『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)ゾンビ映画の金字塔であり、アイデアに溢れた傑作。

 ゾンビ映画といえば、この人しかいないとも言える人物がジョージ・A・ロメロ監督であり、彼がまだ制作費を十分に得られず、四苦八苦していた当時に製作されたのが、この『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』です。製作されたのは1968年ということもあり、ラジオ、ブラウン管のでっかいテレビ、家具などを見ても時代がかった調度品が多く、時間の経過を感じます。


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  <ホラーであり、かなりネタバレがありますので、未見の方はご注意してください。>
I am Going to Get You Barbara!

 しかしモノクロで撮られた、このゾンビ映画は他とは比較できないほど芸術的にも優れた映像を味わえる出来栄えに仕上がっています。何故モノクロになったのかという理由は、芸術性のためではなく、単に予算が無かったからというのが真実のようです。

 何が幸いするかは後になってみないと解らない事もあるのですが、低予算のために採用されたモノクロ・フィルム、無名俳優、普通の民家、本物の墓場、ワシントンでのゲリラ・ロケ、うるさすぎない音楽、現実感のある音響、こだわりに溢れた冒険的な特撮、画面構成の巧みさなど、予算内でロメロ監督がやりたかったことをすべて映像化している印象があります。

 金は無いが、アイデアには溢れているという巨匠監督が世界に羽ばたこうとする手前の活力と熱気をフィルムから感じます。彼の才能の素晴らしさはこの映画のオープニングの10分間を見るだけでも十分に理解できます。

 またオープニングで用いられる、斜めフレームによる演出が非常に効果的で、これから始まる作品の恐ろしさを暗示し、不安定感や不安感を観客に植え付け、彼らの感情をコントロールして、画面に釘付けにしていきます。

 何処か歪んだ構図、進行方向をあえて無視した車の動きが不安感を煽り、本来安定のイメージである正方形をダイアモンド型に配置した図形イメージの不安定さも、観客に与える不安感をさりげなく後押しする。

 素晴らしいオープニングシークエンスであり、後のキューブリック監督の『シャイニング』でも同じような演出をオープニングで使っています。見たのは『シャイニング』が先だったために、キューブリック監督のセンスに驚いたものですが、これを見てからはロメロ監督も只者ではないと思うようになりました。

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 さらに驚くべき事に、墓参りのシーンのごく最初から、すでに最初のゾンビ(ビル・ハインツマン スタッフの一人)が遠くの方に映り込んでいるのです。墓場の奥の方でただ突っ立っているだけの人物が映っている時は、他の墓参りの人が残っているだけかと思いましたが、近づいていって、挨拶しようとすると急に襲ってきた時には驚きました。本物の墓場ということもあり、なんとも言えない冷たさと薄気味悪さを感じます。

 現在、この墓場は改築されたそうです。その理由は当地を襲った竜巻により、墓場が吹き飛ばされてしまい、200体以上もの遺体が、なんの跡形も無く、飛び散ってしまったそうなのです。出来るだけの収容はしたようですが、今も何体かはそのまま野ざらしになっているのかもしれません。

 重要な因子が最初から映っているという意味で、同じような演出方法が採られている物には、ヒッチコック監督の『北北西へ進路を取れ』で見られる、トウモロコシ畑での飛行機による襲撃シーンがあります。


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 今回この『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』を久しぶりに見た時に、改めてこのシーンを思い出しました。たった10分程度のオープニングシークエンスだけで、こんなにも多くの見所があるのです。

 予算が十分に取れるという事が素晴らしい映画を作り出す上で、絶対条件ではないことを証明する作品でもあります。アイデアに満ち溢れ、それを作品に活かす手立てを見つけられる者には、予算という重要ファクターでさえも、絶対的なものではないのでしょう。

 もちろん、才能ある監督に潤沢な予算を付ければ、名作になる可能性は高くなるかもしれませんが、制作者がハングリーで、金は無いが、若さとアイデアだけは溢れるほどある時代だからこそ、製作できる作品があるということです。

 ロメロ監督ら製作スタッフは、そのほかにもドリー(移動撮影用車両)を持っていなかったために、仕方なく、車のトランクにカメラを配置して、運転しながら撮影したシーンなどもあったそうです。

 実際に、フェリーニ、黒澤、キューブリック、ゴダールなど多くの巨匠と呼ばれる監督達の初期作品は生命力が旺盛な出来上がりになっているものが多い。テクニック的には未熟なところがあっても、それらを押し切っていくだけの体力と確信がある。

 ジョージ・A・ロメロ監督がホラー映画を撮るに当たって、採り上げた「ゾンビ」という素材は、他のホラー映画の悪役達とは違うポジションに配置される存在です。一般的にホラーの悪役というと、大きく分けると2種類に分ける事が可能です。

 第一にはドラキュラ、フランケンシュタインの怪物、メデューサなどの妖怪変化のようなものの存在です。また『エクソシスト』、『オーメン』に代表される幽霊、悪霊など霊的なものも数多い。彼らはともに神秘的で、この世のものではない冷たさと不気味さを持っている。人智を超えた能力と容姿を持つ者が一般人に与える、未知への恐怖が重要な「恐怖」の要因でしょう。

 第二には、同じ人間であるにもかかわらず、人間を殺しまくる殺人鬼を扱った作品群がもう一方にあります。『サイコ』、『羊たちの沈黙』、『悪魔のいけにえ』などに代表される作品に登場する悪役達です。彼らは残虐な人間ではありますが、確かに人間なのです。精神的に病んだ者たちが一般人に与える心理的な恐怖が重要な「恐怖」の要因になります。 

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 では、「ゾンビ」映画が我々に与える恐怖はこれらとはどう違うのか。ゾンビは元人間です。それもごく普通の人々が死後、急激に獰猛になり、生きている人間に襲い掛かります。人間には理性(知性)、感情、そして肉体(本能)がありますが、ゾンビは見た目には人間なのに、理性と感情を失った存在なのです。

 我々人間は肉体だけ、破壊衝動や欲望だけの存在がどれほど危険かというのを本能的に知っているからこそ、彼らゾンビを恐れるのではないでしょうか。ゾンビとは隠喩であり、人間が人間を食いものにする現実の社会への警告なのではないだろうか。

 また主役が黒人俳優(デュアン・ジョーンズ)というのも、ロメロ映画では後年の『ゾンビ』でも見られるパターンですが、彼の作品での黒人は常に冷静であり、大概の白人は馬鹿か、自分勝手な存在として描かれている。

 実際この映画でも、黒人は冷静沈着で、頼りがいがあり、現実的で、前向きである。この作品では、彼とは正反対なキャラクターが大勢登場します。娯楽映画であるホラー映画にも必ず、主役だけではなく、ヒロイン、そしてその他の人々が出てきます。

 ホラー映画で描かれる女性像は両極端に分かれます。それはそのまま、映画で生き残れるか、やられてしまうかの境目になります。ホラー映画で死ぬための必要十分条件は馬鹿であること、大声で泣き叫ぶ事、落ち着きが無い事、自分勝手で他人のことをまったく考えないこと、主人公と正反対の行動を取ること、少女は死なない、主人公の役に立たない行動をする、人目につかないところでセックスする事などです。

 この映画のヒロインであるバーバラ(ジュディス・オディア)は最後のセックス以外はすべて当てはまってしまいます。当然彼女は死んでしまいます。だが、この映画の凄いところはそんな事ではありません。

 ロメロ監督が用意したもっともセンセーショナルなシーンはラスト15分に集約されています。彼女もほかならぬ肉親である、ゾンビ化した兄(ラッセル・ストライナー 俳優兼プロデューサー)によって殺されてしまいます。

 ロメロ監督はまず生き残った人間同士で、意見の相違が原因となる人間らしい殺し合いをさせます。せっかく生き残ろうとしているのに、仲間割れしてしまう様子には、人間の深い業を感じます。銃を奪い返し、デュアンが、自分勝手な白人家族の父親(カール・ハードマン)を撃ち、重傷を負わせます。


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 父親は怪我を負い、娘の少女(カイラ・ショーン)の元に逃げ延びますが、ロメロ監督は残酷な最後をこの父親に用意しています。監督は無情にも病気で寝ていた少女を既に殺し、ゾンビ化させて、彼女に家族を襲わせます。

 父親の手をもいで、それに食らいつく映像はおぞましい。ついで彼女は母親をも手にかけ、惨殺します。アメリカ社会の中で、家族という単位を破壊してみせる構成は、当時であれば、大変ショッキングな映像だったろうと想像できます。

 何とかこの暗黒の夜を生き延びた、黒人主役は翌朝に警察が救助に来ていることに気付き、窓のほうに用心しながらも向かっていく。彼が窓から顔を出そうとした瞬間に、一発の銃弾が彼の眉間に突き刺さる。ゾンビと間違えられて、射殺されてしまう。

 ヒーローを撃ったのは白人であり、ゾンビたちもすべて白人だったように思います。ゾンビの中に一人、パンツ一丁のおっさんがいるのには笑いました。なのに何故、黒人を撃ったのか。人種差別問題も含め、深く考える事も多い映画でした。

 その後、画面は報道のスチール映像を思わせる写真がモンタージュされて、顛末を描いていく。最後にまとめてゾンビと一緒に燃やされてしまう主人公の遺骸の映像はかなり、ショッキングです。

 なぜ、この作品が不朽の名作として、愛され続けているのかは、ラスト15分の人間対ゾンビの攻防とその後に続く悲劇的なエンディングを見れば、理解できると思います。今回かなり、ネタバレ的な話が多くなりましたが、きちんとこの作品を伝えようと思えば、こういう風に書くしかなかったからです。

 見れば解る、ホラー作品の金字塔が、この『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』なのです。ホラーである前に、ストーリー展開、演技、特撮、演出、環境設定などでも大変優れていて、一本の映画として、驚くべき高水準を誇る作品です。妙な音楽が無ければ、もっと素晴らしかったろうと思います。

総合評価 96点

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この記事へのコメント

2006年05月02日 15:21
 こんにちは。
 この作品は観ていないのですが、日本で初めて公開された本格ゾンビ映画「ゾンビ」が、長い上にグロテスク(特に臓物を食べる場面)・・・生理的に受け入れられなくて、それ以来ロメロに対しては悪い意味で<メロメロ>状態です。この第1作はそれより40分くらい短いので<長たらしい>印象はないかもしれませんね。
 ゾンビにはサスペンスを感じません。何故なら、むやみに襲うので。ヒッチコックが言うように「動機なき殺人はつまらない」ということもありますし、むやみに襲うことは人類を滅亡させ、自らを滅ぼす。誰も人類が滅んだ後のゾンビを見たことがないので断言できませんが、そこにゾンビという存在の矛盾があり、自らの為に襲撃を抑制出来る吸血鬼とは違います。ゾンビを<下品な吸血鬼>と呼ぶ人もいらっしゃいますが、本質的に別だと思います。
 「ゾンビ」やこの作品には熱烈なファンが多いので、下手なことを言うと叱られますが、信頼を寄せる用心棒さんがここまで褒めるところを見ると、この第1作は観るべきかもしれませんね。
2006年05月02日 21:54
 オカピーさん、こんばんは。オカピーさんは「ゾンビ」がダメなんですか。
 僕も見てはいましたが、仰るようにスプラッター&ナンセンスの「ゾンビ」はダメだったんです。
 しかしこれに限り、モノクロということもあり、いろいろと映像表現のアイデアが豊富なので、何回か見ています。
 機材が悪かったせいらしいのですが、速度の違うズームとか、結構興味深いですよ。
 ただ基本的に血がドバドバ出るのは大嫌いなので、80年代以降のスプラッター、ショッカー系作品はほとんど見ていません。
 好き嫌いはダメだとは思うのですが、僕も基本的に「見たまんまホラー」は目が受け付けませんね。

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