『見知らぬ乗客』(1951)ストーカー映画の原点とも言える、ヒッチ先生の絶頂期に作られた代表作です。

 1951年製作、レイモンド・チャンドラー脚本による、アルフレッド・ヒッチコック監督の絶頂期に作られた傑作のひとつであるとともに、ストーカーを扱った映画の原点ともいえる作品でもあります。当時は、サイコ・キラーの一形態として珍しいタイプの犯人像として提示してきたのでしょうが、今現在では、そんなに珍しくもないありふれた犯人像を描いた作品になっています。公開された時よりも、むしろ今のほうが、しっくりくる作品かもしれません。嫌な世の中ではあります。

 この作品は映画表現の宝庫であり、スタイリッシュな表現の見事さは、ヒッチ先生の他の作品と比較しても、一二を争うほどの出来栄えです。特にオープニング・シークエンスでの、2人の人物の「足」だけで動きを表現して、彼らが列車に乗り込み、向かい合わせに座るまでを一気に描く手腕は圧巻としか言いようがありません。この一連のオープニング・シーンを見るだけでも、脂の乗り切っていて、撮影と演出のアイデアが冴え渡っていた、その当時の絶好調のヒッチ先生の充実振りがうかがえます。

 またこの時に常に主人公は右側に配置され、歩く方向も左から右に固定されていました。反対にストーカーは左側に配置され、歩く方向は右から左に固定されていました。映画の文法に則った古典的手法を遵守しながら、革新的なアイデアを盛り込んでいったからこそ、ヒッチコック監督作品は広く世界中の映画ファンに受け入れられて、今でも人気が高いのです。

 物語の内容としては、今でも「土曜サスペンス劇場」で、たまに使われる「交換殺人」が表テーマとなってはいますが、殺人犯のマザコンやファザコンなどに見られるような心理的な情けなさと、なんでも自分の思い通りにならないと他人を責めることしか出来ない、幼児的な「だだっこ」のような身勝手さを見せつけられる作品です。

 犯人としては、お互いに納得づくで「交換殺人」を進めたはずだったのに、精神異常からか、独りよがりで、相手の憎い対象を勝手に殺してしまい、その相手に自分の憎い人も早く殺してくれと無理強いする異常性は、当時よりも、むしろ精神を病んだ人間の増えている現在の方が、犯人の心理も理解できるようになってきているのではないか。

 ヒッチとレイモンドは誰も理解できない怪物(サイコ・キラー)を作り出したはずが、50年以上経っている、21世紀の現在では、普通の病んだ犯罪者程度に成り下がってしまっている異常さを知れば、どういった反応を示したのであろうか。

 この作品で光るものは脚本のアイデア、演出の見事さ、そして俳優陣の巧みさでした。特に優れているのは主人公の悪妻を演じたローラ・エリオット、そして主役のファーリー・グレンジャーを食ってしまった感のある、ストーカーの殺人鬼を演じたロバート・ウォーカーの見事な演技が光ります。

 ヒッチ作品には、しばしばこういったタイプの魅力的な悪役が登場しますが、ヒッチは悪役がしっかりと機能しないと、作品がしまらないことを理解していて、彼を使ったのでしょう。ヒロインを演じたルース・ロマンもまあまあの美人なのですが、妹役で登場するヒッチの娘であるパトリシア・ヒッチコックよりも、存在感を持っていません。映画内での女性役を務めた3人の女のうち、印象に残っているのは、彼女の妹(パトリシア)と殺されたいやみな悪妻(ローラ)でした。

 ヒッチ作品のお楽しみであるマクガフィンですが、今回の小道具は「ライター」でした。しかし、それ以上に印象に残っているのは「眼鏡」です。初めて犯してしまった「殺人」、もともとはただの自立できない「子供」であった彼にとって「眼鏡」は、その記憶を思い起こすトラウマになってしまったのではないだうか。

 ストーカーを無視しようとしたり、逃げ回ったりする主人公からすると、理解不能な、わずらわしい異常者だったかもしれませんが、彼(ストーカー)からすると、主人公はゲームのルールを守れない遊びがいのない、だめな友達だったのかもしれません。ゲームを終わらせるまで帰らないというのはまさに「だだっこ」です。ヒッチ先生はストーカーの本質とは、大人になりきれない子供である、ということを50年前に既に喝破しています。

 回転木馬というシンプルな、しかも最も遊園地らしい乗り物で、犯人を倒すのは演出としては優れたものです。子供っぽい性格の犯人が、子供の乗り物で殺されるのは皮肉としては最高です。回転木馬に翻弄される二人の戦いは、この作品のハイライトであり最大の見所でもあります。

 移動はしないが激しい回転を伴う、木馬から逃れようとしてもがき、状況から抜け出そうとして結局、勝者(結婚と自由)と敗者(罪人としての最後と、子供の遊びの施設のために、身動きが取れなくなり死を迎えるぶざまさとみじめさ)に分かれていくシーンが最も記憶に残るシーンとなりました。回転木馬での子供たちの純粋さと楽しい笑顔と笑い声、それとは対照的な苦痛に満ちた男の顔と醜い大人の荒い息づかいが、対位法の効果をも生んでいます。

 回転木馬、これは人生のルーレットでもあったのです。一方は死に、もう一方は生き残る。子供の夢の場所である遊園地において、大人になりきれなかった2人の人間(元妻と犯人)が最後を迎えるというのは、何たる皮肉か。極論すれば、主人公にとってはわずか数日の間に、死んで欲しい人間が全てこの世からいなくなる、という最良の日々でもありました。軸を持ち、移動はできない回転木馬という乗り物は、その中で格闘する2人の男をあざ笑い、突き放すように回転という速度と遠心力による苦痛を与え、一方の命を奪いました。

 ゴダールは言いました。「セザンヌのリンゴは1万人が見た。『見知らぬ乗客』のライターは10億人が覚えている」と。僕も覚えています。ヒッチコック監督作品の中では、忘れられない作品のひとつでもあります。後年、TVドラマ『CSⅠ』を見ていた時に、この作品のポスターが飾ってある部屋が出てきたのには嬉しくなりました。名作のひとつに数えても良い作品です。
総合評価  85点
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