『知りすぎていた男』(1958) セルフ・リメイクをする必要があったのか疑問の残る一本。ネタバレあり
ヒッチコック監督により1934年に製作された『暗殺者の家』の、彼自身によるリメイク作品。この作品は映画愛好者の間では人気の高い作品です。しかし個人的にはあまり好みではありません。その理由はストーリー構成、俳優(特に悪役)、演出、音楽などが、ほぼ『暗殺者の家』と同じで、創意工夫のあとが見られないためです。
円熟の味はさすがにカットの作り方に見てとれますが、爽快な躍動感があった『暗殺者の家』での構成や稀代の悪役、ピーター・ローレの印象があまりにも強いので、どうしても納得できない部分の多い作品でもあります。
ストーリー展開は旧作とほとんど同じになっていますが、ジェームス・スチュアートに協力するのがドリス・デイだけになっています。前回では、いろいろと助けてくれていた彼の親友たちは、今回全く活躍することもなく、ただ彼らのホテルの一室で何も知らずに酒を飲んで寝ているだけに成り下がってしまっています。
助けるのが少ないほうが、見る側には解りやすいから割愛されたのだとは思いますが、二人だけで解決していくというのは少々無理があります。同じ作家が同じ脚本を使ってまた撮らなければいけない理由が見つかりません。
ジェームスはヒッチ作品には欠かせない俳優ですし、ドリスも思ったよりは良い演技を見せてくれていますが、悪役がピーター・ローレの足元にも及ばないので作品にしまりがないのが残念です。善玉と悪玉が見事に対比してこそ、はじめて作品は締まるのではないでしょうか。
何はともあれ何度も出てくるシンバルがあまりにもくどくどしく、うっとうしさすら感じます。何故ヒッチ先生がこれを撮り直す必要があったのかが全く理解できません。特に前と違った点は見つけ出すことが出来ませんし、せいぜいモノクロがカラーに変わったことと音響が良くなったことくらいです。
また母親の武器が前回は「射撃」で、今回が「歌声」というのはナンセンスです。ハリウッドのスタジオとの契約に縛られて撮らざるを得ず、しかも撮りたくもないので脚本を書きもせずにとりあえず「スターのドリスでも出しとけばいいのだろう!」という安易さを感じてしまいます。
ヒッチ先生本人及びトリュフォー監督はこちらを評価しているのですが、僕個人は旧作のほうが味わい深いと信じます。
殺しの場面の音楽は前と同じで、しかも同じシンバルというのは、あまりにも単純すぎて作者の手抜きを感じます。またドリスの歌は確かにとても上手いのですが、ここで歌わなければいけない必要性を感じません。オープニングが前作の「絵葉書」のスイスから「特撮」のモロッコに変わっただけですが、このシーンのみが前回よりはお金がかかっているかなと思わせる程度になっています。
この作品は、やはり彼自身の前回の『暗殺者の家』との比較になりますが勝っているのはモロッコシーンのみでこれも「絵葉書」に比べればという程度のものです。たとえ有名な監督を使い、実績のある作品のリメイクであり、当時より優秀な俳優や技術を用いても、新鮮味がないと、全くつまらない作品を生み出してしまうことが良くわかる作品です。
総合評価 41点(『暗殺者の家』を記憶から消し去ると65点)
知りすぎていた男
円熟の味はさすがにカットの作り方に見てとれますが、爽快な躍動感があった『暗殺者の家』での構成や稀代の悪役、ピーター・ローレの印象があまりにも強いので、どうしても納得できない部分の多い作品でもあります。
ストーリー展開は旧作とほとんど同じになっていますが、ジェームス・スチュアートに協力するのがドリス・デイだけになっています。前回では、いろいろと助けてくれていた彼の親友たちは、今回全く活躍することもなく、ただ彼らのホテルの一室で何も知らずに酒を飲んで寝ているだけに成り下がってしまっています。
助けるのが少ないほうが、見る側には解りやすいから割愛されたのだとは思いますが、二人だけで解決していくというのは少々無理があります。同じ作家が同じ脚本を使ってまた撮らなければいけない理由が見つかりません。
ジェームスはヒッチ作品には欠かせない俳優ですし、ドリスも思ったよりは良い演技を見せてくれていますが、悪役がピーター・ローレの足元にも及ばないので作品にしまりがないのが残念です。善玉と悪玉が見事に対比してこそ、はじめて作品は締まるのではないでしょうか。
何はともあれ何度も出てくるシンバルがあまりにもくどくどしく、うっとうしさすら感じます。何故ヒッチ先生がこれを撮り直す必要があったのかが全く理解できません。特に前と違った点は見つけ出すことが出来ませんし、せいぜいモノクロがカラーに変わったことと音響が良くなったことくらいです。
また母親の武器が前回は「射撃」で、今回が「歌声」というのはナンセンスです。ハリウッドのスタジオとの契約に縛られて撮らざるを得ず、しかも撮りたくもないので脚本を書きもせずにとりあえず「スターのドリスでも出しとけばいいのだろう!」という安易さを感じてしまいます。
ヒッチ先生本人及びトリュフォー監督はこちらを評価しているのですが、僕個人は旧作のほうが味わい深いと信じます。
殺しの場面の音楽は前と同じで、しかも同じシンバルというのは、あまりにも単純すぎて作者の手抜きを感じます。またドリスの歌は確かにとても上手いのですが、ここで歌わなければいけない必要性を感じません。オープニングが前作の「絵葉書」のスイスから「特撮」のモロッコに変わっただけですが、このシーンのみが前回よりはお金がかかっているかなと思わせる程度になっています。
この作品は、やはり彼自身の前回の『暗殺者の家』との比較になりますが勝っているのはモロッコシーンのみでこれも「絵葉書」に比べればという程度のものです。たとえ有名な監督を使い、実績のある作品のリメイクであり、当時より優秀な俳優や技術を用いても、新鮮味がないと、全くつまらない作品を生み出してしまうことが良くわかる作品です。
総合評価 41点(『暗殺者の家』を記憶から消し去ると65点)
知りすぎていた男
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この記事へのコメント
コメントについては一々納得なのですが、41点という採点については些か相対論・比較論になりすぎてはいないでしょうか?
つまり、「暗殺者の家」を観ていない映画ファンに解説する立場としては、どの程度の評価が出来ますか。
小津とヒッチコックは全く似たタイプで、リメイクとは言わないまでも同じテーマで何度も映画を作りましたね。
その他の巨匠も実はそれほど変わらないもので、黒澤明の「八月の狂詩曲」は「生きものの記録」の作り直しという気がしますし、宮崎駿の「もののけ姫」は「風の谷のナウシカ」の事実上のリメイクでしたね。
この作品は前後に『ハリーの災難』(前)、『間違えられた男』(後)という二本の実験的な作品の間に挟まっており、余計そう感じたのです。
自分が『暗殺者~』をいったん忘れ、この作品のみで判断した場合ならば、脚本・演出面で高評価(歌はいただけませんが)をつけるでしょう。65点くらいですかね。
ヒッチ作品の映画評を全部UPされていくそうですね。大変な事でしょうけれども、頑張ってください。拝見次第、TBをあげさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
ではまた。
本来なら私のほうがコメントすべきでしたが、先にこの作品に触れていたということもあり、ご遠慮申し上げておりました。
全部と申しても、「山鷲」「シャンペン」「ウィーンからのワルツ」の3本は現在ビデオ等を所有しておりませんので、無理かもしれません。それと「暗殺者の家」以前のものは原則として見直さずに、昔書いた文字通りの短評の掲載に留めようかな、と思っています。僕の場合大事なのは☆★。一部の方には点差が少ないと思われるかもしれませんが、実は熟慮の末に導き出されたものです。直ぐに満点、すぐに最低点(「みんなのシネマレビュー」のような0点は問題外)を出すのは映画に対して失礼と思います。
本作に関しては、用心棒さんとは珍しいほど意見が違いますが、「暗殺者の家」を観ている方は限定的と思いましたので、比較を避けたのも理由の一つです。
ドリス・デイは素晴らしい演技を披露していますが、最後の一幕は彼女の為に用意された印象が強く、無駄に近い印象がありますね。あれだけの演技が出来るのなら、オリジナルの設定のままで良かったと思います。
>最後の一幕
そうなんですよ。あそこの場面が余計なために、印象がかなり悪くなってしまったんです。まるで、メイン・ディッシュが不味いコース料理みたいな感じなんですよ。
ヒッチ論評については、楽しくも難しい作業ですが、のんびりとやっていってください。
一般的なファンの方にとっては『サイコ』、『鳥』、『北北西~』、『レベッカ』、『見知らぬ乗客』、『バルカン超特急』、『裏窓』などは興味があることでしょう。
しかし『パラダイン夫人の恋』、『山羊座のもとに』、『ゆすり』、『巌窟の野獣』などには食いつきが悪いかもしれませんね。
ただヒッチマニアはこれらの作品を楽しみにしておられると思います。ではまた。