『感動をどう表現すれば良いのか?』良かった、泣いたをどう言葉にするか。

 映画を観た人の感想でよくあるのが、「泣けました!」「感動した!」との言葉です。それはそれで構わないのだけれども、ではなぜその映画を観て、そういった感想を持つようになったか。他人に伝えるにしては、それではあまりにも語彙が不足してはいないだろうか。

 「いいから観て!」は感情と感想しか伝えていない人々でしょう。「泣けないヤツはおかしい!」は趣味の押し付けでしょう。「まだ観てないの?」は流行に乗っかっていないと安心できない自信のない人でしょう。

 映画の感想に限らず、ものごとを他人に伝えようとする時の伝わり方というのは表現力というコミュニケーション能力の有無によって、かなり精度が違ってきます。だれに何を伝えたいのかによって、文章の構成もレベルもおのずから違ってきます。

 万人向けに作品の魅力を伝えたいのか、それともマニア向けに自分の表現の腕を試したいのか。もしかすると自己満足に終わるかもしれないと覚悟しながら書いている人が何人いるのであろうか。

 でも最初はそんなに心配する必要はないでしょう。徐々に文章を書くということにも慣れてくるでしょうし、自分が何を伝えたいのかがおぼろげに見えてくるのも、書いてこそ分かることです。とにかく感動を人に伝えたい。その強い意思さえあれば、読む人には必ず伝わるのではないだろうか。

 もちろん書き手のレベルの高低、構成の上手い下手はあるでしょうが、プロを目指すのでない限り、あまり気にしなくても良いと思います。書きたいテーマの太い軸があれば、つまり骨子がしっかりしていれば、読み手が読解してくれます。読みやすい文章にするという最低限のルールさえ守れていれば、書き手の個性は伝わります。

 一人一人書き手には個性があり、彼(彼女)が受けた感動を表現するためにはいろいろなアプローチがあるでしょう。何かが心に引っ掛かってきて、心の中で激情が生じ、それが感情の嵐となり、感動していく。フィルムの編集により、制作者によって、自分が心の奥底に本来持っていたエモーションの根っこを刺激されたからこそ、感情が動いたのです。

 では何が引っ掛かったのでしょう。それは人それぞれ違うでしょう。演技を見て、台詞を聞いて、物語の普遍性に共感して、綺麗な撮影に、華麗な衣装に、または女優の悲しげな目のアップがその人の心に引っ掛かったのかもしれません。

 その引っ掛かりを大切にして欲しい。そこにその人独特の感性の敏感な部分が触れているのです。その部分を感性の触覚と呼んでも良いでしょう。偏った見方になってしまうかもしれませんが、最初はそれでも良いのではないでしょうか。そこから感性を拡げながら、「表現」を進めていっても良いでしょう。

 その一点に拘り抜いて、孤高の境地に到達するのも良いでしょう。こだわりは個性であり、多数の人をひきつけることは出来ませんが、必ず共感してくださる方も出てきます。どのような作品に興味が魅かれるかでも、書き手のセンスや嗜好は表れますし、その嗜好に呼び寄せられる読み手も出てくるでしょう。

 映画ジャンルは数多く存在し、ハリウッド、ヨーロッパなど国籍や時代に関係なく、アクション、ホラー、ノワール、コメディ、サスペンス、ラブ・ストーリーなど数え切れません。その中すべてに素晴らしい映画があります。

 時代を超えて、素晴らしい映画は沢山存在していましたが、最近の新作ではなかなかお目にかかれません。絶滅危惧種は良い映画です。宣伝をかけ、一般ファンのお金を集めるブロックバスターだけが映画ではありません。

 もちろんハリウッド娯楽映画にも見所はありますし、ヨーロッパ映画にもクズはたくさんあります。ただ観るのではなく、「良い」なら良い理由を、「ダメ」ならダメな理由を考えてみていけば、幅は断然広がります。「普段は仕事でしんどいのだから、映画ぐらい、のんびり観たっていいだろう!」という意見もあるでしょう。

 癒しとしての映画の効用もバカになりません。では何故映画が癒しになるのかも十分に書くテーマとして使えます。観る時にほんの少し工夫を加えるだけで、これまでとは違う見方が出来るのです。各々の映画の鑑賞姿勢はそのまま書く時の個性になります。

 自分で払って観た映画であれば、誰に遠慮することなく、良いものは良い、ダメなものはダメと理由をつけて、自分の立場を明らかに出来ます。観客が作り出す、そのような土壌がどんどん広くなっていけば、観客の目が鋭くなり、映画製作サイドも緊張感を持った製作姿勢を取り戻さざるを得ない。

 観客が変わらなければ、観客のレベルが上がらなければ、映画製作のレベルも上がらない。というよりは上げる必要がなければ、安易な製作はいつまでも続いていくであろう。メジャーは儲ければそれでよいという姿勢しか持っていない。その流れを変えるのは観客しかない。

 つまりほとんど絶望であるということです。

 さあ、膨大なクズの中から隠れているダイアモンドを探しましょう。そして、その作品と監督に出来るかぎりの声援を送りましょう。全体から見れば、圧倒的な少数派である映画マニアと映画愛好者で現状を変えるのは難しいことではありますが、それでもやっていかなければ、どんどん悪くなっているのは明らかです。

 地味な作品や隠れた佳作に光を当てて、少しでも明るくしていきましょう。クラシック作品を見続けていても、一生かかってもすべてを見ることは出来ないわけですから、わざわざ新作を観なくても済むのですが、後世に残らないものがほとんどなので、時間が勿体無いから観ないなどと言わずに出来るだけ劇場に足を運んで行きたいと思っています。

 感動を文章で表しましょう。誰かに伝わり、誰かの映画の見方の幅を少しでも拡げられれば、素晴らしいことではないでしょうか。そうして鑑賞法の共有化が出来れば楽しいですね。

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この記事へのコメント

2007年07月12日 22:05
こんばんは。
興味深く、記事拝読させていただきました。
私は、

>自己満足に終わるかもしれないと覚悟しながら書いている人が何人いるのであろうか。

まさにこれですね。
残念ながら、語彙も表現力のないので・・・。

ただ、ひょっとして、私の記事を読んでくれて、へたな文章ながらも、そして、紹介した作品のセリフひとつにでも、興味をもってくれて、1人でも間違ってでもいいので、見てくれたら、そう思っております。
心の内の思いはもっと傲慢で図々しく、そしてその作品に対する熱い思いはありますが、現実的に無理なのでね・・・。
では、また。
2007年07月13日 00:08
 イエローストーンさん、こんばんは。コメントをありがとうございます。
>紹介した作品のセリフひとつにでも、興味をもってくれて
 まさにその通りですよ。個人的には書いたものを通して、読まれた方がなにかしらのメッセージを受け取ってもらえれば、それで十分だと思っています。ではまた。
トム(Tom5k)
2007年07月15日 15:08
>用心棒さん
映画の感動は、他の芸術や文化に比して表現しにくいものかもしれません。それは視覚の文化だからだと思います。想像して思考するというよりも、作者の意図する方向に引きづり込まれてしまうために主体的になれなくなってしまうからです。
オカピーさんもいっている映画独自の感想となると、ますます難しいのではないでしょうか?
内容やメッセージは舞台や文学と同様のものであり、独自性がない。
では、映画を観ての一番の感想の主眼はというと、わたしの場合に中心に置いていることは、何が思い浮かんだかと言うことです。そして、その思い浮かんだもの、それをどう整理していけばいいのかが、観る側の主体的な感想であり、より深い感動に結びつくものなのではないでしょうか?

ところで、オカピーさんとの対談集の記事をアップしました。新しい発見も多くあり、有意義です。
では、また。
2007年07月15日 22:49
 トムさん、こんばんは。
>何が思い浮かんだかと言うことです。
 ドキッとしました。僕も全く同じです。フィルムを観て、作品に感情を誘導されながら、どんな反応をというか、「反射」といってもよいような感情と意志の高揚を引き出されるかということこそがもっとも「面白い」体験ですね。
 ではまた。
2007年07月16日 10:30
こんにちは。
今一度お邪魔します。
上のトムさんのコメントで、
>作者の意図する方向に引きづり込まれてしまうために主体的になれなくなってしまうからです。

ここですが、あくまでも私の考えですが、それが一番いいのではないでしょうか。つまり作り手、監督がどう伝えたいという思いがそのフイルムにこめられそれが映像化されているとおもうのです。私は映画は監督のものだという考えです。そこを感じとる。ただ、見た側はすべて同じ思いを感じない。どう感じとるか、どのような感想をもつかは様々です。ただ、正解があるとするとそれは作り手の意図したところになるのではないでしょうか。そして、繰り返しになりますが、そうであっても様々な思いがみた側に生じる、そこが面白いのでは。
気にさわったらすみません。私は皆さんほど、映画に精通しておりませんが、私はそう思うのです。
2007年07月16日 10:31
そして、以前オカピーさんが心配されておられた映画の質という部分はたしかに心配で、見る側の質も僭越ながらそれはあるのかとも思いますが、ただ映画を愛するものとしては、なんいていうのでしょう、当然、そうできる方はそうすることがいいのですが、そのう映画を難しいものにしたくないという思いがあるんです。全員が批評家になる必要はないと。映画は誰がみてもいいし、またそうあるべきだと。鑑賞して、面白かった、ではたしかに本当にその映画を理解していないのかもしれません。もったいないでしょう。しかし、私はそれはそれでよいのではないかと思うのです。言葉にできればそれがいいです、ただ何かを感じ、そしてひとつでもいいと思ったセリフがあったならばそれはそれでいいのではと・・・。
どうかお気を悪くなさらずに。お邪魔をしてすみません。またお邪魔します。
2007年07月16日 10:37
追伸

どう感じるかは自由ですが、以前の記事でコンメントさせていただいたように、誰がみてもいいのですが、鑑賞する姿勢というのでしょうか、常識的な部分は守ってほしいものです。
何度も失礼しました。
トム(Tom5k)
2007年07月16日 19:12
>イエローストーンさん、こんにちは。
>映画は誰がみてもいいし、またそうあるべきだと・・・。
芸術・文化(ひとの生活)全般にいえることかもしれませんが、いろいろな理屈が映画を方向付けしてきたことも事実であり、それがなければ映画の現在はなかったと思います。
現在、イエローストーンさんが、そうおっしゃられていることは、それが深く世に広まって常識になったからであり、聖書や仏典を読まずしても隣人愛や慈悲心のことは、誰でもわかるということと同様ではないでしょうか?
危機感はそれらの常識すらなくなってきていることだと思います。映画においても同様ではないでしょうか?
もちろん、いきなり聖書や仏典を説くところからこだわっていくのか、最低の常識を広めていくところから始めるのかは、難しいところだと思います。
トム(Tom5k)
2007年07月16日 19:13
>続き
いずれにしても、何もしなければ、つまり掃除や洗濯、料理、雪かき、をしなければ生活の場はメチャメチャになってしまいます。
文化や芸術においても、受益者であることとしてするべきこと、考えるべきことはあるように思います。
それは映画の間違った未来、方向に行かないよう模索すること、観客としては主体的に映画を受益することなのではないかと考えるわけです。
黒澤明の『影武者』では、魅力在る煽動者に引きづり込まれることの悲劇が描かれていました。
主体性を持たないことの末路が、いかようなものか、わたしは恐怖で足がすくみます。
特に視覚文化の恐ろしさは、そこにあるような気がしているのです。
生意気言ってすみません。
では、また。
2007年07月17日 00:47
 トムさん、イエローストーンさん、こんばんは。台風は大丈夫でしたか?
 リュミエル兄弟やメリエス以来、ニッケルオデオンを例に挙げるまでもなく、映画の起源としては芸術というよりも、労働者の娯楽という性格のほうが圧倒的優位を占めておりました。
 その娯楽一辺倒の流れがグリフィスによって芸術性が覚醒されて変わりだし、ブニュエル、エイゼンシュテインらによる芸術性を高める運動が強い影響力を持ち、「娯楽か芸術か?」の両者のせめぎ合いが世界中でおこり、ウェルズの『市民ケーン』という幸福な結婚を生み、大雑把に過ぎますが、芸術性のヨーロッパと娯楽のハリウッドと二極化し、それが今に至るまで続いています。
2007年07月17日 01:02
 続きです。
 娯楽性は観客のため、芸術性は制作者のためという比較的単純な構図を見ることも可能ではありましたが、現在では製作し儲ける映画会社らスポンサーの意向がもっとも重要であり、広告代理店との二人三脚による利益最優先の姿勢に胡散臭さを感じ取ってしまいます。
 観客が持つべきなのは映画会社と代理店による利益重視にはっきりと「NO!」を突きつけることでしょう。
 安っぽい感動作など必要ありません。そもそも何故映画を観て感動しなければいけないのでしょう。重たい映画、考えさせてくれる映画は観客動員が見込めない。
 よって、考えなくても良い、肩肘張らずに観られる安易な作品が氾濫していく。その流れはさらなる安易な亜流を生み出し、作品、業界、観客のすべてが落ち込んでゆく。
 その速さはどんどん加速されています。正常化させるためには映画を成り立たせる大きな要素のひとつである観客が成長して変わるのがもっとも効果的です。
 なかなか難しいですけどね。でも何もしないというのが一番良くないので、蟷螂の斧になろうとも、鶏口でありたい。ではまた。
2007年07月17日 14:02
トムさん、用心棒さん、こんにちは。
私はあまり難しいことは分かりませんが、確かにおっしゃる点も分かります。結局私も作り手の思いがあるといいながらも、鑑賞側の思いは様々と、これはやはり主体的に映画を受益することを自ら言っているんですね。そして、利益最優先の所謂現場サイドでなく、会社側の意向、これも現在は目にあまるものがありますね。あまりに安易に続編に頼りすぎるし、安易に漫画等の原作の映像化が多いですね。そして上映回数優先のシャクと編集。私も作品の質の低下は防ぐべきだし、それはやはり観客側が厳しくなる必要性は感じます。ただ、完全に矛盾するんですが、私の個人的思いは、映画は監督のもので、映画は娯楽であってほしいんです。これは私が、ほとんどその手の作品しか鑑賞しないからなんですが、映画を楽しみたい、そして多くの人に見てもらいたいという思いがあるんですね。
2007年07月17日 14:03
映画を楽しみたい、そして多くの人に見てもらいたいという思いがあるんですね。記録映画でない限り、テーマは重くてもいい、シリアスな内容でも、その画に、芸術性を求めてもいい、ただやはり悲しい内容であろうとスクリーンを楽しみたい、いかなる内容でも娯楽であってほしい・・・。何て言うんでしょう、うまく言えないな~・・・。スミマセン・・・・・

ただ、一般的な意味の娯楽作品の中でも観客の質というか、鑑賞態度の問題で、ひとつ許せない点があります。説明セリフです。あまりにも多い。これはTVのある脚本家が言ってましたが、あるTVドラマで全てをセリフで発してしまう。何故なら視聴者を信用していないから。TVは画面に集中せず、何かしながら見る人がほとんど。これでは画だけでは伝えられないという。悲しことです。最近はこれが本編にも見られます。ちょっと次元が違うとお叱りを受けるかもしれませんが、私レベルでもこのような思いはあるのです。やはり、見る側の質といか、これは常識なんでしょうかね。
2007年07月17日 14:12
ちょっと、まとまらなくなりました。ただ、最後に、私は皆さんほど、高度な内容で語ることができませんが、お二人を、オカピーさんを含めて皆さんを批判しているのではないのです。ただ、やはり私の想いとしては、鑑賞することを難しく考えずに、多くの人に見て欲しいという想いがあるんです。もちろん、鑑賞態度は別として。そして、鑑賞した後、どう思うかですね。
長々と同じ内容の繰り返しで、またコメントが一部重複し、大変申し訳ありません。

最後に台風は大丈夫でした。
では、また。
2007年07月18日 01:33
 イエローストーンさん、こんばんは。台風はなんともなくて良かったですね。
>皆さんを批判しているのではないのです
 お気遣いは無用ですよ。まったく批判とは思っていません。むしろどんどん意見を出していただけるので、喜んでいます。トムさんも楽しんでいらっしゃると思いますよ。
 人と違う意見を言うのは勇気がいることですし、勇気を振り絞ってコメントを書いていらっしゃるのははっきりと分かります。素晴らしい方だと思っています。
 とかく一度だけ書き散らかして、二度と姿を現さない者が増えている中で、自身の立場と信念を持たれている映画ファンがいるだけでも、個人的には非常に嬉しく思います。
2007年07月18日 01:46
 続きです。
>説明セリフです。あまりにも多い。
 スタッフが視聴者を信用していないからという面もあるでしょうが、映像で語れないことを視聴者に責任転嫁してしまう製作者も多いのではないでしょうか。どっちもどっちかもしれませんね。
 また、視聴率のためにあくせくする現状では、製作者はスポンサーのために、一番低レベルの視聴者に合わせなければならない。
 ゲッペルズは宣伝を制作するときには最も低知能の人間でも分かるように単純で力強いスローガンを要求しました。現在のテレビではスポンサーも製作サイド(監督など現場は含まず)も内容よりも視聴率(観客動員)を求めるので、その傾向にどんどん加速がついているのでしょう。
 まあ、映像の意味を理解できない者、そして映像で語れない者のためにも説明台詞を増やすのが手っ取り早いんでしょうね。
 これではヒトラーやゲッペルスのプロパガンダ手法とあまり変わりはないですね。
2007年07月18日 01:47
 さらに続きです。
>映画を楽しみたい
 トムさんもオカピーさんも僕もイエローストーンさんと同意見ですよ。
 楽しみ方が違うといえばそれまでですが、イエローストーンさんのくださるコメントを見る限り、根は同じだと思います。
 表現方法が違うだけで、同じ感覚を持っていらっしゃるのではないでしょうか。ではまた。
トム(Tom5k)
2007年07月19日 01:56
>イエローストーンさん、用心棒さん、こんばんは。
>映画は監督のもので、映画は娯楽であってほしい・・・。
娯楽も芸術も広く言えば文化と言えるように思います。
文化は人間に絶対に必要なものだと思います。人間は「耕さなければ(文化)」生きていけない生き物だと思います。
ですから、広い意味でとらえたらいいのではないでしょうか?
それで、きっとわたしも用心棒さんも、イエローストーンさんのおっしゃるように、難しいことばかり言っているのかもしれません。
でも、わたしも用心棒さん(オカピーさんもかな?)も、きっとそれが好きなのです。そうして楽しんでいるのでしょう。でも、もちろん危機感も多く持っていて、あせりもあるのでしょう。
トム(Tom5k)
2007年07月19日 02:02
>映画は監督のもの
わあ、これはヌーヴェル・ヴァーグの作家たちが主張していたことと同じです。わたしもそう思います。
が、同時にカメラマンのもの、主演俳優のもの、多くの大部屋俳優のもの、照明担当のもの、美術担当のもの、音楽担当のもの、シナリオ、録音技師のもの、大道具・小道具さんたちのもの・・・、そして何より観客のものなのでは?残念なことに、さらに資本提供者のもの(ここが一番大きく問題なのかもしれません)です。いずれにしても、映画は集団で創られる文化のような気もしています。
現代特有なのは、そのひとりひとりが、個性的で主体的であると言うことではないでしょうか?(もしくはそうでなくなってきていて、サラリーマン映画人が増えているのでしょうかね?)
だから、現代特有の新しい文化として、第七番目の芸術とまで言われているのだとも思います。
みなさんは、どう思われますか?
わたしはヌーヴェル・ヴァーグやイエロー・ストーンさんに賛同しながらも、そういう考え方もしています。
トム(Tom5k)
2007年07月19日 02:02
そして、説明セリフなんですが、これは最近の傾向なのでしょうか?わたしは古い映画ばかり観ていてちょっとピンと来ませんでした。ごめんなさい。
あと、わたしは、むしろイエローストーンさんのような方に批判していただきたいと思っているところです。ご遠慮なくお願いいたします。
たまに、イエローストーンさんもわたしのブログに遊びに来て下さい。
では、また。
2007年07月20日 00:21
 トムさん、こんばんは。
 みんな映画が大好きというのが基本なので、ここでのやり取りは一見すると平行線のようですが、実は交わる点が多いように思います。
 映画を楽しむ上での考え方と表現が違うだけですよね。映画は観て楽しけりゃ良い。このように簡単だといってしまえば簡単ですが、「じゃあ、どう面白いんだ?」となってくると、
 映画は道具、音楽、建築、絵画、文学、演劇に続く第七芸術と呼ばれるように複雑な要素が絡み合う。しかもこれによって映画が制作されたとしても、まだ作品(フィルム)と作者(監督含め、スタッフ)がいて、彼等の製作意図が示されただけです。
 これに興行者である映画会社の思惑と劇場の思惑、つまり宣伝を含めたメディア戦略が絡み合い、編集や試写を経て、最後にようやく消費者(観客)に提示される。
2007年07月20日 00:26
 続きです。
 観客には観客の思惑があり、なんだかよく分からないが、観て面白いかどうかで、ほとんどの人は満足するか不満に思う。
 そこから第一歩を踏み出すことで、はじめて映画の奥深さが見えてきます。それが映画批評でしょう。こだわりの視点で述べられる批評の数々から、自分の嗜好に合うものを選び、つぎには自分自身の批評眼を養う。
 そうして幅の広い鑑賞眼を養っていければ良いのではないでしょうか。

>説明的台詞
 昔からだとと思いますよ。古いもので、駄作は後世に伝わりにくいので、どうしても昔の作品は素晴らしかったと言ってしまいがちですが、僕等が見ているクラシック作品はほとんどが名作ばかりというのを差し引いて考える必要はありますね。
 ただ最近、特に増えてきているのは観客の質のみにあらず、映画人の質も、映画会社の質も落ちてきているのが原因に思えます。
ではまた。
トム(Tom5k)
2007年07月21日 16:00
さきほど、オカピーさんの河瀬直美さんの記事にお邪魔してきたんですけれど、オカピーさんや用心棒と異なるわたしの映画への楽天的な気持ちが更に加速しそうです(笑)。
いわゆる第七芸術は脈々と映画史の流れに存在し、発展しているということが、確認できたような気がしているんですが・・・。
でも、わたし河瀬直美というひと、全然わかってないんですよ。お恥ずかしい。
レンタル屋に行ってきます。
では、また。
2007年07月21日 17:59
 トムさん、こんにちは。
 先頃カンヌでグランプリを取った河瀬直美監督は全く関係ありませんが、僕と同じ奈良県民です。そのためか奈良県内のレンタル店では彼女の作品は古いものも結構置いているところが多いんですよ。
 これまで彼女の代表作はカメラドールを取った『萌の朱雀』でしたが、これからは『殯の森』になるんでしょうね。
 まだ観ていないので、機会があれば観ておきたいと思っています。
 映画の行く末については一ファンとしては楽天的でいたいのですが、彼女の作品がグランプリを取ったとしても、シネコンではほとんど観られず、短館系のみでの公開であるという事実がこの国での優先順位が品質ではなく、儲かるかどうかというのを物語っているのではないでしょうか。
 ではまた。
viva jiji
2008年02月27日 22:46
こんばんは。♪
本日UPしました拙記事、
TBさせていただきました。

たくさんのコメントの
行きかい↑、楽しいですね。

そうなんです。^^
絶望的と言いながら
映画をこよなく愛して
きた方々は今のお寒い現状には
絶対だまってはいられないはず。

用心棒さんもみなさんも
すっかり気づいていらっしゃる
でしょうけれど、昨今、10代に
オカネを持たせてしまった
のも大きな問題だと思うのです。
今の10代はオカネ持ってますよ。
もちろん、ヒマもあります~(笑)

かつて映画を観始めた私の10代。
ヒマあるけど、カネが無い。(--)
でも、精一杯背伸びして大人の
作った大人の映画鑑賞三昧の日々・・。

今の10代はTVでアタマッコ
すっからカ~~ンに洗脳されて
きてますからね~。
製作会社は彼らの財布をゆるめんと
ばかり画策していますね。
観たい映画は減るばかりなり(--)^^

また、おじゃまさせて下さいまし♪
2008年02月28日 01:01
 こんばんは!
 この記事を書いたころは、みなさんもかなり熱くなっていましたね。
 みんな危機感を持っているので、どうしてもこういう記事の時にはヒートアップして行きます。こういうやり取りをしていくうちに、なにかこう固定概念を飛び越えていく瞬間があり、それが楽しいですよ。
 少ないながらも、触発されるお仲間たちがいるので、ぼくはまた映画を観ます。
>ヒマあるけど、カネが無い
そうですねえ。ただ僕らのときはシネコンという悪しき制度がなかったので、意志さえあれば、一日中映画館に張り付いて、何度も同じ作品を観ることが出来ました。だいたい最低二回は観ていた記憶があります。
 そんなに混んでないんだから、けちけちせずに昔のように自由にして欲しいです!
 ではまた!

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    Excerpt:      誰とは言いませんが(当人が読めばすぐ判るけれど^^)   私のブログを検索するのに苦労した知人の話・・・   再三「映画と暮らす、日々に暮らす」だよ、って   私が言って.. Weblog: 映画と暮らす、日々に暮らす。 racked: 2008-02-27 22:20