『刑事コロンボ 秒読みの殺人』(1977)TVシリーズなのですが、日本では「映画」ですね。

 刑事コロンボ・シリーズというと、本来はTVフォーマット用の番組なのですが、たしか日本では『水曜ロードショー』で定番として長期放映されたため、「映画」として受け取られている作品群ですね。実際の出来栄えも素晴らしいものが数多く存在し、記憶に残っているものも多数あります。その中のひとつが、今回とり上げた『秒読みの殺人』です。

 はじめて見たのは小3くらいで、映画技師のフィルム交換の見事さと、実際の仕事ぶりに興味が湧きました。なかでも映写室の中には、二つのオープン・リールの映写装置が備えられていて、一巻ごとに交互に交換して映写していくというのは、本当に驚きでした。交換の早業と、それをトリックに使うアイデアの斬新さが強く印象に残りました。

 のちに『ニュー・シネマ・パラダイス』を観た時も、真っ先に思い出したのが、この『秒読みの殺人』だったのです。テーマは全く違いますが、あの映画での映写室でのやりとりからは、コロンボの記憶を呼び戻されたのです。

 それまでは映画を見ていて、何故か時折、右上に出てくる丸い模様のようなものが見えても、何かゴミでも映ってんだろうと思っていましたが、あれがフィルム交換のタイミングを示す、目印である事にはじめて気付かせてくれた、映画の教科書でもあります。

 その後、何度かTVで見たり、ビデオで見たりしましたが、今回、再び約10年ぶりに見る事になりました。普段、映画を吹き替えで見ることは全く無いのですが、刑事コロンボ・シリーズ、Mr.ブー・シリーズ、ジャッキー・チェン出演作のみは別で、吹き替えの方が楽しく見ることが出来ます。

 小池朝雄=ピーター・フォークなのです。身体はピーター・フォークで、声は小池朝雄で、違和感が全く無いのです。勿論、ピーター本人のしわがれた声も大変魅力的であり、どちらでも楽しめるのですが、小さい時からの刷り込みのためか、声は小池さんの方がしっくりきます。

 さて作品ですが、オープニング・シークエンスの会話の中で、とても印象に残るものがありました。それは映画製作の現場の責任者と、アシスタント・プロデューサー(以下AP)との間で交わされたもので、映画の編集についての会話シーンです。

 徹夜らしき現場で、撮影をやっとの事で撮り終えた製作者に対して、APが「じゃあ、後の編集はやっておく」と伝えると、製作者が「一番良い所を持っていくな」と笑いながら答えるシーン、つまり、編集こそが映画の醍醐味である事を、観客に解らせる、このオープニングの出来栄えは最高であり、今回このような会話シーンがあったことに、はじめて気が付きました。

 コロンボシリーズを見続けた理由は一体なんだったのだろう。この作品群はミステリーという枠には納まりきれない魅力があるように思えます。そもそも作品開始後、10分以内にほとんどの被害者は殺され、加害者と映画ファンのみが、犯人を知っているという優越感はなかなか他の作品では味わえない。

 コロンボを愛おしく思う、理由の第一は、我々がコロンボよりも、真実を知っているという事ではないでしょうか。彼がどうやって、真実に迫っていくのかを応援しながら、神の視点で見る作品、それがコロンボなのです。我々より下に位置するが、必ず問題を解決する、むさ苦しい神の子が、この映画の主役です。そういえば『ベルリン 天使の詩』でも元天使でしたね。

 TV映画というと、映画ファンは冷たい視線を送りがちではありますが、優れた作品も存在している事に改めて気付かされました。何処の現場でも、製作は一所懸命にやっているんですね。

 ただの謎解きだけではなく、いろいろな業界の内幕をも、皮肉を込めて、またユーモアたっぷりに作品に盛り込んで、製作され続けてきたのが、この『刑事コロンボ』シリーズなのでしょう。大好きなシリーズでもあり、最近レンタル店でもDVDが多く在庫されつつあるので、全部見直せたら良いなあと思っています。
総合評価 78点

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