『感動をどう表現すれば良いのか?』良かった、泣いたをどう言葉にするか。

 映画を観た人の感想でよくあるのが、「泣けました!」「感動した!」との言葉です。それはそれで構わないのだけれども、ではなぜその映画を観て、そういった感想を持つようになったか。他人に伝えるにしては、それではあまりにも語彙が不足してはいないだろうか。

 「いいから観て!」は感情と感想しか伝えていない人々でしょう。「泣けないヤツはおかしい!」は趣味の押し付けでしょう。「まだ観てないの?」は流行に乗っかっていないと安心できない自信のない人でしょう。

 映画の感想に限らず、ものごとを他人に伝えようとする時の伝わり方というのは表現力というコミュニケーション能力の有無によって、かなり精度が違ってきます。だれに何を伝えたいのかによって、文章の構成もレベルもおのずから違ってきます。

 万人向けに作品の魅力を伝えたいのか、それともマニア向けに自分の表現の腕を試したいのか。もしかすると自己満足に終わるかもしれないと覚悟しながら書いている人が何人いるのであろうか。

 でも最初はそんなに心配する必要はないでしょう。徐々に文章を書くということにも慣れてくるでしょうし、自分が何を伝えたいのかがおぼろげに見えてくるのも、書いてこそ分かることです。とにかく感動を人に伝えたい。その強い意思さえあれば、読む人には必ず伝わるのではないだろうか。

 もちろん書き手のレベルの高低、構成の上手い下手はあるでしょうが、プロを目指すのでない限り、あまり気にしなくても良いと思います。書きたいテーマの太い軸があれば、つまり骨子がしっかりしていれば、読み手が読解してくれます。読みやすい文章にするという最低限のルールさえ守れていれば、書き手の個性は伝わります。

 一人一人書き手には個性があり、彼(彼女)が受けた感動を表現するためにはいろいろなアプローチがあるでしょう。何かが心に引っ掛かってきて、心の中で激情が生じ、それが感情の嵐となり、感動していく。フィルムの編集により、制作者によって、自分が心の奥底に本来持っていたエモーションの根っこを刺激されたからこそ、感情が動いたのです。

 では何が引っ掛かったのでしょう。それは人それぞれ違うでしょう。演技を見て、台詞を聞いて、物語の普遍性に共感して、綺麗な撮影に、華麗な衣装に、または女優の悲しげな目のアップがその人の心に引っ掛かったのかもしれません。

 その引っ掛かりを大切にして欲しい。そこにその人独特の感性の敏感な部分が触れているのです。その部分を感性の触覚と呼んでも良いでしょう。偏った見方になってしまうかもしれませんが、最初はそれでも良いのではないでしょうか。そこから感性を拡げながら、「表現」を進めていっても良いでしょう。

 その一点に拘り抜いて、孤高の境地に到達するのも良いでしょう。こだわりは個性であり、多数の人をひきつけることは出来ませんが、必ず共感してくださる方も出てきます。どのような作品に興味が魅かれるかでも、書き手のセンスや嗜好は表れますし、その嗜好に呼び寄せられる読み手も出てくるでしょう。

 映画ジャンルは数多く存在し、ハリウッド、ヨーロッパなど国籍や時代に関係なく、アクション、ホラー、ノワール、コメディ、サスペンス、ラブ・ストーリーなど数え切れません。その中すべてに素晴らしい映画があります。

 時代を超えて、素晴らしい映画は沢山存在していましたが、最近の新作ではなかなかお目にかかれません。絶滅危惧種は良い映画です。宣伝をかけ、一般ファンのお金を集めるブロックバスターだけが映画ではありません。

 もちろんハリウッド娯楽映画にも見所はありますし、ヨーロッパ映画にもクズはたくさんあります。ただ観るのではなく、「良い」なら良い理由を、「ダメ」ならダメな理由を考えてみていけば、幅は断然広がります。「普段は仕事でしんどいのだから、映画ぐらい、のんびり観たっていいだろう!」という意見もあるでしょう。

 癒しとしての映画の効用もバカになりません。では何故映画が癒しになるのかも十分に書くテーマとして使えます。観る時にほんの少し工夫を加えるだけで、これまでとは違う見方が出来るのです。各々の映画の鑑賞姿勢はそのまま書く時の個性になります。

 自分で払って観た映画であれば、誰に遠慮することなく、良いものは良い、ダメなものはダメと理由をつけて、自分の立場を明らかに出来ます。観客が作り出す、そのような土壌がどんどん広くなっていけば、観客の目が鋭くなり、映画製作サイドも緊張感を持った製作姿勢を取り戻さざるを得ない。

 観客が変わらなければ、観客のレベルが上がらなければ、映画製作のレベルも上がらない。というよりは上げる必要がなければ、安易な製作はいつまでも続いていくであろう。メジャーは儲ければそれでよいという姿勢しか持っていない。その流れを変えるのは観客しかない。

 つまりほとんど絶望であるということです。

 さあ、膨大なクズの中から隠れているダイアモンドを探しましょう。そして、その作品と監督に出来るかぎりの声援を送りましょう。全体から見れば、圧倒的な少数派である映画マニアと映画愛好者で現状を変えるのは難しいことではありますが、それでもやっていかなければ、どんどん悪くなっているのは明らかです。

 地味な作品や隠れた佳作に光を当てて、少しでも明るくしていきましょう。クラシック作品を見続けていても、一生かかってもすべてを見ることは出来ないわけですから、わざわざ新作を観なくても済むのですが、後世に残らないものがほとんどなので、時間が勿体無いから観ないなどと言わずに出来るだけ劇場に足を運んで行きたいと思っています。

 感動を文章で表しましょう。誰かに伝わり、誰かの映画の見方の幅を少しでも拡げられれば、素晴らしいことではないでしょうか。そうして鑑賞法の共有化が出来れば楽しいですね。

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