世界映画月間が出来れば、世界平和実現か?映画の面白さって、一体なんだ?(2)

 8月に入ってからは、BSやCSの映画放送も戦争関連作品がかなり多くなってきています。映画ファンとして、平和について建設的に考えるとはどういうことなのだろうか。今回は映画が他の芸術とは違う特徴を持っていること、そしてその特性を生かした貢献は出来ないのかを考えてみました。

 映画芸術が持っていて、他の芸術にはない素晴らしいところは複製が出来るという事でしょう。音楽や演劇も複製できますが、一度に見れたり、聴ける人数に限りがありますし、場所は一ヶ所しかない。音楽といっても、ここではCDやラジオで聴く音楽ではなく、あくまでライブを音楽と定義しています。

 完全に複製できる芸術は映画しかありません。絵画の複製は贋作と呼ばれ、演劇の複製はその時代、国、そして演出家の個性により、大きく様変わりしてしまう。音楽にしても、メンバーが代わったり、その時々の感情によっても出てくる音色は微妙に違う。

 道具類にしても、骨董品的価値のある道具には物珍しさも手伝い芸術性を感じるが、現在使っている量産型の道具や衣装にはひらめきや芸術性を感じない。建築もしかりで、城郭や庭園、歴史ある商家や京都の町屋には重みを感じるが、新興住宅地を見て、芸術を思うことはない。まあ、古ければ良いというわけではありませんが、日常の事物に対して芸術を思う機会はこの国の街並みにおいて、あまりにも少ない。

 僕は奈良に住んでいるので、興福寺、東大寺、唐招提寺、三輪神社、そして平城京跡地を見ようと思えば、週一でも見れるような環境に住んでいますので、比較的に建築芸術に関しては恵まれた場所にいるかもしれません。

 また行こうと思えば、黒澤監督が『影武者』の撮影に使用し、今では世界遺産にも登録されている姫路城にも二時間もあれば、辿り着きます。銀閣や苔寺を観るために、京都にも一時間半で着く距離に住んでいます。しかし国立美術館や知床にはあまりにも遠い。見たい絵が来ても、なかなか見に行く事はできません。

 学生時代には絵画を観るためにニューヨークまで行き、近代美術館やメトロポリタン美術館に5日ほど入り浸っていましたが、お金も時間もなかった自分には、ゆっくりと全部を観るなどという贅沢は叶いませんでした。本当に見ようと思えば、1ヶ月はゆうにかかるでしょう、と館内のスタッフに言われました。

 歴史の荒波にもまれ、それでも生き残ってきた絵画、彫刻、建築物にはそれだけ強い生命力がこもっています。戦火が街を焼き尽くしても、それらの絵画や芸術を守ろうとした多くの市民がいて、はじめて時空を超えた感動を与えてくれるかけがいのないもの、それが芸術ではないでしょうか。

 そこへ行かねば、本物のオンリー・ワンに巡り会えないのが、映画を除く他のすべての芸術なのです。エジプトのピラミッドがどれだけ大きいかは行った者でないと分からない。どれだけ暑く、どれだけ乾いていて、どれだけ俗悪な見世物にされているかは実際に行かねば分からない。人工のものではありませんが、ナイアガラの滝がどれだけ水しぶきを上げているかは行かねば分からない。

 その点、映画であればその気になれば、プリントを量産すれば、世界中の都市で同時に『見知らぬ乗客』を観る事も可能になります。まさにゴダールが言ったように「セザンヌの絵は数万の人が見た。『見知らぬ乗客』のライターは数億人が覚えている」を現実として受け入れる環境も作れます。

 地球規模で同時に共有できる唯一の芸術が映画です。大事にしないといけません。金目当てにTVとタイアップする以外には何も考えられないような日本や、リメイクばかりでお茶を濁そうとしている、嘆かわしいハリウッドを含めた映画会社や映画雑誌出版社は本気で悔い改めるべきなのです。こう言いたい。あなたがたは映画の可能性を軽視しすぎている。

 「世界映画月間」とかを作って、毎年30カ国程度が持ち回りで自国作品を1本ずつ上映していけば、5年か6年で全世界の映画を観ることになるわけで文化の共有と民族理解が深まるのではないだろうか。

 普段から映画で親しみを感じていれば、やたらとバンバン殺し合わずにすむのではないでしょうか。イスラエル映画を観るパレスチナ人とパレスチナ映画を観るイスラエル人が増えれば、情勢も少しずつでも変わってくるのではないか。

 また各国その機会が回ってくるのは5年に一回なので、気合の入った映画を楽しめるのは間違いない。そして五年に一回、全世界の国の作品を観終わってから、各国が代表を選出して、素晴らしかった作品ベスト10を記入させて、一位が10点、10位が1点とかで集計し、世界映画大賞とかを選出していけば、さらに盛り上がっていくのではないでしょうか。

 映画賞って、別に毎年決める必要があるとは思いませんしね。アカデミー賞ひとつ取っても、歴代の作品に比べ、最近10年間では映画的な質が上がっていると思える作品にはなかなか
巡り会えないのが現状です。

 日本も賞を取りに行くのならば、『平家物語 完全版』とかを2000億くらい掛けて制作して欲しいものです。『古事記』、『関ヶ原合戦』、『源氏物語』などきちんと作れば、とんでもない大きな文化財産になります。

 「牛若丸と弁慶」、「平家の繁栄」、「壇ノ浦」、そして後日談としての「国敗れて、山河あり」までの4部構成にすれば、おそらく10時間を越える作品になるでしょうが、二部ずつの4時間上映をすれば、10年間(5年に一回制作していくと仮定しているため)は『平家物語』に取り組む事になり、色々な技術や文化を再発見できる。

 「敦盛の最期」や「義経の最期」がどのような演出になるのか、「義仲の上洛と敗走」での天地の境遇の差をどう表現するのかとか期待すると楽しそうです。各国のプライドをかけた素晴らしい映画を数多く観れて、しかも文化交流になるという一石二鳥の案ですが、スペクタクル映画ばかりになり、各国の歴史観を問いただされる厳しい一面もあるかもしれません。

 映画を観て、平和が訪れるというのは馬鹿げているかもしれませんが、とりあえず僕も苦手な中国映画や韓国映画を観なければいけないのかなあ。

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