『不意打ち』(1964)何も知らないで見ると、こちらが精神的な不意打ちを喰らうような衝撃の一本。

 『不意打ち』はもともと往年のハリウッド女優、ジョーン・クロフォードに主役のオファーがあったそうです。『何がジェーンに起こったか?』で久しぶりに表舞台に戻ってきた彼女は執念深くて陰湿なベティ・デイビスに虐待される役を演じていましたので、イメージ的にはこの役にもぴったりです。

 しかしそういう役柄はインパクトが強すぎるので、再び似たようなこの映画のオファーを受け入れてしまうと、さらにパブリック・イメージが暗く固定化してしまうのを回避するためなのか、たまたまスケジュールが合わなかったのか、そもそも興味すら湧かなかったのかは定かではありませんが、彼女による主演の話は立ち消えとなったようです。

 のちに明らかになりますが、ジョーン・クロフォードの人格破綻ぶりは有名で、名声が欲しいために身寄りのない子どもを養女として引き取りますが、彼女に凄惨な虐待をし続け、死後にはその養女自身によって虐待を語った手記が出版され、フェイ・ダナウェイ主演で映画化もされているくらいです。

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 そして最終的にこの映画の主役を務めたのは『風と共に去りぬ』で有名なヴィヴィアン・リーの陰に隠れてしまった感のあるオリヴィア・デ・ハヴィランドでした。名前が違うのでピンと来ないでしょうし、なにぶん数十年前以上のハリウッドの裏話なので、今ではよく知らない人のほうが多いかもしれませんが、彼女はジョーン・フォンテインと実の姉妹に当たります。

 父方の姓と母方の姓に分かれて活動していたということです。当然のようにオリヴィアとジョーンは犬猿の仲であり、世間一般でいう仲の良い姉妹とはかなり違う。

 たらればではありますが、もしも『何がジェーンに起こったか?』のキャスティングでこのジョーン・フォンテインとオリヴィア・デ・ハヴィランド姉妹を起用していたら、本物だけが持つ骨肉の争いの凄みを映像の端々に残していたかもしれません。実現していれば、ベティ・デイビスとジョーン・クロフォードの共演よりも、さらに強烈なインパクトを与えていたことでしょう。

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 話を映画のストーリーに進めますが、そもそも誰も救われない物語を誰が好んで見たがるのかは分かりません。ただし名作揃いの印象が強いクラシックの陰に隠れていますが、こういうエグ味の強いストーリー展開は昔のプログラム映画的な派手さのない映画ではよくありました。邦題は『不意打ち』となっていて、よく分かりにくい。原題は『LADY IN THE CAGE』、つまり、“かごの中の鳥”という意味で、内容的にはこちらの方がしっくりと来る。

 目に焼き付いて消えることのない、強烈な映像がオープニングから出てくる。浮浪者が死んでいるかどうかを確かめるためにスケートで彼を蹴りつける少女、死んだ犬をさらに何度も轢いて走り去る何台もの自動車の映像は生命への無関心を見せつけられる。轢き殺す描写はラスト・シーンでも繰り返されるイメージです。

 またこのときにバックで流れるクールでジャジーな都会的な演奏が不協和音に溢れる不穏なナンバーで、これから始まる映画によって過ごす時間がけっして楽しい時間ではないことを暗示させる。音楽はポール・グラスが担当しています。映画の設定上、登場人物の台詞がかなり少ないので、彼らの感情や次に起こるであろう事を予見する意味でも音楽は重要でした。オルゴールの優しい音楽が殺人をほのめかすシーンで掛かるのは対位法を狙ったものでしょうが、あまりにも悪趣味にも思える。

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 撮影したカメラマン、リー・ガームスの貢献も大きい。彼は『暗黒街の顔役』『モロッコ』『上海特急』『パラダイン夫人の恋』『ピラミッド』などでも撮影を務めたほどの腕利きで、今回も不吉なイメージを冷静な眼で切り取っています。ただここまであからさまに観客を不快にさせる映像を撮る必要があったのかは疑問が残ります。

 ストーリー展開は現在の目で見ると、突き放した視点と刻一刻と変わっていく犯人たちとハヴィランドの立場の変遷の構成が素晴らしく、もっと評価されて良い作品だと思います。

 自宅に備え付けたエレベーター(!1960年代で自宅にエレベーターというだけで、相当なお金持ちという設定が理解できます。)が故障してしまい、腰骨に障害があり、社会的弱者である年配の女性オリヴィアが非常ベルで危機を知らせても、近隣の誰もがその音を無視して、他者との関わりを持つのを拒否する。

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 アメリカの栄耀栄華の象徴である自動車は自宅前の道路をひっきりなしに通るのに、人間はたくさん生活しているのに、お互いには無関心で、厄介ごとには首を突っ込まない。

 ただぼくは同じようなシーンを実際に大阪の歓楽街と呼ばれる地域で何度も目撃しました。酔っ払いや行き倒れが道端で転がっていようが、誰も気にとめない。最初はこのような応対に驚きましたが、一週間もすると自分も気にも留めなくなる。

 二週間ほど旅行でニューヨークに行ったときにも経験したことなのですが、J・F・ケネディ空港に着いた時には鳴り続けるパトカーのサイレンに驚きますが、三日も経てば、その音が当たり前になるし、むしろ警官がいるのだと思い、安心してしまう。

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 倒れている者を見ても、かえって介抱するふりをして、その酔っ払いの懐に手を突っ込む輩までいました。だいたい酔っ払いは臭いので、誰も近づきたくはない。大阪の歓楽街では冬場になると、早朝に毎年数人の凍死体を見かけました。すべて十数年前の日本の現実です。

 労働者による暴動やデモ行進、労働者同士による喧嘩からの殺傷沙汰があってもニュースにもならない。この作品を見たときに思い出したのはあの大阪の歓楽街の感覚でした。

 一般的な方よりはああいう荒んだ街の雰囲気は理解できるかもしれません。脱線しましたが、この作品の醍醐味は荒んだ人々がさらけ出す心情をしっかりと観察し、人間の冷たさや狂気を受け止めることなのかもしれない。

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 誰にも救いがない映画を誰が楽しめるのかは定かではないが、現実を突きつける映画が一年に一本くらいはあっていい。室内エレベーターに閉じ込められて、鳥かごの中の鳥のようなオリヴィア・デ・ハヴィランドは小さな世界の中にいるかぎりはむしろ安全だが、不自由に感じていた鳥かごから抜け出すと、かえって危険に晒される。

 小さな世界の平和とその外に存在する危険な世界。まさにアメリカ国内と国外の差のようでもある。狂気に満ちた若いカップルの乱痴気騒ぎはたしかにぞっとしますが、わが国のゆとり世代の持つ、意味不明の空恐ろしい感覚と共通する部分がある。

 この映画はある若手スターの映画デビュー作品でもある。彼の名前はジェームズ・カーン。『ゴッドファーザー』でマーロン・ブランドが演じたビト・コルレオーネの長男のソニー役を務めた俳優です。分かりやすく言うと、自動車の料金所で蜂の巣にされたうえに頭を蹴り上げられた彼です。

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 この作品での彼は誰の言うことも聞かない暴れ放題の無頼の無法者で、浮浪者の頭部を陶器で殴打したり、人殺しをなんとも思わずやり切る輩でした。金も要らない、ただの退屈しのぎで裕福な家に押し込み、人に暴力を振るう。反モラルと言われても仕方ないような無慈悲な描写が最後まで続いていく。

 出てくる登場人物全員が人でなしで誰にも感情移入することが出来ない。本来であれば、主役であり被害者であるオリヴィアを応援すれば良いのでしょうが、彼女も最初の登場シーンで金の亡者であり、一人息子を溺愛する気色の悪いオバハンであることが示される。

 30過ぎの息子に「ダーリン!」と呼びかけ、口にキスするおぞましさでした。息子とつねに一緒にいたい彼女は旅行にまで付いていくほどの過保護でした。この家には母親と莫大な財産と過剰な愛情があるが、父親の存在はまったく感じられない。まさに1950年代アメリカの病巣である過保護な母親と息子の歪な関係の縮図なのでしょう。

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 母親と息子は理解し合えていない。当然、息子世代よりもさらに下の無法者たちの刹那的な心理など理解は出来ない。ステレオタイプなキャラクターを描くことが多い商業ベースが中心のハリウッドにあって、この映画が抉った真理は許されざるものだったのではないか。

 そもそも世代間の相互理解など端から無理なのだと悟るべきなのでしょう。そしてクライマックスではさらに嫌な印象が決定的になるシーンが待ちかまえている。オリヴィアに眼を抉られたジェームズ・カーンがふらふらと車道に飛び出し、頭部をタイヤで轢き潰されるラスト・シーンの惨たらしさには絶句するでしょう。

 この映画は猛烈な批判にさらされたそうですが、見れば納得がいく。この作品を発表したあとに製作者たちはキャリアの芽をつまれてしまうが、こんな陰惨な作品を作るような者に誰も予算を与えるはずもない。

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 ただ言えるのはこういった作品でも企画が通って、往年のハリウッド女優を使って撮影し、ついには一般公開できるほど当時のアメリカ映画界は何がつぎに来るのかを模索をしていた途上ということなのかもしれない。

 1964年の公開はヘイズ・コード下では早すぎた一本だったのかということなのかもしれません。表現できるギリギリの線で、殺人やセックスが行われる。この問題作を公開した後、ウォルター・グロウマン監督は監督としてのキャリアが閉ざされてしまいました。

 60年代後半から70年代前半にかけてはいわゆるアメリカン・ニュー・シネマのムーヴメントが起こり、ヘイズ・コード撤廃後のハッピー・エンドでは終わらないモヤモヤした結末の映画が多く作られることになる。ただそれもほんの一時期の気まぐれに過ぎず、『ロッキー』以来、ふたたび元通りのハッピー・エンドのストーリーが大半を占める。

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 じっさい現在のハリウッド・メジャーでは興味本位のグロテスクなホラー映画が多く作られてはいますが、作り物感ははっきりしていて、賛否両論を巻き起こすような作品が製作されることはない。

 実験的な色彩が濃いこの映画ではヴィジュアル的にはオリヴィアが閉じ込められたエレベーターの囲いが鳥かごのように見えて、かなり不気味で強烈な印象を残します。

 外出していった一人息子の帰りのみが生きる望みであったオリヴィアが母親からの溺愛を苦にすでに自殺してしまったかもしれない彼の遺言を面白おかしく悪党に読み聞かされるさまは悲劇的で救いがない。

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 この息子にも多くの問題があるように見える。彼は冒頭で母親と濃厚なキスをする。気持ち悪いとしか言いようのないマザコンぶりにゾッとする。過保護な母親と彼女の呪縛から抜け出せない息子の様子は見てはいけないものを見せつけられる感じでした。

 一方では他人への恐ろしいまでの無関心を描き、もう一方では母親とひとり息子の濃密過ぎる関係を描く。どちらも極端ですが、扱っているのは人間関係の危機です。

 多くのタブーをぎゅっと詰め込んだこの作品がついにWOWOWで放送されたことは非常に意義がある。ただし手放しでは喜べない。通常のいわゆるクラシック作品のストックがすでに底を尽き、一般的な作品ではすでに満足が出来ないところまで観客の欲求はエスカレートし、ソフトが不足しているからこのようなカルト映画の需要が生まれてきているのではないかと思うからです。

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 わが国でも最近の東映の新発売ラインナップを見ていると、かつては極北の見せ物映画と呼ばれたような作品群が一斉にリリースされるというのをアマゾンで発見しました。発売される理由はエスカレートし続ける視聴者の欲求だけではなく、もしかしたら、それほど経営が追い込まれて行っているのではないかということです。

 先日ついに松竹でも『きつね』がリリースされましたし、東映の問題作『女獄門帳 引き裂かれた尼僧』『徳川女刑罰史 牛裂きの刑』が発売されることが決定しました。

 名画座の上映時にしかお目にかかれないようなカルト映画がついに一般視聴者の手にもとりやすくなるのは歓迎すべきことですが、その理由が経営上の困窮からだとしたら、なんだか寂しい。

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 なにはともあれ、この映画で最も悲劇的なのは自分の盲愛のために息子の精神を縛り付けてしまい、結果としてもっとも大切に思っていたはずの彼を死なせてしまう方向に導いてしまったことに気づいたことでしょう。オープニングでもじつは彼はキスされながらも、オリヴィアが後ろを向いた刹那に憎しみに満ちたまなざしを一瞬だけ見せる。

 ウンザリした彼と彼を縛り付けたいオリヴィア。家族との関係性は人間関係の基本ではあるが、そこから抜け出せないと社会生活をまともに送れなくなってしまう。さまざまなことを考えさせる示唆に富んだ一本でした。ぜひにDVDの日本語版を商品化して欲しい。実はティーン・エイジャーになったら、親子で見るべき映画なのかもしれません。

総合評価 95点


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