『素晴らしき日曜日』(1947)黒澤監督が小市民の一日を切り取った、隠れた佳作。ネタバレあり。

 黒澤明監督の撮った現代劇の中で、もっとも素敵な作品です。オープニングでの、シューベルトによる『楽興の時』は暗い気分をうきうきさせてくれます。同じシューベルトの作品である、クライマックス・シーンでの『未完成交響曲』ばかりがクローズ・アップされますが、個人的にはこの『楽興の時』がとても好きで、今でもその音楽を聴くためだけに、このDVDを見ることがあります。

 そして先日には、とうとう『楽興の時』が収録されているCDを買ってしまいました。この作品が名作に成り得なかった問題点、言い換えれば難があるとすれば、それはセットに奥行き感が無いことと、主演の沼崎さんの演技の幅が狭いことです。

 戦後すぐの、焼け跡がまだそこかしこに見られる街で、お金はないが夢だけがある、ごく普通の容姿のカップルの、とある日曜日にスポットを当てるという、東宝の現行システムでは、絶対に企画が通るとは思えない、ある意味で黒澤監督、そして当時の東宝の気風を感じることのできる佳作です。
東宝には、こういう気概を、儲かってしょうがない今こそ見せて欲しいものです。

 前半から中盤にかけてのみすぼらしさとみじめさ(いちいちお金を使うたびに残金を数えたりするところや、浮浪児童との交友のシーンは圧巻です。)を表現したリアリズムの視点、そして後半の指揮シーンでの打って変わったような実験的及び演劇的な手法はとても斬新で、よく出来ていて、日本映画の実力を感じます。

 戦後すぐの作品で、しかもリアリズム作品として展開されていく中で、突然に観客に向かって語りかけるという型破りな演劇のような作風に圧倒されてしまいました。若くして亡くなった沼崎勲さんを主役に起用し、ヒロインには先日亡くなった中北千枝子さんを持ってくるという、「華」の無い驚きのキャスティングをしていますが、この映画には三船さんでは無理があるので、これでよいのだと思います。

 ただ黒澤映画にはもう一人の性格俳優の森雅之さんもいらしたのですから、彼が主役をしておられれば、もしかすると日本映画史に残る作品になっていたかもしれないと思うとかなり残念です。なぜならば、あまり沼崎さんが魅力的には見えないからです。それがリアリズムを生んでいるのだといえばそれまでですが、後々の作品でも彼の復帰が無いことからも監督自身は彼を気に入ってはいないことは明らかです。

 撮影は遠くのカメラから行うことにより、より自然な、そして突き放した作風に仕上がっています近くに寄っていくところはきちんとカメラが寄り、それ以外は離れた位置から撮影していく。メリハリがきちんとされています。戦後の風景もようやく復旧しようとしている最中の混乱の名残と未来へのほのかな希望と現実の厳しさを上手く切り取っています。
 
 演劇手法に切り替わっていく有名な『未完成交響曲』のシーンも、僕は家でDVDを見ながら泣きそうになりながら拍手をしていました。こんなに素晴らしい作品が、あまり人に知られていないのは驚きを通り越して怒りすら覚えます。黒澤監督の個性は時代劇よりもむしろ現代劇のほうが、より強く発揮されています。

 監督の「怒り」、「やさしさ」、「人間らしさ」、そして演出の美しさにおいてです。何よりも我々が覚えておかなければならないことは、この作品が昭和22年制作の作品であるのにもかかわらず、全く古びていないことです。人間の本質をきちんと描いた作品は、時代が変わってしまったとしても生き抜いていくのです。 

 シューベルトによる『楽興の時』を使用した素晴らしいオープニングの「希望」の演出、劇中での「街並みの息吹」そして同じくシューベルトによる『未完成交響曲』のほろ苦さ。特に『未完成』はいろいろな意味が含まれているのではないでしょうか。嫌なことばかりだった日曜日のデート、二人の将来、暴力団の横行とまだ回復していない治安、街の、言い換えれば国の復興などさまざまな事象の「未完成」をこの作品で垣間見ることが出来ます。

 付け加えるならば、この作品を観ても、劇場で拍手できなかった、当時の人たちの「文化」への余裕の無さ、そして感情表現をきちんと人前で表せない日本人そのものの「未完成」。個人的には冒頭で述べたように『楽興の時』がたいそう気に入ってしまいましたので、より好印象を受ける作品となっています。

 リアルな、あの時代の街並みを美化することなく、また卑屈になることもなく、正面から堂々と描いています。またメイン・シーンである野外音楽堂も、コンクリがただ塗りたくってあるだけの質素で粗末な造りですが、これが現実の冷たさと(誰一人として彼らに注目する人がいないのです。ここはホールなのに。)厳しさを彼らにこれでもかと浴びせかけています。

 ただ背景があまりにも平面的であり、質感に欠けています。駅のセットもあからさまにセットであることがわかり、シーンの現実味を帯びてきません。細かい部分の作りこみがこの手のリアリズムの観点を持つ作品では重要であるはずですが、納得できない環境でした。セットを組まざるを得なかった理由は、主演の沼崎がロケで群衆に囲まれると緊張してしまい、芝居が出来なくなってしまったからだということを黒澤関連の著書(タイトルまでは覚えていません。申し訳ない)で読みました。

 もしオール・ロケで一本の映画を撮れていたならば、ヌーヴェル・ヴァーグよりも10年早く映画革命を起こせていたかもしれないと思うと、とても残念です。実験的な前衛性とネオリアリズムを組み合わせた素晴らしい作品になっていたかもしれないのです。森さんが主演だったならば、出来たかもしれない。返す返すも残念です。

 黒澤監督の現代ドラマといえば『生きる』などがありますが、この作品の素晴らしさは、それらに対しても劣るものではありません。ただ悔やまれるのは主役の弱さです。スター不在による感情移入の困難さという致命的な欠点を抱えています。一連の東宝ストライキの後遺症のためか、スターがごっそり抜けてしまったという背景もあるので、一概に沼崎だけを責めるのは酷ですが、魅力の無い者は主役を務めるのは容易ではありません。

 反面、実物大の人物を描いたという意味では、リアリズム主義の人にとっては良い作品であり、実験劇としても『未完成交響曲』シーンのおかげもあり、日本的ではない映画の面白さを味わえます。とても素敵な作品であり、時代劇映画でしか黒澤明監督作品を見たことがない方には驚きをもって迎えられることでしょう。音楽と映像が一体となり、演劇とリアリズムのそれぞれの良さが見られる好例となる作品です。

総合評価  79点
素晴らしき日曜日
素晴らしき日曜日 [DVD]

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