『十月』(1928) スターリンに嫌がらせを受けて、現存の90分間になる前は2時間30分の力作だった

 ロシアの巨匠、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による、1928年の作品。製作に三年を費やした本作品ですが、製作途中で改変に継ぐ改変を迫られてしまったために、より解りにくいものになってしまったようです。カットされてしまったシーンには粛清されてしまったトロツキーについての映像、革命の主導者レーニンの演説シーンなどがあります。スターリン政権下において、レーニンの存在は邪魔なものに過ぎず、むしろスターリンへの個人崇拝と支配構造を脅かすものでした。

 純粋に映画を作ろうとしていたエイゼンシュテイン監督は、やりたいことをやりまくったようで、非常に難解な挿入映像を挟み込み、モンタージュを完成の域に近づけているのですが、これを革命政府誕生10周年記念映画として全国で公開したとしても、ほとんどの人は理解できなかったことでしょう。農民、軍人、都会人、官僚、そして政府や映画関係者ですらも、理解度についてはあまり変わりは無かったのではないか。モンタージュ効果が見事に炸裂している部分が数多くあるにもかかわらず、全体としての主張がはっきりと伝わってこないのです。

 検閲によるカットのために、本来持っていた意味が失われてしまう不幸があったにせよ、それでもこの作品には大作の香りが十分に残っています。それはモンタージュの素晴らしさによるものです。『戦艦ポチョムキン』のオデッサ階段のシークエンスに勝るとも劣らない歴史に残るモンタージュが幾つものシーンに散りばめられています。橋での弾圧と、それに繋がる封鎖シーンでの圧巻のモンタージュ。「馬」や「乳母車」の落下が意味するものはなんだろう。記憶に残る名場面であり、個人的には「オデッサ階段」よりも気に入っているシーンのひとつです。

 カットされてしまい、ほとんど失われてしまっているのがレーニンの登場場面です。革命の英雄であり、カリスマだった彼の登場シーンは、全体の中でもほんの5~6分もありません。原因としてはスターリンのつけた、いちゃもんのためでしょう。ただここでのエイゼンシュテイン監督のレーニンへの思い入れがかなり強かったであろうことも見逃せません。

 フィンランドでの亡命生活の後で、ロシアに舞い戻って彼が演説するシーンには、特にそれが顕著に現れています。群集と真っ暗闇の中で、天光がレーニンを探し、彼のみに光が当たり、神々しく凱旋演説をするくだりはまさに神のようです。個人崇拝を禁じ、宗教も弾圧する共産党にとっては、ありがたい場面ではなかったようで、前半の山場になるはずだった演説はカットされ、ほとんど意味を成していません。それでも十分に偉大さを演出しようとした、エイゼンシュテイン監督の意図を感じ取ることは可能です。 

 その他にもスペクタクルシーンは多くあり、皇帝の銅像を曳き倒すシーン(いろいろな映画で引用されています)や皇宮に襲いかかる後半のクライマックスは人員、経費とも莫大な物量が注ぎ込まれています。人と物は無尽蔵に使えたのに、肝心のファイナル・カットをずたずたにされたのは無念であったと思います。

 ユニークだと思ったシーンがもうひとつあるのですが、それは反乱軍の兵隊達が皇帝の寝所を暴いた時に見つける皇帝の「おまる」と皇后のそれを映し出した場面でした。皇帝などといっても神ではなく、ただの人間に過ぎないことをわざわざ知らしめる必要性が、演出上あったのかどうかは解りません。レーニンの演説が駄目で、皇帝の「おまる」は構わないという共産党の検閲の基準に強い不快感がありました。敗者は弄り倒すという共産党の体質が浮かび上がる瞬間です。

 難解な挿入映像の意味を理解できれば、ロシアの歴史をもっと詳しく知れば、更に楽しめる作品ではありますが、ドキュメンタリー作品のような真実味溢れる映像の数々はとても素晴らしいとともに、恐ろしいものにも化けてしまう危険性をも見せてくれます。出てくる映像の全てが現実のものではなく、再現された映像だということが、信じられないほどの臨場感と迫真性を持って我々に迫ってきます。プロパガンダということもあり、正当には評価されることの無い作品ですが、その存在自体に価値のある作品です。そうでなければ、何度も「西側」だった国の映画で引用されることなど無かったでしょう。当初純粋なサイレント作品だった本作品ですが、ショスタコビッチが音楽をつけたものが出回っていて、IVCのビデオもこちらの方でした。

総合評価 72点十月/セルゲイ・エイゼンシュテイン-人と作品-



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この記事へのコメント

2019年10月06日 18:07
用心棒さん、こんばんは。
用心棒さんの9月16日付けのポチョムキンの記事に触発されて、久しぶりにこの「十月」を観ていました。

おっしゃりとおり、私も後の映画に相当の影響を与えている作品だと思います。私なんかは、特にルネ・クレマンのレジスタンスものなんか、この作品からかなり影響を・・・というか、むしろパクッテるとまで感じましたよ。
いわゆる、スペクタクルの原点かもしれませんね。
ルネ・クレマンの時代にはパリ解放時の実写映像が活用できたことや実際の潜水艦、装甲車・武器・弾薬も大戦中のものをそのまま使えたリアルがあったこと、それも凄いことだったんだと思っています。

さて、私が「十月」でわかりにくかったことは、臨時政府側のコサック兵や女性兵士、スプーンなど金品を懐に隠していた兵士やワインの略奪?場面など、どちらが臨時政府側でどちらがボリシェビキ側なのか、そのシークエンスだけ観ていてもわかりにくかったし、ソビエトの大会場面でも、なぜ、臨時政府側のはずのメンシェビキが参加受付をしているのか・・・?コルニーロフとケレンスキーの関係やアメリカの公用車に乗っているケレンスキーの場面など、など・・・。
ロシア革命の勉強をしていないと登場人物の位置や兵士たちの立場などは理解するのが難しいのはないでしょうかね?
私としても、若い頃にはジョン・リードなんか感動して読んでたんですけれど、もうほとんど覚えていませんよ(笑)。
もちろん、カット割りの説得力やサブリナルのような比喩のモンタージュはすさまじい視覚効果を生み出していますし、レーニンのシーンもご批判の通り相当削除されているのでしょうけれど、それでも、「英雄レーニン」としてのカリスマ性の表現は十分伝わってきました。
それにしても、陸橋の殺戮場面やブルジョワ婦人たちのボリシェビキへのリンチの場面・・・本当に凄かった!

来週は「全線」か「メキシコ万歳」あたり再見してみようかな?なんて思ってます。
では、また。
用心棒
2019年10月06日 22:46
こんばんは!

>かなり影響
当時は共産側のプロパガンダというだけで禁断の映画だったでしょうから、観客が味わうスリルは半端なものではないでしょうね。もし官憲に見つかったら、逮捕される可能性と背中合わせの状況下でこっそり見るわけですもの。

しっかりと目に焼き付けながら、没頭して鑑賞した人が多かったでしょうね。

>わかりにくかった
難解なカットや混乱してしまうカットが多いですが、これらも当時の混乱を表しているのでしょうかね。考え方に戸惑い、民衆もどちらに付くかで右往左往したでしょうから、そういうのも出ているのかもしれません。

>視覚効果
これこそが映画が持つ力ですよね。レーニンが出てくるだけで神々しさが溢れますね。思想に賛同は出来ませんが、感情の喚起の仕方や誘導などはレッドチームが今でも用いる手口として知っておいた方が良いでしょうね。

ではまた!

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