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zoom RSS 『蜘蛛巣城』(1957)水墨画のような映像美。黒澤映画史上もっともドロドロとした作品でもある。

<<   作成日時 : 2009/10/24 17:36   >>

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 半世紀以上も前になる1957年に製作された『蜘蛛巣城』は黒澤明監督の撮ったモノクロ映画の傑作のひとつである。1950年に国内では永田雅一社長に解りづらいと不評だった『羅生門』がヴェネチア映画祭に出品されていて、黒澤監督は結果として誰も予想していなかったグランプリの栄誉を得た。

 このときの喜びは自身の自伝的作品である『蝦蟇の油』に詳しく著述されています。誰にも解ってもらえなかった自信作である『羅生門』を認めてくれたのがヨーロッパだったという事実は後の彼の映画製作姿勢にも大きな影響を与えたのは間違いない。もともとロシア文学をはじめとする古典文学を深く愛している黒澤監督がシェイクスピア(『乱』『蜘蛛巣城』)、ゴーリキー(『どん底』)、ドストエフスキー(『白痴』)などを映画化していったのはなんら不思議ではない。

 ヨーロッパというマーケットを意識したときに向こうの観客にも親しみやすかったのではないだろうか。しかも物語の大筋は欧州古典なのに、登場人物は髷を結い、刀を身につけ、演出方法も日本的とくれば、観客は飛びついて劇場に観に行ったのでしょう。

 この作品でも黒澤監督はふたたびノミネートの栄誉を受けたものの、インドの名監督であるサタジット・レイの『大地のうた』に敗れて、残念ながら二度目の受賞は逃してしまいました。そのためだけではないのでしょうが、『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『椿三十郎』『用心棒』『羅生門』『乱』など数多い黒澤明監督の時代劇作品中でも、今一つ影の薄い印象があります。

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 しかし黒澤監督にはまだまだ素晴らしい作品が数多くあることをこの『蜘蛛巣城』は教えてくれる。主演俳優には黒澤映画ではお馴染みの三船敏郎を起用し、主演女優には山田五十鈴を迎えて、この重厚な作品を纏め上げました。特に山田五十鈴を得たことによって俳優たちの芝居は締まり、作品の質はさらに上がっていきました。

 彼ら主演の俳優たちの脇を固める俳優陣も志村喬、千秋実、稲葉義男、土屋嘉男、木村功、宮口精二ら『七人の侍』でもお馴染みの面々が存在感と安定感を示している。この作品でも黒澤明監督はその絶頂期の才能をいかんなく発揮しています。

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 60年代に入り、テレビの影響で徐々に映画の全盛期も終焉を迎え、スタッフも東宝が丸抱えすることが不可能になり、バラバラになっていくなど映画の製作環境も激変していきますので、レベルの高かった頃のまとまりのある映画製作現場の輝きを見て欲しい。

 脚本はいつも通りの集団執筆体制をとり、黒澤明、小国英雄、橋本忍、君島隆三の四人が知恵を出し合って、シェークスピア四大悲劇のひとつ『マクベス』の換骨奪胎に成功しました。独りで書き続けることも素晴らしい才能ではありますが、いずれ劣らぬ四人が集まり、アイデアを出し合っていれば、よりレベルの高いものが出来上がる。

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 60年代以降は『暴走機関車』『トラトラトラ!』の度重なる失敗からの自殺未遂事件に始まり、ロシアに渡って数人の日本人スタッフを軸に撮らざるを得なかった『デルスウザーラ』や初のカラー作品となる『どですかでん』の興行不振など製作現場や映画を取り巻く状況の急速な変化などもあり、後期になるに従い、この強力な集団執筆制は崩壊してしまい、90年代に入ると黒澤監督の独善的な面が強く出てきてしまいますが、この作品の時期には十分に機能していました。

 黒澤明作品は後に『乱』を『リア王』から、ゴーリキーの『どん底』を時代劇に翻案し、見事な出来映えに仕立てあげましたが、この『蜘蛛巣城』はそういう動きの第一弾でした。物語自体は難しいものではありませんが、登場人物の心理状態を映像で語っていく凄みを味わえるのが黒澤明作品での脚本集団執筆体制の最大の特徴ではないだろうか。

 その後も続々と名作文学を翻案していく黒澤監督ですが、ただ安易に名作をリメイクするだけではなく、国と時代を変えても普遍的な人間の愚かさと哀しみを描いているからこそ、後世の視聴にも十分に耐えられる作品となったのでしょう。日本人的な感覚と西洋人でも共感できる感覚を熟知していたからこそ撮るべき作品を上手く選択できたのでしょうか。

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 映画そのものを見ていきますと、まず凄みを感じるのがその完成された映像美です。町人文化として繁栄してきた歌舞伎の軽さと華やかさとは違い、観阿弥世阿弥以来の武家の伝統として発展してきた能舞台の演出方法を駆使した室内シーンは芸術性が全面に出ているだけではなく、合理的で重々しい武家の所作動作も理にかなっているのでしょうか、無駄なく動いているように見える。

 カメラの撮り方も強く能舞台を意識しているために、基本的に多くのシーンで引き画が使われていて、クロースアップは極限まで削ぎ落とされている。観客は突き放された状態となり、冷静な目でこの妄執の物語を見ることになる。それでも映像そのものに強い力があるので、気がつくとこの世界に引き込まれてしまう。

 またこの映画でのモノクロ画面の美しさは水墨画にも通じるところがあり、まるで水墨画を描くような活動写真は稀有な映像芸術のひとつであるといえる。現代の技術と芸術、そして能や水墨画などの古典芸能との融合を見せてくれる。第七芸術に相応しい逸品です。

 かといって、そうした伝統芸能の演出だけに頼るわけではなく、俳優たちの芝居もそれに負けることなく、互いに引き立て合っている。どちらか一方に傾くのではなく、両者が緊張感を持ち、ギリギリの線で戦をしているように感じました。画面構成も三角形構図が随所で見事に決まり、奥行きと広さ、そしてバランスの良さが心地よい。

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                      見よ妄執の城の址

                    魂未だ住むごとし

                    それ執心の修羅の道

                    昔も今もかわりなし

                    寄せ手と見えしは風の葦

                    鬨の声と聞きしは松の風

                    それ執心の修羅の道

                    昔も今も変わりなし



 印象的なシーンをいくつか挙げていきます。まずは冒頭。霧に隠れて一寸先でも何も見えないところから不意に現れる蜘蛛巣城跡、そしてまた霧に包まれいき、また姿を現した時にはじつはフラッシュバックされていて、人間の妄執の物語が始まる。説明など何もなく、一気にスタートする冒頭ですが、このオープニングがあるからこそ、物語の儚さが際立ってくる。

 劇中では元の殿様(佐々木孝丸が演じ、彼も前主を暗殺している。)を三船が暗殺し、城主に昇りつめるが、彼の座は千秋の子供に奪われることを物の怪(浪花千栄子)に予言されていた。前主の息子(太刀川洋一)が健在で、未来を予言された千秋の息子(久保明)も生き残り、三船に攻め込んで行きましたので、このあとに再び騒乱が起こることは目に見えている。

 物の怪が望むように、人間は懲りずに殺し合いを続けていく。冒頭の霧のフラッシュバックのあとに登場する三船と千秋は合戦の覚めやらぬ中、本城での領主との謁見に向かう途中で、蜘蛛巣の森を通り抜けようとする。しかし勝手知った森であるにもかかわらず、遂に迷ってしまう。

 その様子は画面を左から右へ、そして右から左へと行き来するカメラで示される。通常、映画では動きをスムーズに見せるためにイマジナリー・ラインが文法として存在します。それをあえて無視することで道に迷ってしまった混乱を表現していました。

 霧は二回出てきます。霧のために道に迷うシーンが最初に出てくるが、物の怪との遭遇後に本城へ向かうときに二回目に右往左往する時に立ち込める霧のシーンとでは意味がまるで違う。これは今後の対応をどうしようかという妄執と欲望からくる迷いであろう。

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 画面の作り方で興味深かったのは物の怪との遭遇シーン。物の怪が不吉な予言のあとに跡形もなく消え去ったのち、屋根を残して、小屋が消えて無くなったことに驚いた三船と千秋が物の怪の座していた場所に踏み入ろうとしていくときにカメラは彼の後ろを一緒についていく。

 小屋に踏み入ってのちに背後に振り返ると、完全に屋根もなくなり、小屋が跡形もなく消えていて、両者が驚くシーンがある。一見するとカットを割っているように見えるが、実は二人が小屋の跡に踏み入る刹那、つまりカメラから屋根が見切れる瞬間にセットの屋根を上に跳ね上げているのだ。このため、このシーンも黒澤明監督の代名詞とも言えるワンシーン・ワンカットの手法で撮られています。

 このときに二人はじつは首塚に迷い込んでいたことを思い知らされるのですが、そのことには何も触れません。つまり平静な気持ちであれば、首塚に押し込められている亡霊どもに誑かされているのだとすぐに気づきそうなものですが、すでに欲望と妄執に取り込まれた二人はその悪意に満ちた謀りごとに引っかかってしまう。

 黒澤組得意の焼き板も堂に入り、今回は偶然付いた黴をも利用して質感を増し、なんとも不気味な血濡れの壁を作り上げました。セットの迫力は今の目で見ても十分に素晴らしく、群を抜く存在感を誇っていて、新たにこの映画を見る者を圧倒する。

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 デフォルメされて造られた巨大な門構えの本城、黒壁の静かな威容は岡山の烏城を思い出させる。空中舞台のような城壁でのラストシーンも記憶に残る。カメラを通して見たときにもっともリアルに写るようにセットや衣装を制作しなければいけなかった黒澤組のスタッフたちはさぞ苦しい仕事をやり抜いたものだと感心します。

 黒澤映画の美術を支えた村木与四郎は彼の著書『村木与四郎の映画美術』でも黒澤映画でのさまざまな苦労や思い出を語っていますので、興味のある方はお求めください。焼き板のこと、そしてこの作品での黴の利用などについての経緯も詳しく著述されています。

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 妻の浅茅役を務めた山田五十鈴の好演も見逃せない。妄執と欲望によって、徐々に精神に異常をきたしていく過程が象徴的に描かれていく。それはつまりメイクの仕方が変わっていくという部分である。メイクの原型になっているのが能面の曲見(くしゃみ)であり、これをもとにさらにメイクを重ねていくことで狂気の精神状態を表現している。

 中でも恐ろしいのは自身の安泰だけを望み、本来大切な味方である筈の千秋実を始めとする家人を暗殺していった結果、周りに人がいなくなっていく様子は痛烈である。本人の精神状態も錯乱し、手が擦り切れるまで水で手についた鮮血を洗い流そうとするシーンは見せ場のひとつであり、クライマックスへの不吉な呼び水となっている。能舞台での狂女は山田五十鈴自身の代表作のひとつとなるのではないだろうか。

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 この映画ではなんといってもラスト・シークエンスでの矢の嵐の中で果てて行く三船の熱演に尽きる。矢を大量に射掛けられる大迫力のシーンには遠近感を生かした撮影がされていて、矢を射掛ける場所と矢が刺さっていく場所は三船からはかなり離れているのですが、大学の弓道部が参加しているので、初心者が構えているわけではありませんが、本物の矢であることは間違いないので、流石の三船も冷や冷やしながらの撮影だったようです。

 もし突風が吹いたりしたら、矢というものは狙いとはかなり違うところへ飛んで行く場合もありますので、三船を臆病とは責められません。カメラの特性を熟知し、見え方を知っているプロフェッショナルたちが黒澤監督を中心にしていたモノクロ映画時代の最後の輝きを堪能できる。

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 ただし良いことばかりではない。この映画の最大の難点は音声の聞き取り難さである。とりわけ前半の浪花千栄子の台詞などはほとんど聞き取れないという人もいるようです。DVD化に伴い、デジタル・リマスター化されたときにだいぶ聞きやすくなったとは思えますが、それでも元の音自体に問題があるように見え、大幅に改善されたとは言いがたい。

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 音響には問題があるように思えますが、音楽は佐藤勝が受け持ち、師匠の早坂文雄の跡を継ぐにふさわしい才能を発揮しています。台詞で語らない感情部分を音楽のモチーフで雄弁に語る。能の見せ方、音楽の使い方、俳優の動きなど制限の多い演出の中で最良の選択をしているのではないでしょうか。

総合評価 95点


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タイトル (本文) ブログ名/日時
映画評「蜘蛛巣城」
☆☆☆☆(8点/10点満点中) 1957年日本映画 監督・黒澤明 ネタバレあり ...続きを見る
プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]
2009/10/24 22:20

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
用心棒さん、わたしのリクエストの力作批評をありがとうございます。
>能舞台での狂女は山田五十鈴自身の代表作のひとつとなるのでは・・・
わたしが、この作品で最も興味深かったのが浅茅の悪性向でした。
オカピーさんから
>浅茅が自分で考えていた彼女内部の悪の部分より、実際に行った行為に対して彼女が罪悪であると感じた部分の方が大きかった・・・
とのご回答を得ました。わたしは、浅茅のそそのかしがなければみんな幸せに暮らせていたように思うのです。
また、あのような登場人物が最期に発狂してしまうことに黒澤の徹底したヒューマニズムを感じるのですけれど、社会的に浅茅の存在をどのように認めていくべきなのでしょう。被害者なのか加害者なのか・・・?
今の世の中で、彼女のような個性で狂わずに思い通りの欲得を果たし続けている者もいるのでしょうか?
もしそんなことがあるのなら、今の世の中自体が蜘蛛の巣城なのかもしれません。
そう考えると絶望的になってきますよ。
では、また。
トム(Tom5k)
2009/10/24 21:20
 こんばんは!内容の濃い作品ですので、お話をいただいてから結構な時間がかかってしまいまして申し訳ありませんでした。

 カットやシーンの一つ一つの意味を考えながら見ていると、なかなか先に進みませんでしたので、通勤時間や休み時間のちょっとした時間に、携帯の未送信メールに下書きを作り、ちょこちょこ書いていきました(笑)

 新たな記事の下書き方法を思いついたので、また何かご希望がありましたら、遠慮なくどうぞ!

 浅茅の場合、やったことへの罪悪感ということもありますが、子どもを流産してしまったことのショックの方が大きいのではないでしょうか。

 戦国時代の武家では産めない女は価値がありませんでしたので、仮に武時が城主の座を保ち続けていたとしても、他の側室の子が嫡男となるわけで、彼女の居場所は無くなります。

 もともと欲得や策謀、そして妄執にまみれて暮らしていた人なので、おそらく夫に対しても相当疑心暗鬼になっていたでしょうから、彼女はどの道自滅したのではないでしょうか。

 蜘蛛の糸(欲望や妄執)に絡め取られていく人間たちが集まっていくのが蜘蛛巣城なので、集められた人々は互いに滅びていかざるを得なかったのでしょう。

 さしづめ現在の蜘蛛巣城はNY株式取引所や中東のカタールや六本木ヒルズとかなんでしょうかね?バベルの塔とはまた違う破滅の門なのでしょうか。

ではまた!
用心棒
2009/10/24 21:41
 TBとコメント有難うございました。

>浅茅
 トムさんが難しい質問をしてくるので、頭を抱えてしまいましたが、僕はとりあえずシェークスピア的な視点から答えてみました(笑)。
 彼女がけしかけたのは確かですけど、用心棒さんが仰るように、マクベス夫婦を筆頭に本作に登場する主要人物は欲という魔物に取りつかれた瞬間に早晩滅びる運命の渦の中に入って行ったのでしょう。

>能面の曲見(くしゃみ)
 おおっ、正確にはそういうのですか!
 女面であるのは誰でも解りますが、そこまでは突き止められませんでした。

>本物の矢
現在ならCGですよね。
本物の矢を使ったからこそのあの恐怖演技だったと思います。
三船氏はこの扱いにカンカンになったと聞いております。
凄い監督、凄い時代だったんだなあ。
オカピー
2009/10/25 01:08
 おはようございます!

シェークスピア作品を読んでいる人ならば、マクベスやリア王などの心理状態も理解している人が世界中にいるでしょうから、彼も難しい翻案にチャレンジしたのかもしれませんね。世界基準の感覚を持っている人らしいとも言えます。
>能面の曲見(くしゃみ)
色々と資料を読んでいましたので、答えに行き着きました。最後のほうのメイクではさらに金泥も塗って、より深い人間性を表現していったようです。

 シテとか演者の配置にも言及してみたいとも思いましたが、能を熟知しているわけではありませんので、今回はあまり深くは記事にしませんでした。

>本物の矢
最後の矢は『七人の侍』でも使用した、糸つきの軌道が細工できる矢のからくりを使用しつつ、映像の錯覚を利用して、首の周囲を巻くような形で三船の首に装着し、前後に矢が貫いたように見せたそうです。

矢が刺さっても即死しない様子が妙にリアルで恐ろしかったですね。三船自身が扱いに怒っていたので、より迫真の演技となったのでしょうか(笑)

焼き板といい、矢の装置といい、それまでの蓄積を使いながら新たな演出法や巨大セットに取り組むことが可能だった当時の映画環境は素晴らしいですね。

ではまた!
用心棒
2009/10/25 08:25
用心棒さん、こんばんは。
無理なお願いにお答えしていただき恐縮でした。
また、リクエストさせてください。
あっそうそう、本当にそのうち気が向いたらでいいんですが、アンジェイ・ワイダの「灰とダイアモンド」あたりお願いします(笑)。わたし、あるブロガーの方から頼まれたことがあるんですが、なかなか書けなくて・・・。

>子どもを流産してしまったことのショック
ああ、案外そうかもしれない。
確かにかなりのショックでしたでしょうね。
>彼女はどの道自滅したのではないでしょうか。
わたしもそう思います。方法論以前に目的に純粋なものがありませんものね。
>NY株式取引所や中東のカタールや六本木ヒルズ
何だか絶望的になってきました。

それから、オカピーさんを悩ませてしまって申し訳なかったです(笑)。
>能面の曲見(くしゃみ)
ふ〜む、黒澤監督が国際的に受け入れられたのは、映画的に独自に日本の文化を表現し続けたからなのでしょうね。
>本物の矢
CG作品を観る気がしなくなりますね。
では、また。
トム(Tom5k)
2009/10/26 22:36
 こんばんは!
>「灰とダイアモンド」
おおお!!!ワイダ氏も強敵ですなあ…。ブレッソンのほうが書きやすそうですねえ。このまえブレッソンの長編一作目の記事を書いたんですけど、あまり反応がなかったですね。再見してからトライしてみます。

黒澤監督作品についてもトムさんのおかげでまた書く気力が湧いてきました。あれこれ考えてはみるもののなかなか書けなかったのですが、記事の頭と尻尾が決まったら、枝葉は結構スラスラ書けてきたので比較的短期に書き上げました。

日本シリーズももうすぐ始まりますし、ぜひとも札幌で決めて、日テレと読売をビビらせてください!

ではまた!
用心棒
2009/10/26 23:40
先日初めて見ました。素晴らしかったです!
無骨なイメージの三船敏郎(実際は気が小さい人だったらしいですが・・・。)が馬に乗る場面から、いきなり映画の世界にのめり込みます。

>画面の作り方で興味深かったのは物の怪との遭遇シーン
CGなどと言うものがない時代にあれだけ表現したなんて・・・。黒澤監督は天才です!
>水墨画のような映像美
まさにその通りです!
>黒澤監督にはまだまだ素晴らしい作品が数多くあることをこの『蜘蛛巣城』は教えてくれる。
見て良かったです!
>『マクベス』の換骨奪胎に成功しました。
大成功です!
蟷螂の斧
2015/08/18 18:49
 こんばんは!

存分に楽しまれたのはお言葉から伝わってきますww

必ずしも有名でもなく、人気があるわけではないこの作品ですが、渋みと熟練の技を味わえる傑作映画の一つだと思います。

ではまた!
用心棒
2015/08/18 23:23
>妻の浅茅役を務めた山田五十鈴の好演も見逃せない

彼女の存在が大きいです!手を「血が取れぬ」と洗い続ける場面も圧巻です。

>前半の浪花千栄子の台詞

黒澤映画の特徴。台詞が聞きづらい。「七人の侍」でも同じです。子供達や菊千代が「飯食わせてくれ〜!」と言う場面とか。
浪花千栄子。「オロナイン軟膏」のホーロー看板の人だったんですね。後から知って驚きました。

>千秋実

「七人の侍」の中では一番弱い侍みたいに描かれていました。
でも実際の千秋実は陸上競技で「第二の南部忠平」と呼ばれるほどの有望選手。そして「七人の侍」を演じた役者の中では一番最後まで生きた人。
蟷螂の斧
2015/08/20 12:14
 こんばんは!

 この映画における俳優さんたちの迫力は凄いですね。緊迫感や殺気立っている雰囲気がなんとも言えないですよ。集中力がないと見ていられない映画です。

 この映画での浪花千栄子はめちゃくちゃ怖いですね。何言っているのかさっぱり分からないのでよけいに怖いww

 ではまた!
用心棒
2015/08/21 00:18
初めまして。この映画、映画館で観ました!映像美が素晴らしかったです。私は冒頭の強風を、どのように起こしているのか気になりました。悪妻は100年の不作と言いますが、言葉巧みに操られて、城主だけでなく幼馴染で親友であった三木まで殺してしまうとは、人間の野望とは恐ろしいものですね。亡霊を見て後ずさりするところが、能を取り入れてるのですね。ストーリーだけでなく見どころがたくさんあり、芸術作品としてマスターピースだと思います。

2017/04/23 11:01
こんばんは!

地味な印象がありますが、様式美という言葉はこの作品のためにあるのではないかと思っています。

血で曇った壁の薄気味悪さは尋常ではありません。音が聴き取りにくいのが難点ではありますが、雰囲気が素晴らしいので問題ないのかなあという印象です。

ではまた!
用心棒
2017/04/24 00:11

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『蜘蛛巣城』(1957)水墨画のような映像美。黒澤映画史上もっともドロドロとした作品でもある。 良い映画を褒める会。/BIGLOBEウェブリブログ
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