『白い恐怖』(1945)終戦の年に、あちらではこれ程の作品が公開されていた。

 ヒッチは今回、フロイト博士の『精神分析入門』からインスパイアされたと思われるストーリー展開と台詞の言い回しを前面に押し出した脚本、夢の世界をセットとして具現化させるために起用されたサルバトーレ・ダリという二つの斬新な切り口を持つこの作品を製作する機会を与えられました。

 さらに配役にハリウッド・スター・システムの中でも最高クラスの俳優、グレゴリー・ペックとイングリッド・バーグマンを得たことにより、古典的な娯楽映画と前衛芸術、そして学術的にも最先端であったろうと思われる心理学のエッセンスをミックスした野心的な実験作に取り組みました。

 当時は斬新な理論であっただろう心理学を大胆に取り入れた意義は大きい。ひとつのイメージが新たなイメージを導き出し、ついには困難な事件を解決する糸口になりえることを大衆に分かりやすく証明した。今の目で見れば、浅いと思われる心理学描写でも、当時であれば、観客には驚くべき問題解決アプローチとして映ったに違いない。

 夢のシークエンスの制作を前衛的な作風で知られるサルバトーレ・ダリに任せたという意義の大きさも理解するべきでしょう。シネマに残されたダリの芸術は『アンダルシアの犬』とこの『白い恐怖』しかありません。ここでのダリの芸術が最高だったかどうかは別にして、娯楽作品にダリを起用したという制作サイドの作品に賭ける意気込みを高く評価したい。

 心理学用語をふんだんに台詞に盛り込み、これまでの作品とは一線を画すユニークな仕上がりになっています。ただ実験としては有意義だったとしても、厳しく一本の作品として評価した場合、台詞と俳優と舞台装置がそれぞれバラバラになりかけるのをなんとかヒッチ先生が押さえ込んでいるような印象があります。

 イングリッド・バーグマンとグレゴリー・ペックを同時に起用したこの作品は宣伝面ではアピールしやすかったのは事実でしょう。主演俳優と主演女優がともに知名度が大きく、アイコンとして機能するので、観客の感情移入は容易だったと推測できる。

 しかしグレゴリー・ペックの存在感がどうも作品の中で沈んでしまっている印象があります。そのなかでも、決定的にまずいと思われるのが色々な「大きさ」です。全てにおいてバーグマンの方が大きく見えるのです。ペックが病人役ということを差し引いても、そのように感じました。

 肩幅も彼女の方が広く、クロース・アップの回数が多いためか、顔そのものの重要度がペックより高くなっている。照明の当て方も大きな差があり、彼女には眩いばかりのライトが当てられている。アングルも彼女が常に上からペックに話しかけていました。

 撮影技法の全てが、言い換えれば、ヒッチの演出の全てが彼女びいきに進められてしまった感があります。ペックとしては忸怩たる思いがあったのではないでしょうか。ヒッチ作品におけるグレゴリー・ペックはあまり輝いているとは思えない。

 ジョセフ・コットン、ジェームス・スチュワート、ゲーリー・クーパーらが独特の強い存在感を示したのに対して、グレゴリー・ペックの弱さはどうしたものだろうか。ヒッチとの相性があまり良くなかったのでしょうか。

 極端なクロース・アップが絶大な効果を上げた作品でもあります。見つめ合うアイ・トゥ・アイの切り返し、ペックが闇の中からやってくる時にギラリと光る剃刀の刃、最後の巨大な拳銃を持つ手など存在感の大きなクロース・アップが印象に残ります。小道具としての眼鏡を頻繁に使用するヒッチは今回もバーグマンと眼鏡の組み合わせを用いました。

 肉眼ではペックに惚れてしまったバーグマン。冷静に眼鏡をかけて、筆跡を見比べるバーグマン。肉眼(主観)と眼鏡(客観)のアンバランスと肉眼を優先する「女」としてのバーグマンを台詞なしで、映像で表現した素晴らしいシーンでした。

 眼鏡関連ではペックからの手紙を読もうとするときに、近眼のために最初目の焦点が合わなかったのが、自分の焦点の合う位置に持ってきたところで、画面のボヤケが取れるというのは芸が細かいなあと思いました。

 白と黒のバランスも今回では大きなポイントでした。サスペンスや犯罪物では白と黒のコントラストが作品を引き締めます。とりわけ黒の使い方に皆が注目します。ところがこの作品では分かりやすい悪のイメージである黒よりも、白の持つ虚無的で、普通に見ていただけでは見えてこない真の恐怖、目を凝らして、心をクリアにしないと見えない恐怖を感じました。

 本当の危険は光のある場所にこそあるという仕掛けでしょうか。実際、弟の事故死も博士の殺人事件も昼間に起きています。両方ともペックの過失ではありませんが、彼は罪の意識に苛まれ、両方を意識下に埋没させようとした。意識上では白い状態になる。何がなんだかさっぱり分からないという意味でも。

 物語の仕掛けとしては、ペックの二つの記憶喪失が重大な意味を持っています。幼少時の体験がその後の人生にも影響し、成長して記憶からは消えていても、無意識のトラウマとして残っているため更なる悲劇を迎えてしまう主人公と彼を助ける心理学者バーグマン、という物語は恋愛映画として特に目新しさはない。

 ただこれは1945年公開作品なのです。戦時中に、このようなひねりの利いた娯楽作品を、余裕を持って制作公開していたアメリカの大きさと強さを感じさせられます。

総合評価 72点
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この記事へのコメント

オカピー
2006年08月18日 02:50
 TB有難うございました。TB返し致しました。
 かかる精神分析ものは、物語としては、TVの影響でありきたりなものになってしまいましたが、この当時は全く目新しい題材だったわけですね。「第七のヴェール」は観ましたが、意外と平凡で、やはりサスペンス系はヒッチコックのような才能はおいそれといないことを感じさせてしまいます。
 一時期「汚名」にぞっこんだったのですが、ヒロインの心理がかなり曖昧なので、トリュフォーが言うほど素晴らしい作品だったのかと疑問。今では「白い恐怖」のほうが大分上だろうという評価であります。少なくともバーグマンはこちらのほうが宜しい、いや美しい、と思います。
 恐らくヒッチコックが彼女の視点で描いた作品にしようとしたこと、ペックが余り芸達者ではないことを知っていたことが、用心棒さんの抱いた印象の背景ではないかと思います。
2006年08月18日 20:41
 オカピーさん、こんばんは。
>一時期「汚名」にぞっこんだったのですが、
同感ですね。残念ながら最高傑作かと言われれば、どうかなと答えてしまいます。
>バーグマンはこちらのほうが宜しい、いや美しい
 ヒッチはおそらくバーグマンを「被写体」でなく、「女」として見ていたような気がします。好みなんでしょうね。
 バーグマン出演作品では、ヒッチの演出が彼女に引きずられて、いささか客観性を失っている印象を常に持ちます。
 それだけ目の前にいた彼女は魅力的だったということでしょう。ではまた。

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