『模倣犯』(2002) 自分の意見を持つ者は異端か?世間体など気にせずに、冷静に見ましょう。

 映画を評価する時、もっとも一般的なやり方として、ストーリーが「面白かった」、「つまんなかった」で済ましてしまい、「何故、面白かったのか」、もしくは「何故つまらなかったのか」ということまで、突き詰めて語られている事はあまり無いようです。それは通常の会話だけではなく、雑誌もそうですし、映画雑誌でも、ストーリーと演技にしか触れていないこともあります。

 誰かが「面白い」と言えば、見てもいないのに「あれって、面白いらしいよ」と言い、「つまらない」と言えば、「つまんないらしいよ」と言ってしまう始末。こういう意見を吐いたのが、有名人であったりすると、なお性質が悪い。そこに大人としての主体性は全く無い。「面白かった」ではあまりにもつまらない。「つまらない」では、もっとつまらない。

 なぜ、すぐ他人の意見に同調してしまうのか。なにを恐れているのか。子供ではあるまいし、環境も皆違うのですから、自分と他人は違っていて、当たり前ではないですか。名作でも、自分に響かなければ駄作であり、迷作と言われていても、自分に響けば、それは良い映画なのです。

 ただ、それとは矛盾して、混乱を招く事を言うようではありますが、自分に響けば良いと言っても、自分勝手な事を書きなぐって、作品を貶めても構わないという事ではないので、勘違いしないでいただきたい。気に入らなかったならば、気に入らなくても良い。

 それを他人のブログで言うのではなく、映画会社に意見するか、自分のブログを立ち上げて、真っ当な批判を行えば良いのです。映画ファンのブログは各々が管理している「家」であり、「ゴミ箱」ではない。

 「荒らし」の何が最低だと言えば、明らかに自分のHPなり、ブログを持っていない人に限って、管理者や対象を貶めて、無作法に去っていくところです。自分では痕跡を残していないつもりのようですが、法的処置をとる場合には、プロバイダーは、すべてを明かす義務があることすら分かっていない。

 まあ、荒らしはともかくとして、普通に見ていて、自分が他人と同じ意見である事に、安心感を覚える事もあるでしょう。本当にその映画を見て、同じように思ったのであれば、それはそれで良いのです。なぜなら、それが多数意見であり、真実である事も多いからです。

 一番、性質が悪いのは、見てもいないのに、また見ても、同じようには感じていないのにもかかわらず、作品を貶しまくる人々の尻馬に乗っかり、作品に暴言を浴びせかけて、多数派である事への安心感を得たり、日頃のフラストレーションを書き込みで発散する阿呆な輩達です。

 こういう輩の意見が大多数になった時は、詳しくない人が見れば、本気にしてしまうので、危険なのです。すべての人が褒める映画、すべての人が貶す映画は必ず自分で確認していただきたい。褒める人は何故、それを褒めるのか。貶す人は何故、それを貶すのか。判断するのは、あくまでも自分なのです。

 何故こういうことを書いたかと言えば、この作品『模倣犯』に関する感想を聞くと、「つまんないって、みんな言ってたよ」と他人経由で言われている事があまりにも多かったからです。「誰が言ってたの」とさらに詳しく聞くと、「ネットで、かなり貶されていた」というのが大半でした。

 そして、自分も見るつもりは無かったのですが、あまりもの酷評の多さから、恐いもの見たさもあり、レンタル店に並んだ時に、すぐに借りて見ました。先に結論を言っておきます。これは最低ではない。最高でもないのは勿論ですが、少なくとも0点から、赤点である30点以下になる作品では決してありません。以下になぜそうではないかを列記していきます。

 まず、映画を映画たらしめる、重要な核となる主な要素にはストーリー、演技、演出(カメラワークやら見た目の部分)という3つがあります。それに次ぐものに音の問題(音楽や音響)、環境(セットやロケーション)などがあります。 

 ストーリーについては、もともとが宮部みゆきのベストセラー小説が原作ということもあり、破綻している印象はなく、悪いとは感じません。原作を読んでから映画を観た人の中には、「原作と違う」などという人がいるかもしれません。しかしこれこそが根本的に映画を解っていない人の大多数の意見です。

 映画監督は、原作者の意図を忠実に映像化するために存在するのではないのです。原作からエッセンスを得て、自分の映像世界に表現しなおすのが仕事なのです。『天国と地獄』にしろ、『惑星ソラリス』にしろ、『シャイニング』にしろ、小説と映画は完全に対をなすものではない。大幅に変えられていて、のちに作者と監督が揉める事すらある。

 小説世界をそのまま映像化したから、良い映画になるわけではない。スティーブン・キングの小説は素晴らしい作品が数多くありますが、映画化されたものの出来栄えとなると、『ショーシャンクの空で』と『シャイニング』が素晴らしいだけで、他はあまり良いとは言えない。特に『クジョー』は映画としては失敗作です。

 そういう観点から見ていくと、この映画自体のストーリーはおかしなものではありません。プロットの運び方を見ても、現在の進展状況を40分位?かけて見せた後に、フラッシュバックを用いて、各々の登場人物のキャラクターと過去を掘り下げていき、また現在に戻ってきて、クライマックスに持っていくという構成をとっています。入り組んでいるように見えますが、シンプルに整理されていますので、そのやり方自体は成功しています。

 次に演出についてですが、カメラの動きは妥当であり、オレンジがかったフィルターをカメラに装着して使っているようで、色調も統一されています。バタバタとカメラが動くわけでもなく、カット割りが細かすぎるわけでもない。難点としては、ネットの書き込みのような文章が画面に何度も出てくるのが煩わしいこと、そしてクライマックス・シーンでの中居君のCGシーンくらいでした。

 では何が悪くて、こんなに酷評で埋め尽くされてしまっているのか。それはおそらく、主役を軸にした演技面です。観客が見る演技者のうち、最も気になるのが言うまでもなく主役です。ここがしっかりしているだけでも、作品は締まってきます。

 では中居君はどうだったか。酷い。棒読みであるのは勿論、顔だけというより、顔の皮膚だけでの表面上の演技では観客は納得しない。また、これは中居のみの責任ではなく、彼をキャスティングした人間が一番悪い。

 冷酷で、知的で、ミステリアスなイメージを持つ主人公を演じるにしては、彼は日本中の国民に知られすぎていて、この部分での感情移入が全く出来ない。ドラマではなく、コントに見えてしまう。この役の適任者は新人の俳優か、無名の俳優を選択すべきでした。原作が話題作だったのですから、性格俳優を使っていても、観客動員は望めたはずです。

 彼を支える助演俳優であるべき、津田寛治がそれに輪をかけて酷かった。終始浮ついていて、見ていて見苦しい印象がありました。主演と助演がコケルと、山崎努、木村佳乃、藤井隆と脇役に恵まれていても、救いきれません。演技というのは映画主要素のうちで、ストーリーとともに、目につきやすい部分であるために、酷評されやすかったのかもしれません。

 音の部分に関しては、音響面では問題はないと思うのですが、音楽そのものが最悪でした。薄っぺらいサンプリング音をフューチャーした「もほおはあん」の間抜けな音が、作品のレベルを下げてしまい、質に傷をつけています。

 デジタルとアナログという対比では、デジタルな中居、津田の演じた犯罪者達に相対する、豆腐屋、蕎麦屋、畳屋という職人気質のアナログな人々が描かれました。そして一見、利用されているように見えて、結局は両方を食い物にする、アナログとデジタルを合わせ持つ、メディアの異常性にも表面的ではあるが、描き出されていました。

 デジタル組は加害者であり、アナログ組は被害者として単純化されて、描き分けられた。死に方もデジタル組はゲームオーバー的な死に方をする。中居に至っては子供まで残し、将来のリセットまでやり終えてからゲームオーバーする。あれが中居と伊東美咲の子供だったのかは、明らかではない。

 中居が「大きい女には手を出すな!」と言ってましたが、伊東美咲って、でかいはずです。中居自身が160センチないので、身長へのコンプレックスから、こう言ったのだろうか。監禁してご主人様になるのに、小さかったら馬鹿にされるからだろうか。まあ、くだらないのでやめます。

 表面的なマスコミ批判、ネット批判を作品中に盛り込んでいるのが鼻につくが、そんなに悪いやり方はしていない。知能犯と警察の知恵比べといえば、黒澤明監督の『天国と地獄』、ユニセフへの寄付や地雷除去の要求など、いきあたりばったりの愉快犯的要求からは『太陽を盗んだ男』を思い出させました。

 この二作品と『模倣犯』の決定的な差は、核となるべき主演俳優の演技の質から生まれています。『天国と地獄』で、冷酷な知能殺人犯を演じた山崎努を、被害者として起用したのは、森田監督最大のヒットである。作品中に、『天国と地獄』がオマージュされているのも、偶然ではなかろう。

 以上から総合的に見ていくと、この映画が最高ではないにしても、最低でもない事を解っていただけるかと思います。映画をある一面だけから判別しようとすると、失敗するというのが、この作品への批評のありようから理解できるのではないでしょうか。あまりにも物語や演技だけにとらわれすぎていると、ファンとしての鑑賞力の幅が広がりません。

 最後の中居くんの首が飛んでいくシーンは『江戸川乱歩全集 怪奇畸形人間』のパロディでしょうか。

総合評価 58点

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この記事へのコメント

2006年04月23日 03:07
 早めにUPして戴いたので、僕も早めにTBそしてコメント致します。有難うございました。
 我が意を得たり、であります。特に原作と映画との関係についてはその通りとしか言いようがありませんし、別のところで全く同じような表現をしたことがあります。
 違うのは中居君の演技についてですね。確かに棒読みですが、あれは彼の演じたピースなる人物が感情を表面に出さない設定故の意図的なものと理解しています。但し、彼を使ったことが酷評の第一要因になったことは100%間違いありません。
 音に関してはTV鑑賞故にさほど気にしませんでした。しようもなかったというのが正解かもしれません。
2006年04月23日 10:09
 オカピーさん、こんにちは。急いで記事を書いたので、くどい文章になったかもしれません。
 今回で、2回目の鑑賞だったのですが、そんなに悪い作品ではないと確信しております。
 これへのファンの感想については、間違いなく、観てない人の感想が相当数紛れ込んでいます。それにすぐ反応する人もおそらくは観てないですね。
 表面上だけの浅い感想や罵倒が多すぎるので、そのように感じました。自分の意見を持ち、それを表現するのは難しいことではありますが、大多数の尻馬には乗りたくはないです。
 できるだけ、作品のみに集中して、感じたままを記事に出来ればよいかと思います。それがみんなと同じでも違っても、それでよい。

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