然のようにシェラ・デ・コブレが勝ち、一時間かけて、一本満足バーをパクつきながら、ついに全編80分超の完全版ではなく、テレビ放送サイズの50分ちょっとのダイジェストではあるものの、伝説のホラー映画のエッセンスに触れる機会を得ました。

 そもそも“シェラ・デ・コブレ”って、シャレコウベみたいだけど、本当は何のことなのだろうと調べていくと、シェラ・デ・コブレで一語ではなく、スペイン語では“sierra”と“de”と“cobre”に分かれるようです。

 意味はシエラがギザギザの山脈、デは“of”のことなのでつまり“の”、コブレは“銅”の意味なので、言ってみれば、“THE GHOST OF SIERRA DE COBRE”は直訳すると“銅山の幽霊”という分かったような、よく分からないような不思議な意味になりそうです。

 スペイン語ではシエラが正しいようなので、ここでは以降は“シエラ・デ・コブレ”で統一します。いずれ正しいことが分かれば、訂正してまいりますので、悪しからずよろしくお願いいたします。

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 毒蛇コブラの山(ハマーフィルムが好きそうだ)とかではないようです。なんだか“虎の穴”や“ハブの牙”みたいなら、ホラー映画のネーミングっぽいのですが、まだ日本盤はなく、邦訳とかはない英語オリジナル版なので、本当のところは分かりません。

 ハンフリー・ボガート主演作品の一つに『ハイ・シエラ』という作品がありましたが、あれは高い山が舞台のものでした。よく見ると当初は「シェラ・デ・コブレ」ではなく、「シエラ・デ・コブレ」だったようです。

 それならば、銅が取れる高山という感じでしょうか。それはともかく、ホラー映画マニアの間ではかなり有名な作品で何年か前に国内の映画祭で上映された際には見に行けた人たちの嬉しそうな声と行けなかった人たちの羨ましいなあという声をよく目にしました。

 その上映をアップした動画があったそうですが、すぐに消されてしまったようで、ぼくが見に行ったときには消えていました(だから今回はすぐに見ました)。

 よくありがちなのはそれを見たと言う人たちが受けた印象がやっと見ることが出来たという満足感と希少体験への自慢が入ってしまい、あまりにもオーバーに語られ過ぎて、過剰に期待のハードルを押し上げてしまい、いざ一般人が見られるようになってからは「言うほどショッキングではない」とか「チャチだ」とかいう的はずれな意見が出てしまい、これから見ようという人の楽しみが減ってしまうことです。

 よって、ようやく見ることが叶ったという幸福感に満たされつつも、過剰に有難がったり、今の目で見るとという視点を外し、当時の技術や見せ方を考慮に入れた上での感想を書いていきます。

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 まずは驚かされるのは1970年代に一世風靡した『エクソシスト』で世間を騒がせたラップ現象やひとりでに物が動き出す騒霊現象(いわゆるポルターガイストです)の描写、あるいは空中浮揚シーンがすでに原型として確立していることでしょう。『ハウリング』のニコルソンが斧で扉をたたき割るシーンがすでに『散りゆく花』や『霊魂の不滅』で同じ構図で出ていたのを後になって知ったような感覚です。

 また当時の表現の規制や見せ方、そして低予算ながらも工夫次第で良い物を見せられるという製作側の熱意を見逃せない。影を上手く使い、謎の多いミステリアスな印象を登場人物たちに付けていく演出が効果的でした。ヒッチコック先生の『サイコ』の影響を受けていると思われる演出が多く、しかも上質に仕上がっています。

 この映画の最大の音のモチーフとなる、金切り声のような金属が擦れ合うような不快な音(バーナード・ハーマンが付けたジャネット・リーを殺害するシーンの音楽の超有名なモチーフに似ています!)と地獄の底から湧き出してくるような慟哭(ここは『古城の妖鬼』をより怨念深くした感じ)が繰り返されますが、もしこれを小学生の低学年で見ていたら、ショックでしばらくは暗い所やひとりぼっちの部屋、夜中のトイレは恐怖だったことでしょう。

 この映画のスターである幽霊は恐ろしい形相をして生者に迫ってきますが、彼女は醜い人間の欲望の犠牲者なのです。どういうことかと言いますと、田舎の銅山の観光客相手にトリップさせるドラッグを飲ませて、悪質なお化け屋敷的な霊感商法(?www)で私腹を肥やしていた村のオバハン(この家にやってきた家政婦の真の姿で、じつは嫁の母だった!)と手伝っていた小さい頃の嫁が諸悪の根源だったのです。

 このババアによってマジック・マッシュルームのような効果を持つ液体の薬物(今も流行っていますね)を過剰投与された挙句に発狂して、生きたまま墓地に閉じ込められて殺されたのが女教師の幽霊の正体であり、悪いのは幽霊ではありません。

 半分が骨剥き出し、残り半分は死体という、今でいうゾンビの状態になった彼女は何もしゃべらずに、要所要所に古い油絵の中から不気味な静寂やメインモチーフである金切り声のような不快な音とともに登場します。

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 この幽霊にはいっさい、セリフは与えられていないのに怨念はたしかに伝わってきます。無念さや悲しさ、苦し気な様子が彼女(お化けで、顔は半分崩れていますが)の目の表情や所作から上手く引き出されていて、素晴らしい。

 また珍しいなあと感じたのは幽霊に足がないことでしょう。日本の怪談ものでは幽霊には足がないことが多いのですが(本当かなあ?溝口監督の『雨月物語』ではみんなしっかりと歩いていた…。ぼくにとってはあれが今まで見た中で最高の日本ホラー映画です。)、西洋の作品では足がついています。ひざから下が写らないで、ヒラヒラ宙を舞っているように見えるのも薄気味悪さが増すポイントでしょうか。

 見どころはクライマックスでの自分を狂死に追いやって醜い幽霊に貶めた強欲ババアへの復讐シーンでの怨念によってババアを殺害に至るまでの決着でしょう。

 ババアが自分にとって都合の悪い真相を突き止めたオライオンをらせん階段を下ってから、刺し殺そうと短刀を突き立てようとした刹那、油絵から閃光とともに三度浮き上がってきた女教師の霊が現われる。

 自分だけでは飽き足らず、さらに真相に近づいたオライオンを証拠隠滅のために殺そうとしたババアの動きを怒りの念で止めて、頭上まで短刀を持って振り上げた腕の自由を奪い、恨みを込めて、ついにババアを自死させて、本懐を遂げる下りです。影の効果と音楽の効果がサスペンスとともに最大に発揮される名シーンでした。

 傍目からすると、霊が見えない人が見たとしたら、ババアの自殺でしかないわけですが、霊視能力のある人が見ると明らかに復讐に映ります。

 テクニック的にはクラシックなホラーの古典である『吸血鬼ノスフェラトゥ』『吸血鬼』でも見られるような二重露光や暗い影の多用による表情の見えにくさによる不安感の増幅、仰角による威圧的な撮影は古典的です。

 なんでもないものでも怖く見せるヒッチコック的なサスペンス効果、ネガとポジが混ざったようなフィルム処理(ソラリゼーションだっけ?)が生み出したこの世のものとは思えない不気味な幽霊の表情が秀逸です。顔が溶けているような表情のアップは薄気味悪く、死霊の雰囲気がよく出ています。死体損壊みたいで気持ち悪く、生理的に無理な映像かもしれません。

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 細々したところで興味深かったのはオープニングでの暗くて靄がかかった墓地(?)の風景が写っていると思っていたら、実は朝もやが晴れて行くとビル群が所々に屹立する街並みの風景にすぎず、ホラーを見るぞと意気込んでいた観客に肩透かしを食らわせる。さらにこの街並みを飲み込むのが津波のような波で、街並みを覆い尽くすとそれが舞台である海岸沿いに繋がっていきます。いわば一種のワイプとしての効果を持っています。

 その他ではダイアンが落としてしまったピルケース(?)か化粧小物のような物のカットから繋げるのが不気味な家政婦の黒ずくめの立ち姿だったりと小技をちょいちょい入れてきます。

 脚本自体にはご都合主義にわざわざ恐い体験をするように墓地に出向いて行ったり、庭の鉢植えが急に倒れたりするのには苦笑する場面(ドラキュラの屋敷のシーンに出てくる糸で動かすコウモリみたいな感じで笑いそうになりましたが、自分に今は1960年代なのだと言い聞かせましたwww)もありますが、危機に陥らないとお話は進まないのだから、ゴチャゴチャ言わないようにしましょう。ホラーを楽しみましょう!

 この映画はモノクロの良さとサイレント時代の静寂と陰影の名残が程よくミックスされていて、ここぞで鳴り響く金切り音と慟哭が効果的に使われており、クラシック映画ファンが見ても、十分に楽しめる内容です。

 備忘録として簡単なデータを書いておきます。監督及び脚本はジョセフ・ステファノ、撮影はウィリアム・A・フレイカーとコンラッド・L・ホール(どっちがどの場面を撮ったのだろうか?)、音楽はドミニク・フロンティア。

 出演はマーティン・ランドー(建築家兼心霊問題研究家という変な設定のオライオン)、ダイアン・ベイカー(ヘンリーの妻)、ジュディス・アンダーソン(家政婦という仮面をかぶった犯罪者。『レベッカ』にダンバース婦人の役で出てきましたね)、レナード・ストーン(ヘンリー。恐ろしいことに巻き込んだ嫁を何もなかったように許す不可解な夫。)らです。ダイアン・ベイカーって、たしか『羊たちの沈黙』にも出ていました。若い頃は綺麗だったんですね。

 ようやく待望の動画がアップされたり、海外ではBlu-rayの円盤が発売されているような状況なので、いずれはマニアの期待を満たしてくれるべく、国内の販売元も決まり、手軽に楽しめるようになる日も近いのではないか。

 それまではこのテレビサイズのダイジェストがYouTubeで幽霊か幻のように有志のアップと削除のイタチごっこを繰り返しながら、物好きなホラーマニアのアクセスを増やすのを眺めていたい。

 総合評価 85点


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