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zoom RSS 『わが青春に悔なし』(1946)原節子の黒澤映画デビュー作品。強い女として描かれるのは初めてでは。

<<   作成日時 : 2009/10/30 09:09   >>

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 昭和の名女優、原節子がその生涯で出演してきた映画に見る彼女はどれを見ても上品な女性という印象のものが多い。『新しい土』での清潔で初々しい彼女、日本映画最高の巨匠として知られる小津安二郎監督の傑作『東京物語』『晩春』などに出演していた彼女、女を描かせたら天下一品と呼ばれた成瀬巳喜男作品での彼女、稲垣浩監督の『日本誕生』に天照大神として出演した彼女はどの作品でも神々しいまでの雰囲気を出していました。

 もともとが選りすぐりの綺麗な女優が多く出演している銀幕の世界でも、さらにもっとも美しいと万人から認められる美貌の持ち主であった原節子は惜しまれつつ、美貌を失う前に早すぎる引退の道を選びました。そして引退後は全く公の場に出てこなかった彼女は伝説の女優となりました。

 たとえ年老いていったとしても、彼女が本来持っている気品は失われることはないので、出来れば年を取った役柄で出演する彼女も見たかったというのが多くの映画ファンの希望だったことでしょう。きっと香川京子さんみたいな素敵な女優さんになっていたと思います。

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 原節子は黒澤明監督作品には、この『わが青春に悔なし』と『白痴』にも出演していますが、こちらでは凛とした気概を持った強い女性を演じ、『白痴』では高慢な悪女を演じています。『白痴』での彼女の出演シーンでも彼女の女優としてのオーラが強く出ているので見応えがあります。

 しかし作品としての『白痴』は4時間以上あったフィルムを興行の回転率の妨げになると判断した松竹首脳部にズタズタに引き裂かれてしまいましたので、現在流通しているDVDやビデオを見ていても、登場人物の心情などが分かりにくいところも多々あります。

 松竹にはいまだに保管されたままの完全版が倉庫で眠っているそうなので、たとえ当時は遺恨があったにせよ、黒澤監督20回忌のときにでも松竹メインで特別上映興行を打つとかDVD化するなどして世に出して欲しい。

 そうすれば中途半場になっていて分かりにくいと酷評ばかりが目につく『白痴』の真の姿が現れると思うので黒澤プロと松竹の間で上手く交渉して欲しいと願います。もっとも松竹ばかりが製作に理解がなかったわけではありません。東宝ではこの『わが青春に悔なし』が脚本改変の憂き目に遭いました。

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 原節子のせいではありませんが、彼女の出演する黒澤作品が二つとも監督が望むような完全な出来に仕上げられなかったのは悔やまれます。黒澤監督も『わが青春に悔なし』には満足していない旨のことを『蝦蟇の油』でも著述していますので、興味のある方は読んでください。タイトル通りの「悔なし」とは行かないのはなんとも皮肉ではあります。まだ完全に黒澤監督の地位が固まっていた時期ではないので仕方ないのかもしれません。

 それはさておき、今回、はじめて黒澤作品に出演した彼女の印象はどうだったのであろうか。第二次大戦後の翌年に公開された黒澤明監督の5作目の映画となった『わが青春に悔なし』はジャンル的にはアイデア映画と呼ばれ、戦後直ぐの反動的で極端な民主主義や社会主義を良しとする風潮の中で作られました。

 軍国主義の役に立たない、もしくは少しでも批判的な立場の考え方はすべて国賊、軟弱、赤として徹底的に排除された時代が終わりました。それに代わり、新たな支配者となったGHQが自由主義、民主主義啓蒙路線を打ち出したため、時代劇が被害をこうむり、仇討ち物やチャンバラ・シーンなどがそれまでとは反対に検閲を受け、禁止されるようになりました。

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 いったい自由とは何なのか。それは絶対的なものではなく、その時々の支配者のご都合主義をオブラートに包んで誤魔化すための道具であり、新たな支配を正当化するために生み出されたお題目に過ぎないことがはっきりとする。時代を超えた普遍の思想はないのだろうか。

 ただし上記のように一部の例外はあっても、戦時中とは比較にならないほどの大きな自由を得た製作者は大日本帝国以来のそれまでの軍国主義の圧力がなくなり、表現の自由を謳歌し、自由に映画を制作できたのかと思いきや、実際はそうなりませんでした。見た人ならば解っていただけると思いますが、この映画は二つに分離していて、前半から中盤にかけてはゾルゲ事件や滝川事件をミックスしたような内容を藤田進が熱演しています。

 ちなみに滝川事件が起きたときに教授を京大から追放するよう働きかけた議員の言い分を受けて実際に彼を追放した責任者は鳩山一郎文部大臣(当時)で、現在の首相の祖父でした。良い悪いを言うつもりは毛頭ありません。しかし大学の内部のことに政府が介入して行ったのは事実である。吉田首相との暗闘とその後のパージのために悲劇のイメージばかりが付きまとう彼ではありますが、当時は弾圧する立場にあったことを忘れてはならない。

 後の世に名前を残すのであれば、美名のほうをもちろん残したいものですが、悪名を残さざるを得ない立場にいる以上、避けられないときもある。ただし積極的であれ、消極的であれ、結果として責任者として名前を残すのは担当大臣や総理大臣である。常に名前を大事に行動し、判断せねばならないのが政治家なのである。

 映画は治安維持法を適用して民主主義を圧迫するファシズム体制に反抗する藤田進の生き方を中心にして彼の苦闘を描き、そうした理想に燃える彼を助ける原節子という構図が出来ております。それに対して後半30分は原節子がそれまでに見せたこともない鬼気迫る強い女を演じる内容となりました。

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 そのためか、全く違う二つの作品を無理矢理に引っ付けたかのようなバランスの悪い映画に成り果てました。その理由は戦後の組合などが赤化していった流れの中で、待遇などの実務だけではなく、製作現場、しかも作品の出来を直接左右する脚本にまで映画を何も知らない門外漢が口を差し挟む状況になってきたために起こってしまいました。

 その前後、当時の世相そのままに1946年から始まっていた組合員と経営陣との争いが泥沼化していった東宝は大混乱に陥り、二度の労働争議を経て、結果的には1948年の夏に米軍が介入して、砧の製作所が鎮圧されました。共産党系の組合員たちはほとんどが解雇され、職を失った。黒澤監督自身も東宝の状況に嫌気がさしたためか、大映、松竹、新東宝と各社を渡り歩き、作品を発表していきました。この作品はそういった騒動前夜に製作されましたので、独特の緊迫した雰囲気を持っているのを嗅ぎとれる。

 黒澤作品中では知る人ぞ知る、というか熱心なファンしか見ないのかもしれませんが、珍しい恋愛映画でもありますし、印象的なカットも多いので、むしろ黒澤映画が苦手という方にも見てもらいたい。

 開戦前夜の小川や丘の上でのピクニックの楽しさや志村喬による執拗な取り調べシーンが印象的な前半から後半、田植えの迫力とそれを台無しにされたことへの怒りのシーンにオーバー・ラップしてくる後半が脳裏に焼き付いている。

 オープニングからテクニカルなカットが多いのも特徴です。吉田山のピクニック・シーンで学生7人と原節子が小川を渡るシーン。このときカメラは水面すれすれから仰角で足場を渡ろうとする彼らを引き画で捉える。なんでもないカットなのになぜここまでの労力を払うのか。喜びとともに色々な撮影を自由に試したかったスタッフ陣の実験的な態度がそこかしこに出ているのでしょうか。

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 同じくピクニックでの追いかけっこのシーンの撮影も相当のテクニックが必要だったのではないかと思わせる仕上がりになっています。山の上に駆け登っていく原節子を追いかける藤田と河野をカメラは横から狙っているのですが、走っている彼らをスローモーションを使いながらもフォーカスを人物に当てて、景色をぼかしている。

 これにより、背景となる風景がすばやく通り過ぎて行くように見え、そしてスローで捉えられた人物の動きの速さが一層際立ってくる。あまりスローモーションを使わない黒澤監督ですが、これほどの技術を持ちながらも多用しないところに黒澤組の懐の深さを感じます。

 原節子の活き活きとした表情や肢体が艶かしいピクニックシーンは観た後でも強い印象を残す。小川を渡るときに藤田と河野から差し出される手に迷いながらも一方を選択する原節子。丘の上でのんびりと青春を謳歌しているまさにその瞬間に彼らの行く末を脅かし、現実に引き戻そうとする陸軍の演習の銃声。映画的には対位法的で効果のあるシーンとなりました。

 先述のスローモーションを使った撮影法は後半の田植えシーンでの原節子にも再び使用されていて、彼女の人生が怒涛の速さで進んでいく様子をよく表してくれているように見えました。うっかりすると見落としがちな地味なシーンばかりなのですが、よく見ていると場面転換の上手さや音の使い方などに感心しました。

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 のんびりとしたピクニックのカットをいくつもいくつも重ねていく様子は青春時代のゆったりとしたモラトリアムを表現するようで微笑ましい。そのあとに学園闘争の激しいカット割りと闘争の激烈さを示す新聞紙のサイレント映画のような手法が一層弛緩と緊張のシーンの違いを際立たせる。

 対照的な平和と戦闘のシーンではあるが、小さなカットを積み重ねながら全体の意味を作り出していくという部分でのモンタージュも興味深い。黒澤監督得意のモブ・シーンがここでも決まっていて、昔のドキュメンタリーを見るようなコマ落としもあります。

 農村に入った頃に住民から浴びせられる蔑みや嫌がらせを台詞に込めるのではなく、悪意のこもった目や表情、ひそひそ話をする住民たちの小さなカットの積み重ねを繰り返すことで、彼女への悪意を語っていく。これはロシア最高の映画監督であるセルゲイ・エイゼンシュテインが構築したモンタージュ理論そのままの感情喚起のやり方であり、後半の農村シークエンスはまるでエイゼンシュテインの映画を見るような感覚に陥りました。

 農村シークエンスには河野秋武と原節子との豪雨の中での再会と離別のシーンもあり、作品中、常に彼女から軽蔑され、土下座させられたり、目の前で彼女を抱きしめられても何も出来なかったり、見下され続けた河野が最後の会話を交わしたこの場面でも再び軽蔑されて終わる。

 劇中の河野は藤田と比較して、いつも損な役回りばかりを背負わされるが、彼こそが現実の我々であり、藤田の役どころは理想主義であり幻影に過ぎない。タイプの違いとキャラクターの描き分けを鮮明にさせるために久坂は彼らにこういう役目を振り分けたのだろうが、一見カッコいい藤田よりも、現実的で保守的な河野が出演していたシーンの方が記憶に残る。

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 母一人子一人の家庭で育った河野に、親を捨ててまで危険なスパイ活動に入るよう強要するのは当時の親子関係を重視する時代ではあまりにも酷である。一方で農村の両親を残したまま無謀な反政府活動をする藤田、そして大学の教授を父に持つ原節子が彼らを顧みずに活動に没頭する方がエキセントリックであり、尋常ではないのだ。

 感情に流されやすい人は冷静な考えが隅に追いやられ、偶像を祭り上げようとする。周りの人々が受ける苦難などはまったく考慮に入っていない。若い人ほど河野の立場を理解しようとはせずに、藤田や原の生き方のほうに共感するのでしょうが、歳を重ねた人であるならば、一概に危険な活動にはまっていく彼らを全面的に支持はしないでしょう。

 ただし心にグッと入ってくる言葉がいくつかあります。

                  顧みて悔いのない生活
                
                自由とはその裏に苦労と責任を背負っている


 この二つは観てから何年経っても、しっかりと心に入っています。監督が伝えたかったメッセージなのではないでしょうか。映画的にいつまでも覚えているイメージ、心に残るメッセージを観る者に与えてくれる映画こそが良い映画なのです。どちらか一方では駄目で、両方あってこそ映画の意味がある。

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 生け花シーンでの普通に美しく花を生けたあとに目茶目茶に花を放り込む原節子というシーンには両家のお嬢様に育ってきた彼女の建前とその枠から出れない現状と本来は凛としていて自由な気質を持っている彼女という二つの彼女が見えてくる。後の彼女を知ることになる観客にとってはじつはこのエピソードは殻から飛び出していこうとする布石になってくる。

 主要な登場人物以外では出番こそ少ないものの志村喬の演じた悪役(毒イチゴ)の印象が強い。志村は黒澤映画では常にと言っても良いくらい善人を演じている。それがこの映画では最大の悪役なのです。嬉しそうに悪人を演じている彼の様子が目に浮かぶようで楽しい。

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 藤田進が主人公となっているようなのですが、彼の印象はかなり薄く、思い出すのは原節子と河野秋武絡みのシーンばかりでした。存在感の大きさで藤田を圧倒したのが原節子だったのかもしれません。お嬢様時代のシーン、都会で働いているうちに藤田に出会い、彼に共感し同士となるシーン、彼のスパイ容疑に絡んで、自身も厳しい取調べを受けるシーン、河野との再会と決別、そして最後のクライマックスである田植えシーンとまさに覚えているのは彼女のシーンばかりでした。

 観る者をぐいぐいと引き込んでいく田植えのシーンの凄まじさは観た人にしか分からない。なんで田植えがあれほどまでに迫力のあるシーンに仕上がっていったのか。原節子の熱演、スタッフの苦労、黒澤監督の脚本改変への怒りなど色々な感情が一気に噴出したのがあのシーンだったのでしょう。

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 冷静に考えてみれば、男祭りの得意な黒澤映画において、この作品は特異な位置をしめています。女性を主人公にした作品はこれと二作目の『一番美しく』です。また黒澤監督が脚本を書かなかった作品は二本あり、一本目はこの『わが青春に悔なし』での久坂栄二郎、そして二本目が『素晴らしき日曜日』での植草圭之助となります。

 つまりこの作品は黒澤映画での特異な要素を二つも併せ持つのです。そのためか他の黒澤映画をすべて観た者は大いなる違和感を覚えるのかもしれません。いつもの彼の作品とは何かが違う。脚本にもかかわっていれば、自分の強い思いが必ず作品中にも表れてきます。

 それが今回のように自分もある程度意見を入れていったにしても、所詮は他人が書いた脚本だと冷静な目で作品を制作していけたのではないでしょうか。自我が入り込まない状態でのこの作品独特の製作環境があったからこそ、こういった作品に仕上がったのではないでしょうか。

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 そのため彼は最後の改変された後半30分間に集中できたのではないでしょうか。バランスが悪い映画ではありますが、悪い映画ではありません。随所に見所満載ですし、田植えという本来ならばクライマックスになりえないような当時の日常シーンをあれだけ盛り上げる才能を持っている演出家である黒澤明、そしてそれを具現化する存在感を発揮した原節子の凄みを見たい。

 ただ終戦後の京大講堂での大河内の演説シーンには違和感がある。藤田が一緒にその場所にいないことがもっとも悲しいという下りがあるのですが、あの大戦で死んだのは彼だけではない。行きたくなくとも死にたくなくとも戦場で散らざるを得なかった京大生も数多くいたであろうし、肉親を失った生徒も多かったはずである。

 彼らのことはまるで触れずに、藤田の死のみを悼むというのは学者らしい青臭いロジックであり、ムードに流されて正当化して良いことではない。犠牲者すべての冥福を祈るというのならば問題ではないが、軍国主義であれ、共産主義であれ、民主主義であれ完全な思想など存在し得ないのである。

総合評価 70点


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2015/05/01 21:53

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
黒澤作品はかなり濃厚なこってりとした味で、放映される作品も、こちらの気力と相談することもある作品が多い。といいながら一旦みてしまうと引きずり込まれるのですけれどね。
そんな中でもこの作品は黒澤作品でも好きな一つです。
たしかに検閲等で十分に描ききれなかった点もあるだろうけれど、学生たちの純粋な精神はしっかりと描かれていたと思う。当時の学生気質がしっかりと描いかれているなって清清しささえ感じる作品。
原節子は山中貞雄の「河内山宗俊」では15歳で出演してるんですよね。
シュエット
2009/11/11 12:04
 こんばんは!
>濃厚なこってりとした味
そうなんですよね。この彼独特の脂っこさを好きになるか、容認できるか、それとも嫌いかで彼の評価が変わってきますね。ぼくは十代から三十代中盤にかけて彼の作品に浸りました。

ただなんというか段々歳を重ねると彼の作品群を重く感じるときも出てきました。もちろん今でも大好きなのですが、毎週とかではなく、月に一本とかで良い感じです。焼肉か分厚いステーキのような作品とでも言えば良いのでしょうか。たまにで良くなってきています。

反対に最近はお茶漬けサラサラの小津作品をしっかり観てみようかなあ、と思っています。

>15歳
山中作品や『新しい土』でみる彼女は本当に清楚で美しく、出ているだけで他の女優にはないパワーとかオーラがあるようですね。もし彼女が溝口円熟期の50年代の時代劇に出ていたら、代表作になっていたでしょうね。

ではまた!
用心棒
2009/11/11 18:34
この映画を見て、一番衝撃的だったのは、体調を崩した八木原幸枝(原節子)が、せっかく姑さんと一緒に田植えをしたのに、それが近所の人達によって滅茶苦茶にされた場面でした。
それがまた、戦後になったら近所の人達の態度が変わる。それもまた悲しかったです。
蟷螂の斧
2015/11/06 22:10
 こんばんは!

戦時中と戦後でコロッと態度が変わる田舎の村人たちがもっとも恐ろしく感じましたよ。生きていくうえでの処世術としてはしたたかなのでしょうが、人間性という意味では最低ですね。

ではまた!
用心棒
2015/11/06 23:36
こんばんは。
今日は映画ファンの皆様が大騒ぎでした。原節子さんが9月に亡くなっていたんですね。95歳。まさに天寿を全うされました。ご冥福をお祈り致します。

>うちの会社は去年に定年が65歳に決まっています。

もう、それが決まったんですか?早いですね!

>3分の1まで下がることはないと思いますよ。

そうあって欲しいです。

>再雇用になる前の収入の15%を手当てしてくれる制度もありますので、50%程度までは確保できますよ。

勉強になります。ありがとうございます。

>生きていくうえでの処世術としてはしたたかなのでしょうが、人間性という意味では最低ですね。

自分だけが得をするか?他人との共存を選ぶか?
蟷螂の斧
2015/11/26 18:12
 こんばんは。

かなりのご高齢でしたので、こういう日が来るのは分かっていますが、いざお亡くなりになると寂しいですね。

 小津作品と黒澤作品では彼女の捉え方は全く違っていて、綺麗に撮った小津監督と『白痴』でのしたたかさや今作でのたくましさを前面に押し出した黒澤監督。

 どちらが魅力的と言われれば、小津作品での彼女なのでしょうが、別の顔を引き出そうとした黒澤監督の気概も良いなあと思っています。

 ではまた!
用心棒
2015/11/27 00:07

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『わが青春に悔なし』(1946)原節子の黒澤映画デビュー作品。強い女として描かれるのは初めてでは。 良い映画を褒める会。/BIGLOBEウェブリブログ
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