『ヒッチコックの恐喝』(1928)流石のヒッチにも迷いが見えるサイレントとトーキーの端境期の作品。

 ネタバレあり。

 ヒッチ先生、初のトーキー作品という記念碑的な作品です。しかし流石のヒッチ先生でもこのトーキーというものをどう使っていけばよいのだろうかとお悩みのようです。ストーリーとしては1920年代の大英帝国において、ヒロインのしたことは、とんでもないスキャンダラスな行動だったと思われます。

 いまでもほとんどの人は、出来ればいくら自分の責任で人が死んだとしても、なるべくならその責任から回避しようとするでしょう。第二次大戦前に、これが上映されていたことを考えると、英国は軍事面のみでなく、文化の面でもわが国より相当進んでいたことを実感しました。

 また劇中で映画を観るかどうかで揉めている時に、その観ようとするタイトルが「指紋」であること、そしてラストシーンにおいて、彼女の指紋が、ばっちりと残っている「絵」が押収されてきたところで映画がエンディングを迎えるところは素晴らしく、観客に対して「何から何まで口で説明しなくとも、映像を見ているだけで理解できるんだよ」というヒッチ先生の悪戯っぽい演出意図と、サイレントで映画を作ってきたことへの誇りを感じました。

 映画のエンディングを迎えた後に、劇中での新たな未来(第二幕)を我々に暗示するラストシーンは優れています。罪から逃れられたように見せかけておいて、犯罪者にハッピーエンドを用意していない点では、最後まで緊張を強いてくる作品でした。このあとに結局は彼女も捕らえられることになるのを想像するのはそう難しくはありません。

 ただし映画の見た目を左右する、主演俳優は並で、助演は最低でした。いい脚本も演技しだいでは駄作になってしまうという見本です。実際この女優は英語が全くだめで(ドイツ人)、横で「声」の出演者がアクションと同時に声を入れていたそうです。

 そういう俳優調達面での苦労はあったにせよ、もちろんヒッチ先生の好みは出ています。昔から「階段」はかなり好きなようで、ここでも『めまい』のようなアングルの階段のショットを入れています。また「絵」が最初は好意的なものとして、そしてラストでは(同じ絵が今度は破れたもの、破綻して欠落するものとして)彼女のその後の人生の象徴として登場しています。

 また大英博物館のシーンでのシェブロン・プロセスを用いた撮影には、はやくもヒッチ先生の特撮好きの様子が目に浮かんできます。また音楽面でも工夫がなされ、彼女を部屋でくつろがせるためと嫌がらせをするための二箇所で音楽を使っています。つまり同じ音と同じ絵が後々には逆の意味を持ってくるのです。トーキー初作品なので比較は難しいのですが、彼のスタイルはもうしっかりと感じることが出来ます。

 オープニング・シークエンスがあまりにも説明的過ぎること、また不必要に音楽を入れすぎているなど、ヒッチ先生もトーキーであるということを意識しすぎたようです。どうしても前科者であることを示したかったのであれば、刑務所から出所するところのみでも十分だったのでは....。

 その他のシーンはテンポが良く、早くも見る人間に作品への興味と緊張を持たせ続けていくマクガフィン(ここでは指紋)も登場しており、全般的には好意的に受け止めることが出来ます。

総合評価 71点

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