『揺れる大地』(1948)ルキノ・ヴィスコンティ監督によるネオリアリズモの傑作。

 イタリア映画界の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督の第二作目の長編映画『揺れる大地』が公開されたのは1948年です。戦時下のイタリアで、大きな話題となったデビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』からすでに5年の月日が流れていました。

 その間、世界が揺れ動いたのはもちろんですが、映画界でもネオレアリズモと呼ばれる映画運動が世界中を席巻していました。現実を鋭く抉り出し、観客の目前に曝け出す。虚飾が少なく、救いのない作風をモットーとしているのがこのスタイルの特徴です。

 ネオレアリズモの代表と言えば、『無防備都市』『ドイツ零年』『イタリア旅行』などで有名なロベルト・ロッセリーニ監督、『終着駅』『自転車泥棒』『ウンベルトD』などで有名なヴィットリオ・デ・シーカ監督らをすぐに思い出します。

 また晩年の難解で不思議な作風のために分かり難くはなっていますが、『道』『崖』『カビリアの夜』などを撮っていた頃のフェデリコ・フェリーニ監督は間違いなくこのイタリア新写実主義の代表選手でもありました。

 しかしこの運動に先鞭をつけたのは紛れもなくルキノ・ヴィスコンティ監督の処女長編『郵便配達は二度ベルを鳴らす』であることに異論を挟む人はそうはいまい。センセーショナルな内容を持っていたこの作品は当局から睨まれ、大幅なカットを命じられましたが、そこはイタリアらしい根回しをルキノの父親が行い、ほとんどカットされることなく上映されました。

 このカット騒ぎを聞きつけたファシスト党首ベニト・ムッソリーニはわざわざ話題のこの映画を観て、たいそう気に入ったそうです。党首が気に入ったものを弾圧するわけにもいかなかった為か、たんにイタリアというお国柄なのか、批評家達には議論の的になったようですが、普通に劇場で上映されました。

 しかし権力にも負けなかったこの映画は連合国軍との戦闘による戦火のために焼けてしまいました。現存するフィルムはヴィスコンティが残っている断片から繋ぎ合わせたものに過ぎない。完璧な状態のこの作品が現存したならば、さらに大きな栄誉を受けていたに違いないと思うと残念です。

 そして『郵便配達は二度ベルを鳴らす』後のヴィスコンティ監督は映画を撮らずに、彼本来のフィールドであるオペラや演劇の演出にその才能を注ぎました。ジャン・コクトーの『恐るべき親たち』、オペラ『フィガロの結婚』などを手がけていました。

 彼の映画を知るファンや関係者にとっては1948年の『揺れる大地』はまさに待ちわびた才能の復帰だったのではないでしょうか。そしてこの作品はヴィスコンティ監督らしい型破りな作品でもありました。

 この40年代という物資が乏しい時代に、2時間40分を越える上映時間を必要とする劇場映画が他にあったであろうか。戦勝国であったアメリカや共産ロシアならばいざ知らず、わが国やドイツと同じく敗戦国の立場にあったイタリアの内情は推して知るべしの状態だったはずなのです。

 それなのにこの上映時間の長さ、質の高さ、内容の濃さは一体どこから来るのであろうか。冒頭の10分間を見ただけで、観客はルキノ・ヴィスコンティという監督がどういった物語を映像で語ろうとしているかを知る事ができる。

 プロの俳優を一切使わないネオレアリズモ的な宣言があり、実際全ての登場人物はシチリアの漁村の村人である。迫真の演技ではなく、まさにそのものが持つオリジナルの凄みを160分間味わえる貴重な作品でもある。

 夜明け前のシチリアの海、漁船、岸でうごめく仲買人や女達を同時に捉えたショットがこれら全てが本来は一心同体であることを暗示する。なんと美しい海であろう。星の光と船の灯りで煌く海面、ゆらゆらと穏やかな波を伴いながら、屹立する二つの大岩が美しさと厳しさを観客に見せつける。厳しさの中で調和しているその世界から抜け出ようとする者には海、村人、仲買人の容赦ない鉄槌が下される。

 長回しを使用して、岸での競りの一群の喧騒を間近に見ながら、徐々に引いていき、岸から出ようとする船を捨てカットのために映し出して、次のカットに移っていく。臨場感たっぷりで、競りの活気と朝を迎える静けさが入り混じる見事な導引部でした。

 基本的にワンカット、ワンカットが長く、非常にゆったりとしているのが特徴で、田舎の漁村ののどかな様子と否応なく変化に巻き込まれようとしているのにまだ現状を把握しきれていない漁民たちへのヴィスコンティ監督の焦りにも似た静かな憤りが噴出してくるような編集がなされています。

 こみ上げてくるのは資本家層への怒りです。感情を誘導していくモンタージュは見事なまでに効果的です。イタリア共産党からの300万リラという出資を受けて製作されたこの作品は当然のことながらプロパガンダ的色彩を帯びていますが、それだけではないルキノ・ヴィスコンティ監督の映画の素晴らしさを味わってほしい。

 最初の海から競りのシーンの後、カメラはこの物語の主役であるバラストロ家を紹介していく。移動しながらの俯瞰映像は高所からの映像で、Ⅴ字形にカメラが移動していくのですが、家の中から娘が門前まで出てきて(彼女が画面正面に近づいてくる動きに合わせて、右上から左斜め下にカメラが動いていく)、彼女が家の中に戻っていく動きに合わせて、今度はカメラが上の方向にティルトしていくという動きを見せる。

 最初見たときにはクレーンを使用したショットかとも思いましたが、何度か見ていると軸が全く動かずに人物と縦横に動いているように見えます。いくらヴィスコンティ監督でも流石にこの当時の物資の状況ではクレーンを調達するのは無理だったのではないか。もしこれがクレーンであったならば、さらに驚きますが。

 おそらくはやぐらを組んで、その上にカメラを配置して、縦横に動かしたのではないでしょうか。いくらヴィスコンティ監督でもクレーンを使うほどの余裕はなかったのではないだろうか。

 これ以外に驚くショットが幾つもあります。主人公兄弟が洗面所で顔を洗うという何気ないシーンがあるのですが、このとき二人を捉えるカメラは明らかに三台あるように思えるのです。長男を斜めから狙うカメラ、次男を反対側の斜めから狙うカメラ、そして二人を同時に捉えるカメラという三台のカメラの存在を感じるのです。

 狭い室内での撮影でもカメラの数と配置、長回しによる緊張感とまとまりの中で臨めば、カットを上手く編集することにより素晴らしくリズムのある画が撮れるという見本のような画面の作り方でした。

 映画界では編集にも便利なために三点から撮るやり方として認識されてはいますが、この当時のイタリアでこのような潤沢な資金を映画に廻す余裕が果たしてあっただろうか。貧乏だったからこそ生まれたネオレアリズモの傑作は数え切れませんし、フィルムを潤沢に使う余裕がないからこその長回し、ロケ撮影、現実音、素人俳優の起用だったはずなのです。

 それらの苦しい台所事情も、ヴィスコンティ映画には関係ないものだったのでしょうか。共産党からの300万リラは撮影の半分にも満たないうちに底を尽き、あとはヴィスコンティらが資金を調達しました。まさに映画馬鹿ではないだろうか。己の欲する映像が得られるまで、納得がいくまで撮ろうとしているヴィスコンティの顔が目に浮かぶようです。

 贅沢な映画とは言っていますが、基本は固定カメラとリズムのあるカットが中心で、あくまでも構図の妙と美しさで見せていく。カメラの横の動きであるパンも自然で良い。極端なクロース・アップはなく、引きの画が多いのもドキュメンタリータッチで撮られた、この作品のテーマのためであろう。劇的に人工的に作る必要の無いほどに迫力ある映像が次々に出てきます。

 劇中、バラストロ家が一時成功しようとする時に労働者や努力して財をなそうとする人々の笑顔が次々にモンタージュされる行があります。まさにエイゼンシュテインタッチとでも言ってもよいような作為的な映像が流されます。

 後に迎える救いのラストを考えると、これは見事なまでに皮肉に満ちたモンタージュではないだろうか。リアルな未来は今よりもさらに悪いという夢も希望もない終わり方をするこの作品のラストを知る者が見れば、そういう解釈も出来るのかなと思いました。

 本来の意図は共産党のプロパガンダであったこの作品はそのような党側の矮小な思惑を超え、漁村の村人達が持つ素朴で力強い生命力によって、生き延びていくあの時代の貴重な瞬間を切り取った作品として世に出ました。それだからこそヴィスコンティもこの作品を撮りきることに執念を燃やしたのではなかろうか。

 突風と荒波が吹き荒れる轟音はこれから出港する主人公家族にとっての葬送行進曲となりました。この時の荒れた海のうねりを忠実に写し撮るカメラは厳しさと悪夢を暗示し、観客達を引き締める。シチリアの海は欲望も貧困も全て等しく呑み込んでいく。

 船の大破をきっかけにして、一気に滅んでいく主人公家族の様子は痛々しいが、現実的であるとも言える。甘いホームドラマにはない厳しい現実を突きつける。落ちぶれる前は親切であった村人は掌を返すように離れていく。同時に家族の崩壊も始まり、鉄の絆で結ばれていたはずの漁師の大家族が櫛の歯が欠けていくように一人また一人と失われていく。

 こういう崩壊の時、男たちは茫然自失としてどうすることも出来ないが、女達は何とかして生き抜いていこうとする。弱い男と強い女(マンマ)というイタリアらしい価値観も見受けられる。団結という欺瞞、家族の絆という幻想、厳しい現実が明らかにされるとき、はじめて人は己の真価を試されるのかもしれません。

 めでたい進水式と家を追われて最下層の暮らしを始めるバラストロ家の対照的な人生模様を交互に見せるクロス・カッティングは残酷で、救いが全くありません。進水式の楽しさと活気が大きければ大きいほど、バラストロ家がこれから迎えようとする厳しい現実と将来に悲観的にならざるを得ない。

 同じ門出であるのにこうも違う境遇は何故生まれるのか。一度失敗した者にはセカンド・チャンスなどないのだという厳しいメッセージから何を受け取れというのだろう。バラストロ家長男のチャレンジの代償は一家崩壊である。

 自分の思い通りに生きてみても、必ず成功するわけではない。むしろ失敗するもののほうが圧倒的に多いのだという自明の真実に気付かされる、背筋の凍りつく映画でした。1948年という時代ではまだイタリアの人々は夢を持つには至らなかったという世相の表れだったのでしょう。

 ネオレアリズモの旗手として絶賛されたロッセリーニが徐々に落ちぶれていくのも、ヴィットリオ・デ・シーカやフェデリコ・フェリーニが上手く作風を変え生き残っていったのも、ヴィスコンティが豪華な貴族趣味と退廃を描いていくようになるのも偶然ではない。また彼らが生き残っていったのもイタリア国民全体の反省期間(喪と言ってもよいかも?)が終わり、暗い現実ばかりを描いたネオレアリズモに飽きがきたことに素早く気づいたからかもしれません。

 この作品を見て何故か溝口健二監督の『山椒大夫』(1954)を思い出しました。年代は多少違いますが、日本ではまだ50年代にこのような暗く厳しい作品が製作されていたということはイタリアの場合とを比較して考えると、少々穿った物の見方かもしれませんが、大戦の傷跡が10年経っても癒えていなかったということなのでしょうか。

 厳しく、そして美しい。まさに不滅の映画です。何度見ても飽きがこないのはヴィスコンティ監督の才能はもちろんですが、フィルムに魂を込めた撮影監督G・R・アルドの力によるところがかなり大きい。

総合評価 97点

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この記事へのコメント

トム(Tom5k)
2006年11月19日 23:09
用心棒さん、どうも。
ヴィスコンティは、シナリオ・音楽を担当、オール・ロケで全てのスタッフ18名、最小の製作費だったようです。ハンディ拡声機も無く、大声での指示、スーム・レンズもなく前へ行ったり後ろへ下がったり、ドリーのための移動カメラ台は木製の手作り・・・だったそうです。
資金援助はおっしゃられているイタリア共産党とサルヴォ・ダンジェロというプロデューサーだったそうです。
おっしゃられている矢倉の代クレーンや多カメラの同時撮影など疑問な部分は多々あるますが、基本的には題材と同様、貧乏所帯の旅だったようですよ。前作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』と舞台劇で遺産をすでに食い潰していたようです。
貴族でありながらレジスタンス運動で闘ったこと。
トム(Tom5k)
2006年11月19日 23:09
>続き
貴族でありながら、貧困であったこと。
貴族でありながら、共産主義に共鳴し、労働者などの下層の人々を愛したこと。
実に不思議な人です。
余程、自分たちに取って代わった資本家たちが、憎かったのかもしれません。恐らく、労働者たちの敵と自分たち貴族の敵が、同じ資本家だったということなのでしょうか?
そして、当時の世相から、彼は労働者が時代を担うと信じていたのかも知れません。そのときに過去、時代を担ってきた貴族である自分を、彼らに投影した。わたしは、ヴィスコンティの初期の作品を、そんな風に解釈しています。
では、また。
2006年11月20日 00:31
 トムさん、こんばんは。
>実に不思議な人です。
仰るように、ヴィスコンティという人は不思議な人物ですね。
 名門貴族出身というバックボーンからくる深い知識と洗練されたセンスは他の人にはない強みがあります。
 ヴィスコンティ作品は何度見ても飽きない映画であることは間違いない。美とセンスに溢れる彼の映画はまさに目の滋養といえます。

>労働者たちの敵と自分たち貴族の敵が、同じ資本家だったということなのでしょうか?
 鋭いご指摘だと思います。彼が資本家に向ける敵意と軽蔑を伴う視線は彼のフィルムを見る者にも彼と同じ感情を共有させていきます。
 感情を誘導する語り方に長け、かつ見る者をウットリさせる映画を作り出すイタリア映画界、最高の巨星でした。ではまた。
2006年11月22日 18:03
 私は、フィルムセンターで「大地は揺れる」のタイトルで観ました。1年後観たエンマルノ・オルミの「木靴の樹」はまるでこの作品の作り直しのような印象さえあり、ネオ・レアリズモの息吹が連綿と続いていることを痛感いたしました。タヴィアニ兄弟もその中に入れていいでしょうが、彼らの弟子と思われる才能も出てきました。
 今回のNHKの特集には残念ながら入っていませんね。

 フェリーニは勿論この系列ですが、過渡作品は「甘い生活」でしょう。即実的な描写は前期、人間の内面に深く入っていく内容は明らかに後期に属する、と思います。
2006年11月23日 01:20
 オカピーさん、こんばんは。
 NHKにしろ、イマジカにしろせっかく100周年という記念すべき年なんですから全14本をしっかりと放送して欲しいものです。
 その点では衛星劇場では一年かけて小津安二郎監督作品をほぼ全て(『大根と人参』はやったかどうか記憶にありません)、同じく没後50年だった溝口健二監督作品については衛星劇場と日本映画専門チャンネルで『愛怨峡』以外は全作品放送してくれましたしね。
 ヴィスコンティ監督作品として今年BSとCSで放送された(またはされる)のは『山猫』『地獄に堕ちた勇者ども』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『揺れる大地』『夏の嵐』『白夜』『若者のすべて』『ボッカチオ70』『熊座の淡き星影』『ベニスに死す』『ルードヴィヒ』『家族の肖像』でしょうか。
 見落とし、または放送されていないと思われるのは『ベリッシマ』『異邦人』『イノセント』ではないでしょうか。まあ断定は出来ません。『揺れる大地』は22日が最終だったはずです。ではまた。
トム(Tom5k)
2007年03月26日 00:18
用心棒さん、TBありがとうございました。
わたしにとってのヴィスコンティは、語っても語りきれない魅力を放っています。
この『揺れる大地』は、他に炭坑夫編、農民編の三部作の制作予定があったそうで、『海の挿話』という副題は、そのためだったようですね。
実現していれば世紀の大傑作三部作だったでしょうね。残念なことです。
>暗い現実ばかりを描いたネオレアリズモに飽きがきたこと・・・
そうでしょうね。
ゴダールやレネのヌーヴェル・ヴァーグ→アメリカン・ニューシネマ→ニュー・ジャーマン・シネマ→ドグマ論争
へと変遷しているのでしょうか?わたしは今後、南米あたりでネオ・リアリズモの復活が起こるような気がしています。
では、また。
2007年03月28日 13:17
 トムさん、こんにちは。
 ご無沙汰しております。

 私事になりますが、公私共々精神的苦痛を味わうことが重なり、最近は記事を書く気持ちすら浮かばないのはもちろん、映画を観る気すら起こらない状況です。

 しかしそうは言っても、いつまでも塞ぎ込んでいてもなにも始まりませんので、綺麗な映画を観て、徐々に体力を付けていこうと思っております。

 つらいことばかりではありますが、この映画で描かれる人々に比べれば、なんてことはないのも事実ですしね。ではまた。
トム(Tom5k)
2007年03月28日 19:41
用心棒さん、決して無理なさらずに。
マイペースをつかめること祈っています。
わたしも同様に嫌なことが多いときには、記事更新や映画鑑賞が滞ります(私の場合は通常の記事更新も早くて2週に一回、遅いときは月1回ですので目立ちませんが)。
時間をかけてゆっくりとペースを戻すようにしています。
ほとんどの人間は生活の苦労から、基本的に開放されてないと思います。
大切なのは、おっしゃるとおり
>この映画で描かれる人々に比べれば・・・
もっと大きい苦労をされていらっしゃる多くの人々がいることを忘れないことなのでしょうね。
では、ゆっくりご静養を。
2007年03月28日 21:51
 トムさん、こんばんは。
お気遣いどうもありがとうございます。少しずつ映画を観ながら心の蓄えを増やしていこうと思っております。

 今日は『トリコロール/青の愛』を見ました。とても綺麗なフィルムでした。アメリカ映画にはない深みのある人間の描き方はさすがでした。ではまた。
トム(Tom5k)
2007年05月26日 01:08
用心棒さん、どうも。
オカピーさんが「ミュンヘン」をアップされているようですよ。
スピルバーグの新しい発見があるかもしれません。
ご訪問されては。
2007年05月27日 00:44
 トムさん、こんばんは。
 『ミュンヘン』ですか?シリアス物ですね!なるほど。もう一度見直してから近い内にお邪魔しようと思います。ではまた。
 
トム(Tom5k)
2009年11月22日 20:23
用心棒さん、こんばんは。
久しぶりに再見したのでお邪魔します。
>虚飾が少なく、救いのない作風・・・
熱い作品ですよね。この何年か後の「若者のすべて」には、ドロンはじめスター俳優を使ったり、メロドラマ的な要素も加わって、まあいい意味で贅肉がついていたように思いますが、こちらは全く無駄のない写実です。
>1948年の『揺れる大地』はまさに待ちわびた才能の復帰・・・
本当に、これこそネオ・リアリズモである。と思ってしまう。
つい何年か前までレジスタンスで死ぬか生きるかの生活をしていた若いヴィスコンティの熱い情熱を感じます。
そして、わたしは、この作品のラスト・シークエンスを救いのない悲惨・屈辱と見ることはしたくありません。多くのほとんどの民衆は、みなこの「揺れる大地」の主人公になることを知っている。すべての民衆は、人生における想像力で、社会人になるときにこの作品のラスト1分を選択している、いや、せざるを得ないように思います。
しかしながら、最期に櫂を漕ぐ主人公の凛とした表情の美しさはヴィスコンティが、この後に描き続けたどの貴族の表情よりも美しく感じました。
後年のヴィスコンティの貴族としての誇りと敗北は、若い頃のこの労働者階級のそれであったようにも思います。
そして、それは未来の希望を決して失っていないようにも思うのです。
では、また。
2009年11月22日 22:21
 こんばんは!
何度も見れる映画は本当に人生の友だと思います。
この映画は何度も僕らは見ているはずなのですが、そのつど「あれ?こんなカットがあったのか?」とか「この人物配置は面白いなあ…」とかいろいろと楽しめます。

 おっしゃるとおり、厳しい現実とかすかな希望があれば、多くの人は厳しさに萎えてしまいますが、むしろ大切なのはかすかな希望の火であっても、それを追いかけていくべきなのが人生だということなんでしょうか。

 ではまた!
2009年11月22日 22:55
 トムさん、続きです。

『灰とダイヤモンド』の準備をしております。今日も自宅でDVDを見直しました。あと二回くらい見てから記事をアップしようと思っていますので、今しばらくお待ちください(汗)

ではまた!

トム(Tom5k)
2009年12月16日 22:16
用心棒さん、「揺れる大地」再見した感想記事をアップしたので、TBします。
苦労した割には書きたいことの半分も書けていません。何せ、いろいろな想いが込み上げてくる作品でした。『灰とダイヤモンド』は、無理言ってすみませんでした。わたしもいずれは、記事にしたいと思っています。
ところで、わたしが頼まれていたのは、「知りたいのはソコやねん!」のトールバズさんですので、ご紹介しておきます。

http://urawadai.blog.so-net.ne.jp/2009-01-14
では、また。
2009年12月17日 16:11
 トムさん、こんにちは!

おおっ!記事を上げられたのですね!早速伺いますね。

>苦労した割には

思い入れのある作品ほど、なかなか先に進みませんし、書いている途中から、「そうだ!あそこも書いておかねば!」と脱線しだして、収拾がつかなくなることがしばしばです(笑)

トールバスさまのところへも伺ってみます!

ではまた!

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