『伊豆の踊子』(1933)何度もリメイクされた、川端康成の原作をはじめて映画化した作品。

 今では知る人も少ない、日本映画初期の巨匠、五所平之助監督が1933年に、この川端康成原作の本作品を、はじめて映画化した時には、まさかそのあとに、何度もリメイクされるとは思っても見なかったのではないだろうか。

 物語自体はそんなに起伏のある話ではないし、見所満載のスペクタクル作品ではない。あえていえば、ほんのりと爽やかな淡い恋物語があるだけである。原作を読んだファンは勿論、そうでないファンでも、見れば十分に理解し、共感できるストーリーだったからこそ、長い間、親しまれてきたのでしょう。

 この作品には、素晴らしい女優の若き日々の様子も焼き付けられています。その女優の名前は、田中絹代です。溝口健二監督、黒澤明監督、成瀬巳喜男監督、そして五所平之助監督と、そうそうたる日本映画史上の伝説の監督達と一緒に仕事をする事になる彼女の演技は、少女の頃から既に圧倒的な存在感を示しています。

 清らかで、まだあどけない顔をした絹代ではありますが、彼女の目、しぐさ、表情はベテラン女優達にひけをとらないほど貫禄十分でした。溝口健二監督のファンである自分からすると、彼女の若い日々の演技を見れただけでも、高い価値のある作品でした。

 映画的に見た場合、動きの滑らかさ、自然な演技、凄腕のカメラワークなど見所が沢山あります。サイレント作品というと、どうしても派手なアクションやわざとらしすぎる顔の表情などに閉口することもあるのですが、ここではそのような過剰演技は全く見られない。五所監督の演出の狙いは、あくまでも自然に見せなければ、この作品の繊細さは表せないという事でしょう。

 サイレントといっても実際には弁士が付いて説明しながら作品を進め、楽団も同時に演奏して作品を盛り上げるのが通常だったため、無音ではなかったというのが実際の様子でしょう。オープニング映像にも、「主題歌」についての作曲、作詞者名がクレジットされています。今回見たものでは音の要素は完全にカットされていて、無音状態で作品に接しましたが、主題歌がどのようなものだったかに興味があります。

 撮影テクニックにも優れた手腕を見せてくれています。固定カメラが基本ではありますが、演技者が画面上を縦横に動く事によって、画面外の世界の拡がりを感じます。画面手前の演技だけでなく、画面後でも演技を付けています。これも作品世界の奥行きに広がりを与えます。

 編集面では、カメラが何台も使えなかった事が一番の原因なのでしょうが、一台のカメラを効果的に使う工夫が考えられています。それは細かいカット割りを用いる事であり、登場人物の感情の起伏と意味をテンポよく表現し、作品にリズムを与えています。

 具体的に見ていくと、主に使われるカメラの動きは、固定からのパン(カメラを左右に振る)、ティルト(縦の振り)、そして両者の組み合わせを多用して、感情表現を豊かにしていくとともに、観客の視線を誘導していきます。

 また斜め構図の画面構成を多用する事で、この物語のはかなさ、不安定さが画面から伝わってくるのです。身分の違い、行きずりの恋の先行きの不透明さを、見た目だけで十分に表現しています。

 畳の部屋でのカメラの使い方も工夫が沢山あり、四角い和室で、角にカメラを配置して、部屋を広く使い、役者を動かしていく。カメラの目線も畳の位置からの見え方を基本にしている。人物の顔が途中で切れていたり、というご愛嬌なシーンもありますが、意図ははっきりと理解できます。

 座って、胡坐をかいている目線でのパンやティルトには撮影上の苦労があったと思われますが、それをそういう風には見せずに、あくまでも自然に見せる五所監督の才能の偉大さと謙虚さはすがすがしい。

 また、クロース・アップが、作品中のどの部分で使われるのがもっとも効果的かを考え抜いて、必要最小限の使い方をしています。感情表現を必要とする演出上で、最も効果的な方法であるクロース・アップですが、無意味に、そしてむやみに使うと効果がなくなってしまいます。最近のTVドラマに多いのですが、すぐにスターのアップに頼る演出では、飽きがくるのも早いし、見ていても見苦しいものです。

 その他、興味深い映像に、三味線の演奏シーンがあります。ここで使われる主観ショットがとても印象的なのです。よくロックのビデオで、ギタリストがソロを弾くときに自分の見た目である弦を爪弾く手を下に置き、コードを押さえる手を上にして、ネックの下から上にコードを上げていく様子と同じような見た目を、三味線を用いて描いて見せてくれているのです。畳部屋の撮り方といい、三味線シーンといい才能の非凡さには驚かされます。

 音が無いのに、音を感じるシーンが数多くあります。前述の三味線を用いた宴会シーン、若い女達の嬌声やおしゃべり、男同士の小競り合いや喧嘩などのシーンに音を感じるのです。映像で音も表せるのは素晴らしい。

 たとえ音が無くても、この物語は目からしみ込んできます。あまり知られてはいませんが、ほのかな恋愛と葛藤を描いたサイレント映画の傑作のひとつです。五所監督の編集により、流れるように、物語は映像で語られ、見るものの心に強い印象を残します。
総合評価 82点

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この記事へのコメント

トム(Tom5k)
2008年06月08日 01:31
>用心棒さん、どうも。
私は最近、美空ひばり、吉永小百合、山口百恵と3作品連続でDVD鑑賞しました。
残念ながら、田中絹代版が未見なんですが、こように、その時代を象徴する大スターがその時代ごとに主演していることは、考えてみると凄いことですね。
わたしとしては、松田聖子も「野菊の墓」ではなく、「伊豆の踊子」を撮ってほしかった。
それにしても、川端文学に何か、そういった魅力が隠されているのでしょうか?
結ばれることすら意識されていない二人の関係、恋愛というにはあまりにも美しくはかない純粋な心の交流にも関わらず、普遍の恋とはこのような心情なのでしょうね。
用心棒さんには、このようなご経験はおありですか?(笑)
では、また。
2008年06月08日 20:27
 こんばんは!
 百恵ちゃんのは見ましたが、他の方のは未見ですよ。松田聖子のも観たかったですね。キョンキョンじゃ、コメディになってしまいますし、明菜では企画に無理がありますし…。

 川端康成作品はあまり詳しくはありませんが、情緒や美しさを表現する彼の作品には心を洗われますね。

 普遍的な人間愛ですか?う~~~む?難しいですね。まだまだ修行が足りません。

 ではまた!
蟷螂の斧
2019年03月10日 08:32
おはようございます。
僕はこの田中絹代版は未見です(すみません
少し前に吉永小百合版を見ました
薫の兄役の大坂志郎さんがすごく良かったです

>まるでパンクロックみたいな初期録音の『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア』

もしかしてハーモニカのイントロ・ヴァージョンでしょうか?

>何を書いても誰かがすでに書いた物でしょうし、難しいwww

名作ほど難しい

>SMYLEがリリースしていた『イッツ・ゴナ・ビー・オールライト』

今聞いています。いいじゃないですか
演奏やコーラスがビートルズっぽくていいですねー
2019年03月11日 00:14
こんばんは!

>大坂
今じゃ、なおみちゃんでしょうねwww
良い俳優さんでしたね。

>ハーモニカ
ぼくが持っているのは音がこもった感じで、ベースがブンブン唸っているテイクです。オフィシャルよりも熱量が熱く、パンキッシュですよ。

>っぽく
ビートルズっぽいでしょwww

『ヤアヤアヤア!』や『ヘルプ!』のアウトテイクだとか言われたら、素直に信じてしまいそうですね。

というか高校生の頃にこれが入っているブートを買ったので、ずっと未発表音源だと思っていました。

よく聴くとジョージが弾きそうなフレーズではないなあとか、リズムギターやシャウトがジョンに寄せて行っているなあとか分かりますが、ネットもない時代では知識には限りがあり、入っているモノはそのまま受け入れていましたwww

最近、入り浸っているビートルズ専門店のオーナーさんに頼み、お知り合いの森山さんがお詳しいバージョン違いの宝庫で有名な8枚組の『ビートルズ・ボックス』の入荷を待っている状態です。

アナログ盤とCDではかなり雰囲気が違い、若い頃に聴いていたアナログに戻っていますが、お金がどんどん消えて行きますwww

ではまた!

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  • 映画「伊豆の踊子」は30年以上もリメークされていない

    Excerpt: 吉永小百合主演の「伊豆の踊子」を見た。感想は後日、書いてみるとして、これまで映画で踊子を演じた女優と、その公開年を調べてみると次の通り。追記あれば、ご指摘願います。1933年 田中絹代1954年 美空.. Weblog: 映画と出会う・世界が変わる racked: 2006-04-14 01:19
  • 映画評「恋の花咲く 伊豆の踊子」

    Excerpt: ☆☆☆☆(8点/10点満点中) 1933年日本映画 監督・五所平之助 ネタバレあり Weblog: プロフェッサー・オカピーの部屋[別館] racked: 2014-11-08 09:04