『醜聞』(1950)テーマが優れているにもかかわらず、何か違和感のある作品。ネタバレあり。

 黒澤明監督の1950年の作品ですが、本来の職場である東宝の労働争議のために、他社で撮らざるを得ず、大映や松竹で製作された作品のうちのひとつであり、これは松竹で撮られたものです。

 東宝作品には無い違和感と、よそよそしさのある作品です。具体的にどこがとは、はっきりとは言えないのですが、何かが違うような気がしました。撮影スタッフが違うためか、それとも音響のためか。音楽自体は天才・早坂文雄さんの手によるものです。

 無頼の画家(三船敏郎)と清楚な声楽家(かつて李香蘭を名乗らされていた山口淑子)という、今で言えばアーティストとアイドルの恋愛スキャンダルを捏造した三流雑誌社を、画家と声楽家が弁護士(志村喬)を間に入れて、この雑誌社と法廷で争う過程を描いた作品です。

 今でも同じような捏造は頻繁に問題となっています。「知る権利」と「プライバシー」という厄介な問題を含めて、報道関連にはいまだに妥協点には至っていない問題が山積されています。境界線を引くのが難しいですね。

 弁護士次第で「白」が「黒」になってしまう不条理を、少々オーバーすぎる嫌いがありますが、志村喬演じる蛭田弁護士が体現しています。彼は『酔いどれ天使』では酔いどれの医師を、そしてこの作品では酔いどれの弁護士を演じていて、一連の黒澤現代物は志村の『酔いどれ』シリーズのようです。

 志村演じる弁護士は紆余曲折を経て、最終的には依頼者達を法廷での勝利に導いていきます。三船敏郎の台詞にも「われわれは今日、星が誕生するのをはじめて見た。」とありますように、最終的には本来の職務に対して忠実になった弁護士を美化する内容になっていますが、何処かしっくりこない、無理やりに取ってつけたような出来栄えでした。

 黒澤映画にありがちな、登場人物の極端な行動に原因があることは間違いなく、脚本をもっと十分に練り上げてから発表して欲しかった作品です。時間があまりなかったのでしょうか。着眼点は素晴らしいものです。テーマはとても重たい問題を扱うのですから、きちんとした準備をするべきでした。緊張感溢れる作風の黒澤監督らしくない、脚本の雑さを感じました。

 主役になるのは三船なのか、それとも志村なのか。比重がどうも、はっきりしないために全体のバランスも何処か収まりの悪さを感じてしまいます。志村の今回の演技は、シリアスなテーマの中で軽妙であり、驚いてクラクションを鳴らしたり、力説しながら臭い靴下を振り回して見たり、ユーモアのセンスをそこかしこにちりばめています。

 テーマの割には軽い作風に仕上がっていますがそれが機能しているようには思えませんでした。演技だけを見ると、志村出演作品の中でも一二を争う出来栄えです。それだけに前述したようにバランスの悪さが口惜しい作品でした。

 三船も無骨で無頼な画家を身体全体で表現していて、とても魅力的です。ですが主役の割に、今回は志村に食われている印象がぬぐいきれません。脇を支えるつわもの達(千石規子、左卜前、小沢栄)が、今回は特に素晴らしいために、三船にはもっと大きな存在感を示して欲しかった作品でした。

 黒澤作品に初出演となる山口淑子はとても美しい女優であり、脇役以上の存在感を出してはいますが、周りの出演者に対しての遠慮からか、自己主張が弱すぎる感がありました。この作品の女優の中で素晴らしかったのは千石規子でした。

 女性の持つ女らしさ、優しさそして色気がもっとも出ていたのは彼女です。どうしても山口の美しさに目がいきがちですが、女らしさを画面に出したのは千石だったのではないでしょうか。とてもチャーミングに、監督に撮ってもらった作品でした。

 出演者の中での、演技でのMVPは文句なしで左卜前です。美術の松山崇作のバーでの志村たちとのやり取りは絶品でした。卜前は黒澤組に出演した時には、必ずそのシーンの印象の全てを自分のものにしていきます。脚本作品の『荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻』でも圧巻の存在感を示しています。ここでもやはり巨大な俳優であり、バーのシーンでは志村が完全に食われてしまっています。

 素晴らしい脇役が目立つということは、良いことなのか、悪いことなのか難しい問題ではありますが、彼の存在がある時は作品の引き締まり方が違います。共演する俳優陣の緊張を感じます。実際バーのシーンはもっとあったそうですが、卜前が良過ぎて、他の出演者を食ってしまったためにかなりカットされてしまったそうです。見て見たいものです。

 劇を三つに分けると、一部はスキャンダルが起こり弁護士が現れるまで、二部は弁護士家族と依頼人の交流、三部が法廷物という構造になります。構造はこれで良いのですが、三幕目の法廷での弁護シーンがあまりにも極端に描かれていて、法廷シーンがもっともリアリティに欠けてしまい、締りの無い作品になってしまっています。中盤でのキャバレーシーンの盛り上がりがとても良かっただけに、余計に最後の法廷シーンが作品に致命傷を与えています。

 概してこの作品には、あまり監督の作りこみの徹底さを感じ取ることが出来ませんでした。その中でもドブ池に光る星空の映像や、まるでミュージカルのように山口や左の歌を使い、盛り上げていく手腕はさすがです。そしてこれらを見て思い出したのはキャプラ監督の『素晴らしき哉、人生』でした。『蛍の光』が歌われたときには笑みが出ました。

 この作品では、音楽がミュージカルのように用いられて、それにより効果を上げようとしています。『君よ知るや 南の国』、『きよしこの夜』、そして『蛍の光』が作り出していく雰囲気はとても素晴らしい。

 しかし致命的なことは、この作品の「歌」と「台詞」には音としての重みと遠近感、言い換えるならばエコーの処理と奥行き感が良くないことです。ミュージカル性を強調しすぎたためでしょうか。現実音と音楽の処理の仕方に個人的に不満があります。

 特に山での邂逅で歌われる『君よ~』の音響が、山口の歌ばかり強調されていて、雄大な山の自然音がまったく無視されていることにより、せっかくの山がもたらす雄大さと開放感がかき消されてしまい、山でロケをする意味が台無しになっています。

 また『きよし~』でも歌だけが強調されすぎていて違和感を覚えます。黒澤作品の中で、作り物の臭いがこれほどぷんぷんするのは、これ以外では『八月の狂詩曲』での演技がありますが、これはそれに匹敵する作品でした。どちらも松竹作品です。左と山口がいなければ、さらにひどい音を生み出していた可能性もあります。

 どこか雑然としている様子で、東宝作品のような質感がありませんでした。ただ松山さんが東宝から駆けつけているため、志村宅と彼お得意のバーのセットの出来栄えだけは秀逸なものでした。気になったのは旅館がいかにも作り物っぽくリアリティに欠けていることです。

 東宝作品と比較した場合、松竹作品は作り込みが雑で「やっつけ仕事」にしか見えません。そして大映作品と比べて見てもスケールが小さすぎ、迫力がありません。松竹作品として思い浮かぶのは『白痴』と『八月の狂詩曲』ですが、どちらもいわく付きの作品です。黒澤監督は松竹との相性が悪かったのだと感じています。

 テーマは素晴らしいのですが、音と脚本の不完全さによりしっかりと完成していない作品であるという印象を持ちました。時間の猶予があまり無かったのでしょう。名作に成り得た作品だけに惜しい。いやあ!実に惜しい。

総合評価 74点
醜聞(スキャンダル)
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醜聞(スキャンダル) [DVD]

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この記事へのコメント

2008年07月07日 23:17
 TB致しました。

>主役になるのは三船なのか、それとも志村なのか。

 僕は逆にこの部分が本作の優れた点ではないかと思っております。
 要は、ヒッチコックの言う【燻製にしん】に近い扱いです。
(バランスの悪さは)最初の段階では画家と歌手を主人公に 【言葉の暴力】を扱おうとしたのに変更を重ねるうちに弁護士が主役になってしまった名残りではあるのでしょうが、戦略的にスターをだしにして志村喬という名脇役を主役として興行的に成立しうる作品に仕立て上げた点を買います。日本映画に珍しい【燻製にしん】の例としても記憶したいところ。

 それから、クリスマスの場面。厳密に言うと幕切れの画家の台詞の為だけにあるような場面で、厳密に言えば無駄ですが、この場面を強引に印象的にしてしまえるところに黒澤明の優れた作家性がありますね。
2008年07月08日 00:53
 オカピーさん、こんばんは!
>バランスの悪さは 
 なんだか収まりの悪さを感じる作品ですね。着地点を探して迷走するような感じです。まあ、最終的には上手い落ちがついたのではないでしょうか。
 扱っている内容自体は十年以上先を走っているので、こういう着眼点はさすがだなあ、と素直に思います。

>厳密に言えば無駄
 たしかにいらないんですけど、あれがあるとないとでは印象が違いますね。裁判で志村が真人間に戻るにはあのシーンと裏金をもらい、三船らを裏切るシーンとのギャップと揺れを表すシーンがいるのかなあ、というふうにも思います。 
 話は変わりますが結局、『隠し砦の三悪人』のリメイクには行きませんでした。ではまた!

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