『一番美しく』(1944)激戦の1944年、黒澤監督の第二作はミュージカルだった! ネタバレあり

 黒澤明監督、1944年の作品にして唯一の国策映画。太平洋戦争期間中の最も激しく、出口の見えない情勢の下で製作されました。「撃ちてし止まぬ」のスローガンがオープニングから出てくるだけでも特異な状況を理解できることでしょう。尋常ではない状況の中で撮影されたこの作品の後、黒澤監督は主演の矢口陽子さんと御結婚されました。また黒澤監督としては珍しい女性が主人公の作品でもあります。(他に女性が主演を務める作品としては『わが人生に悔なし』、『八月の狂詩曲』があります。)

 女子挺身隊を描いたこの作品は、元々は国策映画として製作された作品ですが、黒澤監督は軍部が喜ぶコードを使いながら、実は反戦映画を作り上げていました。コードとは「軍神につづけ」、「山崎部隊につづけ」など、という現在の感覚からすると薄気味悪く感じてしまうスローガンや男尊女卑の描写などのことです。志村喬さんの演じる所長の訓示からでも全体主義、国粋主義の異様な時代を実感できます。為政者の都合の良いように曲解された「忠孝」の教えは、いかにも押し付けのものであり、それらのいかがわしさに軍部の検閲を感じます。

 このように制約の多い中で黒澤監督は、作品中に本来であれば、入れたくも無い軍部礼賛の言葉をちりばめながらも、女性中心のミュージカル作品として本作品を仕上げています。抑えつけられていたあの時代でも、当時の女性は現在の女性達と同じように嬌声を上げたり、ちょっとしたことで泣いたり、笑ったりしています。その様子はとても微笑ましいものです。軍部の検閲さえなければ、もっと活き活きとしたミュージカルを作ることも可能だったと思うと残念です。

 彼女達の唄う歌や鼓笛隊の奏でる楽曲は、とても洗練されているとはお世辞にも言えない代物ではありますが、彼女達の持つ生命力、暖かさ、そして手作り感が見る者に伝わってきます。制約が多い中での躍動感と表現の巧みさが素晴らしく味わい深い佳作です。監督・スタッフをはじめとする作り手の苦心と工夫に気づくべき作品です。現在、改めて見てもリズムの良さは健在です。

 この作品のために監督は2ヶ月間もの長い間、出演者全員とスタッフ共々、平塚にある日本光学のレンズ工場と寮で、寝食と工場の労働に実際に就いたそうです。このおかげでこの作品には集団としての一体感が非常に良く出ていますし、出演者達を「女優」としてではなく、当時の素朴な年頃の女性達を、まるでドキュメンタリーフィルムとして収録したような作品に仕立て上げることに成功しました。黒澤監督がネオレアリズモについて戦時中に知っていたかは定かではありませんが、まさしくこれはミュージカルだけではなく、ネオレアリズモの範疇にも入る作品です。化粧や虚飾を全て剥がされてしまい「素」に戻った女優達は、この連帯生活の後、ほとんどが引退したそうです。

 もちろんここでも黒澤監督らしいダイナミックな映像美は健在で、鼓笛隊の行進シーンの迫力と彼女達を囲むように通勤する労働者を同じシーンで捉えるモブシーンの演出に現れています。また工場内の作業場に奥行きを持たせる縦構図の撮り方にも感心させられました。国策映画であることを逆手に取り、踏み切りのシーンや工場のシーンは全て実物を使って撮影されています。セットでは表現できない建物本来の重厚感や奥行きを見ることが出来ます。なんでも物事には良い面と悪い面があるのです。検閲に縛られながらも、逆に警察や企業に作品の協力をさせているのです。

 忘れてはならないものに音楽の素晴らしさを挙げておきます。見終わった後にも耳に残る矢口さんの歌う『元寇』、そして鼓笛隊の奏でる『忠誠行進曲』。一生懸命練習したであろうこの行進曲は強く印象に残っています。最後の行進では曲も『元寇』に変わっていました。「四百余洲を挙る 十万余騎の敵」が強く切なく響きます。音楽と映像が相乗効果を上げている好例でした。

 処女作の『姿三四郎』と比べれば、面白みにもダイナミズムにも劣る本作品ですが、国策映画で英米的なミュージカルを纏め上げたのは監督の反抗心の故でしょうか。実際、この作品を見ていただければ理解できることなのですが、粗末な服装で長時間働き続ける彼女達の様子を見て、戦意が高揚するとは思えませんでした。

 戦中の女性達の初々しさを制約の中でも見事に切り取った作品です。台詞などの表現に軍部の胡散臭さがありますが、それらを差し引いても躍動感と瑞々しさはしっかりと今でも残っています。黒澤監督というと、どうしても時代劇の方に目が行きがちではありますが、現代劇にも『天国と地獄』、『野良犬』、『素晴らしき日曜日』そして『酔いどれ天使』など名作・佳作が多いので是非見ていただきたいものです。それぞれに工夫が凝らされていて楽しめる作品が揃っています。

総合評価71点
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この記事へのコメント

2005年11月23日 16:33
こんにちは!

>黒澤監督は軍部が喜ぶコードを使いながら、実は反戦映画を作り上げていました。

 正に。
 当時の一流監督は殆ど例外なく、検閲者の頭脳を見越した反戦もしくは反体制映画を作っていますね。
 例えば、木下恵介の「陸軍」。あの有名な幕切れはどう見ても「戦争は嫌だ!」としか聞こえませんが、ぼんくらな検閲官にはそれが分からなかったのでしょう。成瀬巳喜男の「三十三間堂通し矢物語」などは現代劇を作らずに時代劇を作った行為自体が反体制です。内容は仁を謳ったものですが、これも曲者です。
 共産党時代に作られたチェコ映画の「大通りの店」も実は反体制映画。我々が目に出来るということは、やはり検閲者がそれだけの鑑賞力がなかった証左。
 映画作家たる者、かくあるべし。
用心棒
2005年11月23日 23:36
 こんばんは。成瀬巳喜男監督の『なつかしの顔』でも思ったことですが、普通は、これらの作品を見て「戦争って、いやだなあ。早く終わって欲しいなあ。」となるはずなので、言葉、それも表面的な字面だけしか受け取れないような検閲官をはじめとする軍部の洞察力では、生死をやりとりする戦争で勝てるわけがありません。
2008年05月22日 23:20
 随分昔にもコメントを書いておったのですねえ。すっかり忘れておりました。

 以前触れた「陸軍」は検閲を通りましたが、実物を見たある士官が幕切れに激昂して大騒ぎになったとか。

「元寇」という曲が印象的に使われていましたね。あれだけ繰り返されると嫌でも憶えてしまう(笑)。

 元寇と言えば、太平洋戦争は江戸時代末期に端を発すると思っていますが、精神的基盤は元寇での神風に行き着くのではないでしょうか。
 仮に元寇にやられてしまい、かつ、征服されなかったという無茶な仮定をした場合、日清・日露戦争は勿論太平洋戦争もなかったのではないかと思ったりもします。
 日本人が外国人を恐れ嫌うようになったのも丁度この辺り、というよりこの<事件>からかもしれませんね。

 ほんの雑感です。悪しからず。
2008年05月22日 23:38
 こんばんは!
 かなり初期にこの映画のやり取りをしていましたね。懐かしさもありました。
>仮に元寇にやられてしまい
 仮定の話って、結構面白いんですよね。たとえば、バベルの塔が天まで届き、言語が世界中で共通だったら(笑!)とか、

 映画がずっとサイレントのままだったらとか、コロンブスがアメリカに着かずにオーストラリアに着いてたら、とかすると歴史って、かなり変わっていたのだろうか。

 それか結局は他のことが原因となり、同じような歴史に戻るのかとか考えると楽しいですね。ネットが流通するのが、あと20年先だったら…。けっこう恐ろしいですね。ではまた!
プラトン
2010年12月18日 16:40
>男尊女卑の描写などのことです

男尊女卑の描写というのが記憶にないのですが。
ありましたっけ?
女子工員たちが、男子行員よりノルマが少ないのは
体力的な面での配慮で差別ではないと劇中でも説明されたと思いますが、このことじゃないですよね。

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