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zoom RSS 『タブウ』(1931)完成後に事故で亡くなった、ムルナウ監督の遺作。美しく、躍動感溢れる悲劇。

<<   作成日時 : 2010/01/29 17:50   >>

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 映画にはさまざまなジャンルがあります。その中でも、ドキュメンタリー映画というジャンルが確立されたのはいつだろうか。ドキュメンタリー映画作家のロバート・フラハティと組んで、意欲的かつ斬新な、セミ・ドキュメンタリー・タッチの劇映画として製作したのがこの映画『タブウ』となります。

 F・W・ムルナウ監督の映画というと、一番有名なのはホラー映画の古典と呼ばれる『吸血鬼ノスフェラトゥ』なのでしょう。ですが、個人的には『最後の人』『サンライズ』『ファウスト』、そしてこの『タブウ』も彼の代表作の候補として挙げたい。彼が早死にしたために、しかも一本もトーキー映画を発表することもなく、世を去ってしまったのは映画界にとっては大変大きな損失であったのですが、当時も今もほとんどの人は興味も持たないでしょう。

 しかしサイレント映画が苦手という人にこそ、見ておいて欲しい作品群がムルナウ監督の数々の作品であり、チャップリン監督の『黄金狂時代』をはじめとする傑作サイレント映画なのです。音がないという制限のもとで、極限まで分かりやすく映像を語る技術を突き詰めた作品を見る経験は映画の鑑賞眼を高めてくれます。

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 多くの作品数を挙げましたが、なにせムルナウの映像センスは尋常ではないほどずば抜けていて、その孤高の美的感覚は観る者を圧倒してくれるために、なかなか一本に絞りきれない。DVD化に伴い、デジタル補正を施されて、久しぶりに見た『タブウ』は今まで以上に美しくなっていました。

 ボラ=ボラ島(楽園)とタカポタ島(逃げた場所で失楽園?)が舞台になっていて、基本的には出演者は現地人ばかりである。エイゼンシュテイン監督は作品でティパージュと呼ばれる手法を駆使して、労働者たちの自然な雰囲気を映像に焼き付け、観客が持つであろう親近感を利用して、確信犯的なプロパガンダを製作しました。

 政治的な意味はありませんが、ドイツ人であるムルナウも現地人を使い、エイゼンシュテイン作品に劣らぬ、リアリズムに満ちたセミ・ドキュメンタリーの傑作をものにしました。

 太陽が燦々と降り注ぎ、清流が豊かに島を潤し、熱帯の植物が島全体を覆っているボラ=ボラ島の当時の様子を見られるだけでも素晴らしいのですが、サイレント期の指折りの映画監督のひとりだった、ムルナウ監督が目指したのは自然な演技、作り物では出せない真実の強さと自然の美しさの融合に息を呑む。

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 しかし、そういった太古から続く美しさや伝統はすでに風前の灯火にすぎず、文明世界と触れ合ってしまうがために起こる軋轢は彼らの価値観を破壊しだしている。掟に従わない若者たちを登場させることで、文明と未開地、老人と若者の対比を見せたかったのだろうか。

 タブウはこの映画ではいくつか登場してくる。真珠が大量に眠る内海への侵入はそこに住む人喰い鮫を守護神の地位に押し上げていた。精悍な青年マタヒは神に仕える巫女(聖処女)として、生け贄となる運命となった恋人レリを誘拐(駆け落ち)し、ただ逃げたつもりだったが、それは別の意味を持ち、未開地での自然と共存する生活から突然、文明世界、中でも貨幣経済の真っ只中にいきなり投げ込まれ、更なる悲劇を招いた。

 貨幣という概念を持たない者が文明世界で、人並みの社会生活を送るのは不可能である。島に流れ着いたときに、マタヒとレリは村人にご馳走と酒を振舞うが、それは当然ながら無料などではなく、あとあとローンで支払わなければならないのである。

 しかし貨幣そのものを理解していない彼らは華僑の言いなりに振る舞いとサインを続けていき、気がつけばその支払額の合計は猟師の給料の20か月分位に相当する莫大な額であった。駆け落ちするまでは良かったものの、現実は甘くはなく、異郷での生活の不安に加えて、さらに課せられるであろう困窮に絶望した女は男を捨てて、巫女となる運命を受け入れる。

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 この映画でタブウを積極的に犯していくのは彼女を食わして行かねばならない若者マタヒである。宗教と結びつき、その教えに帰依する者にとっては、何よりも守るべき絶対的な規律だったタブウはいつから無視されるようになったのだろう。おそらくは西洋化していく過程において、神よりも目に見える巨大な船舶や飛行機が意味する文明に価値を見出すようになってからなのだろうか。

 ここで描かれるタブウのうち、若い男はいくつかを克服していった。まずは巫女となる運命の娘を誘拐したこと。この行動自体がすでに神を畏れていない証明となる。結果として、悲劇の主人公であり、過酷な運命に陥って行く彼ではあるが、それは神罰ではなく、貨幣経済への対応がまったく出来なかったことが原因である。

 また内海の底に眠る真珠を採りに行く行為もまた畏怖の念よりも、金目のモノを見つけない限り、生活が困窮するという現実問題への対処が重要だと彼が判断した結果である。神への恐れよりも、現実世界での困窮の恐ろしさという切迫感が彼を突き動かした。

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 今回、スカパー!で見た『タブウ』では音楽を公開当時のオリジナルのものを遵守したようで、ショパンやスメタナなどを使用していました。スメタナの音楽はモルダウが使用されているのですが、本当にこれが使われていたのか、他の曲だったのかは分かりません。ただオリジナルでもスメタナを使用していたのは事実なのですが、モルダウという選曲が正しかったのかどうかは解りかねます。モルダウって、川のイメージなので、太平洋の島を舞台にしたこの映画で掛かるには違和感がありました。

 また悲劇的なラスト・シーンでの音楽の使い方が秀逸で、遥か彼方に遠ざかって行く、彼女を乗せた船に向かって、必死に泳いでいく彼が徐々に力を失い、遂には力尽きて、夜の暗い海へ沈んでいくのに合わせて、だんだん音が小さくなっていくのです。

 疲労が溜まり、生命の灯が消えていく様子を見事に描き出している。サイレント映画だからこそ、音を感じさせる演出は不可欠で、その才能のある者の代表者がこの映画の監督であるFWムルナウだったのです。

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 ストーリーは悲恋物にドキュメンタリー要素を多く採り入れた実験的作品の色合いを濃く感じました。ムルナウの創造力と作り込みのレベルが、というよりは映像言語と映像自体の美しさを同居させた、当時でも、もっとも完成度の高かった、ムルナウの紡いだ映像絵巻には今でも輝きと生命力が強く残っている。

 百年近くが経とうとしても、素晴らしい作品は生き続けている。生命力を感じることが感動的なのです。基本的に固定カメラで撮られていますが、パンやティルトもさり気なく使用されている。キネティック・パワーという点ではかなり少ない。しかし観た者が感じるのはこの映画の躍動感であろう。

 人や自然の動きや形状、そして絶妙な配置がこの映画の映像としての肝なのかもしれません。この映画の完成後に交通事故であっけなく生涯を閉じたムルナウ監督の才能はあまりにも惜しく、彼が生涯映画を撮り続け、トーキーに出会っていれば、どのように音と映像を結び付けたであろうかと想像するのも楽しい。

 彼が同性愛者だったことが彼の死後すぐに暴露されてしまったために、好奇の目に晒されるのを嫌い、葬式に駆け付けた人はほとんどいなかったそうです。唯一の例外はグレタ・ガルボで、彼女はムルナウの葬式に誰はがかることなく出席しました。

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 前述したとおり、物語は神話と現実のギャップから生じる悲劇を描き出すというもので、単純に思えるでしょうが、サイレント映画ではそれを基本的に映像のみで表現しなければならない。音や台詞に頼りっきりで、しかも何が言いたいのか理解できない作品が数多い、今の映画界ではムルナウ監督の才能と美的センスは奇跡に思える。

 生命力に満ちた悲劇を見せてくれる映画にはなかなか巡り会えませんが、この映画は数少ないうちの一本です。スカパー!のシネフィル・イマジカで、ムルナウ作品の特集が組まれ、去年から多くの作品が放映されました。有名な作品で未放映なのは『サンライズ』くらいでしたので、ぜひ放映してほしい。

 総合評価 91点


F・W・ムルナウ コレクション タブウ クリティカル・エディション [DVD]
紀伊國屋書店
2008-04-26

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