『バンビ』(1942)実は深刻なテーマを孕んでいた戦中の作品。ディズニーの怒りを感じます。

 自然破壊に対する怒りをアニメで表現したものの中で、有名な作品として、我々が真っ先に思い出すのは宮崎駿監督のメガ・ヒット作品である『もののけ姫』でしょう。しかし、同じテーマで既にウォルト・ディズニーがこの作品で描ききっていたのです。しかもよりシンプルに、美しく、短く、しかも強烈にメッセージを込めていました。

 子供向きだと思ってみていると、見事なまでに足元をすくわれることの多いのが、ウォルト・ディズニー初期作品なのです。子供の頃に見た印象とは全く違う作品の代表例と言っても良いでしょう。

 「♪こじ~かの~ばんび~♪」などと歌っていたのは今から30年以上も前でした。もちろんそのときの印象は「ばんび かわいい」だったのですが、今見ると、ウォルト・ディズニーがこの作品に込めた怒りの大きさに少々戸惑ってしまうくらいでした。

 ディズニーの凄みは、漫画と呼ばれ、蔑まれていたであろうこの時代にもかかわらず、映画であることをしっかりと意識しながら製作していることです。アニメ作家としての誇りの高さと丁寧な作りこみにはいつも感心させられます。

 オープニングでの説明シークエンスを見て、パンからドリーショットの構成、焦点をきちんと当てる部分とぼかす部分を厳密に計算した画面の見せ方をみただけでも、これから始まる映画がただの子供向きではないと言う事を宣言しているように思えました。

 いつもながら感心させられるのは「水」の描写の美しさです。雨、雫、波紋、川、湖などの透明感と質感にはただならぬこだわりを感じます。水だけではなく、キャラクターではない山、木、森林、空など環境部分にたいしての細やかな気の使い方には最近のアニメが失ってしまった良心を見ることが出来る。

 教育とは何かをさりげなく作品に盛り込んでいるのも見逃せません。バンビが生まれるとすぐに母親から離すように子供たちだけで遊ばせて、コミュニケーション能力を身につけさせていくのはサマーキャンプのようでもあり、人間の親が子供を甘やかして手元に置きたがるのとは違い、社会性を学ばせています。

 美しいシーンも数多くあります。雨が葉に落ちて、音楽を奏でていくのはディズニー映画の特徴であり長所でもある、音楽と映像の融合であり、この作品でもその個性の良さを見せつけてくれます。

 躍動する動物達を描いたアニメーター達の熱意と丁寧な仕事ぶりは今現在でも作品の中に脈々と生き続けています。カメラワークの素晴らしさ、構図の素晴らしさ、キャラクターの躍動感、ディズニーのメッセージ、音楽の素晴らしさが一体となった傑作といえる作品です。

 春になり、ずっと一緒だったリス、スカンク、バンビの仲良し三人組が成長して、梟の保健体育の講義の後、各々が思春期を迎える「ボーイ・ミーツ・ガール」状態に急になるのはとてもおかしいシーンでした。仲良しだった三人?組でも、彼女が出来ると散り散りに散っていくのはどこかほろ苦いシーンではありますが、家庭を持つとはそういうことです。

 求愛シーンがあるのですが、すべて雌の動物の方が積極的に雄を誘うのは第二次大戦中ということもあり、男が不足していたという世相を反映したためなのでしょうか。ファリーンを奪い合う時のバンビと他の雄との決闘シーンの映像も迫力がありました。

 このように、どうしても魅力的に描かれている動物たちに目が行きがちではありますが、ディズニー映画の素晴らしさを生み出しているのはしっかりとした背景の美しさを見落とさないようにしていきたい。

 激しい嵐、雨上がりの朝もや、夕焼けの美しさの仕上がりはまさにディズニー社が世界一だった事を世界に示しています。バンドで言えば、ベースやドラムのセクションが背景なのかもしれません。あまり注目される事はないが、ここがしっかりしていないとペラペラで重みを感じない作品に成り下がっていきます。

 ストーリーの構成は起承転結を一年の移り変わりのなかで、子鹿バンビが成長して大人になり、山の王になるまでを描いていきます。そのなかで、母親との別れ、友との別れ、妻との出会い、子供の誕生を時系列で語っていきます。自然の謳歌、仲間の大切さということばかりではなく、敵として現れる人間達との争いも同時に語ります。

 自然破壊というと冒頭述べた『もののけ姫』との関連になるのですが、森の描写などあまりにも、この作品と『もののけ姫』が似すぎているように思えるのです。ちなみに類似していると思う部分を列記しておきます。
        
        森の主(ボス鹿)=シシガミ
        ハンター達=たたらばの者
        バンビ=アシタカ
        大火事=だいだらぼっち
        シマリス=木霊
        
 季節及びシーンの意味づけが変わる時に提示されるショットには明らかに次のシーンで語られることの暗示があり、嵐が起こったり、枯葉が寂しく落ちるショットはエイゼンシュテインのモンタージュ的意味合いを強く感じます。

 演技面での声優たちの貢献度の高さ、特に子供たちが演じていると思われるリスやファリーン(たしか『風と共に去りぬ』にも出演していた)は作品の質をさらに押し上げ、より重厚なドラマとなりました。

 科学万能の風潮の強かったであろう、そして戦争の激しさが日増しに強くなり、軍需産業を支えるために大量の資源を消費していった1940年代初頭に、愛と生命力を賛美し、自然破壊への激しい怒りを作品で公表するのはかなり勇気が必要だったと思います。

 最大の悪は人間であると言い切った、ディズニーの姿勢を高く評価したい。今のディズニー作品に足りないのはまさにこうした主張であり、ディズニー映画を大人が真剣に見ることを止めてしまったのもこの根幹部分のメッセージ性の希薄さと毒気の無さのためであろう。

 バンビたちを狩ろうとするハンター達を見るのは腹が立ちますが、この狩人たちが狩る意味によっては納得せざるを得ない状況も出てきます。納得できる状況とは狩らないと自分達が生存できないためやむを得ず、狩りをするという状況です。

 生きる者すべては何かしら食べるという行為の中で、殺生を犯しています。「業」あるいは「原罪」と言ってもよいかもしれません。ヴェジタリアンでも野菜を食べるのですから殺生とは無縁とはいえませんし、もし殺生などしていないと言っている者がいるとすれば、傲慢としか思えません。それはともかく、生きるために狩りをする状況であれば、致し方ないと思います。

 では許せないのは何か。それは趣味や道楽で狩りをする輩であり、これらはむやみやたらと殺生を重ねるだけの野獣です。趣味的な狩猟行為を全面的に禁止して欲しいと願っております。人間に他の動物の命を奪う権利があるのか。

 話はずれますが、一昨年の熊出没の問題にしても、生きる場所をどんどん狭められた動物達が追い詰められて、生存するという基本的な権利のために里に下りてきたのです。熊を撃っても何も解決しません。

 鹿、そして熊を含め動物達は言葉をしゃべる事ができませんし、裁判を起こす事もできません。人間の欲望の犠牲者は動物であり、植物であり、地球そのものです。人間ほど地球に悪影響を及ぼしておいて、平然としていられる動物はかつて地球上に存在した事はありません。

 クライマックスシーンで森の焼き打ちがあるのですが、あのシーンにディズニーの怒りが最も形を伴って表現されているように思えました。火の描写自体は水のそれに比べると劇画的というか作り物じみていると思える部分もあります。

 しかし、あの炎をリアルに描く必要はこの作品にはありません。あくまでもあの炎はディズニーの怒りの描写であると思えるからです。

 最初のバンビ誕生シーンと同じように、最後にファリーンの出産シーンが挿入され、さまざまなトラブルに見舞われてもたくましく生き続ける自然の強さを主張して作品は閉じられる。生命の連続性を語ります。

 このとき山の頂上には最初、ボス鹿とバンビがいるのですが、しばらくするとバンビのみになります。ここは重要な意味があり、森の王者がバンビに継承されたという意味合いを持ちます。綺麗なシーンで、気高い森の王者に相応しい終わり方でした。

総合評価 90点

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