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zoom RSS 『リラの門』(1957)思い出の映画。当時、ぼくは9歳。フランス語をしゃべる女性はセクシーでした。

<<   作成日時 : 2009/08/14 20:17   >>

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 映画ファンであるならば、誰にでも特別な一本の映画があります。親と初めて観に行った映画だったり、何度も繰り返し見た映画だったり、恋人と初めて観に行った映画だったりします。映画ファンの数だけ、そういった思い出はさまざまでしょう。ぼくにとってはこの『リラの門』はそうした思い出の映画のひとつです。

 ではどういった思い出であったかというと、それは第一には字幕版という括りで覚えている、もっとも古い映画がこれだったのです。1970年代だったと記憶していますが、NHKか民放の夕方か夜だったかは覚えていないのですが、吹き替えではなくて、フランス語の音声で、日本語字幕の付いていた放送がありました。

 吹き替えが当たり前だった頃に、何気なく見たその放送後、僕の中で映画の認識というか、言葉の重みを考えるきっかけになりました。外国の俳優たちが言葉に魂をこめて演じている姿を見てしまうと、違う人が放送用につけるアフレコというものに、どうしても違和感を持つようになったのです。

 そうはいっても、当時はほとんどが吹き替えでしたので、名作と呼ばれている映画で音声が日本語に替えられていると、どうしても本来の雰囲気が失われているように思いました。声優さんたちのせいではなく、こうやって、吹き替えをする習慣自体がおかしいのではないかとぼんやりと感じておりました。

 映画監督や出演者たちは当然ながら彼らの言葉で作品を制作しますが、そこには外国人には分かりづらいジョークや言い回しや韻のリズムなどがひとつひとつの台詞に盛り込まれています。しかしながらこういった要素やニュアンスは吹き替えという作業を通すと残念ながら、消えてなくなってしまう。これは大きな損害ではないだろうか。

 正しい英語やフランス語の発音や言い回しなどを身に着けるためにも、そろそろ地上波でも吹き替えという作業を止めにして、原語のまま字幕をつけて放送してはどうだろうか。こういうことを言うと、「じゃあ、子どもが楽しめなくなってしまうじゃないか!」とか言う人が出てくるでしょう。

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 しかし、そもそもなんでもかんでも子供用にする必要性などない。分からなければ、分かるように親が教育すればいいだけです。親が出来ないのならば、親が勉強すれば良い。至れり尽くせりが生み出すのは無気力と無能であり、そんなものは親切ではありません。

 テレビ局側も、こうした少数の意見ばかりに囚われて、大多数の人々が本来の原語に触れる機会を失ってしまうことの意味を考えるべきです。いつまでもこのような状態では原語への関心に甚大な損害を生じる。現実に出演している俳優たちは英語やフランス語で話しているのです。意味を知らせる字幕をつけておけば、本当の声を聞けるのです。またこれは聴覚障害者にとっても歓迎すべきことではないでしょうか。

 これからは地デジ放送がスタートするわけですから、データ放送の仕組みを上手く利用して、字幕を見たい人は字幕版を、吹き替えを見たい人は吹き替えを選択できるようにすれば、上手い具合に視聴者が選択できるのではないでしょうか。

 幼少期に見た、この映画の思い出はなんといってもマリア役を務めたダニー・カレルがジュジュ(ピエール・ブラッスール)の名前を呼ぶときのなんともいえないフランス語の甘い響きでした。はじめて「女」を意識したのが彼女の、というよりはフランス語での語りでした。子どもながらに「色っぽいなあ…。」とクレヨンしんちゃんのようにドキッとしたのを覚えています。

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 しかしこのときはあまり内容を理解できなくて、そのまま時も過ぎ、30年近くが過ぎていきました。そしてなんとなく映画を観ていたときに、ふっとこの映画のことを思ったのです。当然ながら、タイトルなど知るはずも無く、覚えているのはフランス語であったこと、ジュジュという人物が出てくること、そして彼が殺人を犯すこと、モノクロ映画であったことくらいでした。

 そこで劇的な効果を発揮したのが皆さんご存知のグーグルでした。上記のキーワードを入れて、検索をスタートしたところ、ついに30年間分からなかったタイトルが分かったのです。それが『リラの門』でした。ぼくはすぐに行きつけのツタヤ心斎橋店の4階に駆け上がり、このフランス映画を探しまくりました。そしてとうとうフランス映画コーナーにて見つけ出しました。

 すぐに借りて、古いVHSテープをデッキに挿入し、ついに30年ぶりにこの映画を見ることが叶いました。そのまま思い出に浸りながら観るのも良かったのでしょうが、そこは映画ファン。ついつい、いつものように演出やらなんやらに目が行ってしまい、没頭するという感じにはなりませんでした。

 その代わり、改めて見たこの映画の凄みに驚かされました。まずはその構図の妙や音の使い方です。この映画のオープニングは、ジュジュがバーで飲んだくれているシーンで始まるのですが、カウンターとジュジュを捉えているバックでギターで奏でられる気だるい曲がかかっているのです。

 てっきりBGMだと思い、油断していたら、カメラがジュジュで隠れていた、店の奥のほうへ動きながら回っていくと、彼の大きな背中の背後で、芸術家がギターを弾いていたのです。何気ないし、なんとも思わない人の方が大多数でしょうが、こうしたケレンミたっぷりの表現にまずは目を刺激されました。

 次に感心したのはワンシーン・ワンカットで一気に撮り切った、殺人事件の再現シーンです。これは本当に素晴らしいシーンなので、機会があれば、是非ご覧ください。具体的に説明していきますと、バーの主人(マリアの父役)による新聞の音読に合わせるかのように、外で遊んでいる子どもたちが同じシーンを再現していくのです。

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 子どもたちは外で無邪気に遊んでいる設定なのですが、見事に主人の新聞読みと彼らの動きがシンクロしています。相当なリハーサルと根気を持って作り上げられたシーンだと思います。しかもそれを誇示せずにさり気なくやり遂げている。

 子どもたちを撮るカメラは左右の動きだけを行いますが、子どもたちが左から右、右から左、そして建物に出たり入ったりを繰り返すので、構図の中でかなり大きな動きのあるシーンに仕上がっています。映画でのカメラの動きというと、とかく無駄な個性の発露が邪魔になりますが、ここでのカメラの動きのシンプルさと演技のシンクロと複雑さによって、最も素晴らしいシーンのひとつとなっています。

 またバーで新聞を読んでいるときに、犯人が図々しくも大胆に入ってくるのですが、彼をかくまっている人々のみが愕然とし、動揺している中で、犯人本人と周りの人たちが誰一人気づいていない様子がコミカルでもあり、サスペンスフルでもあり、秀逸な名シーンになっています。

 他に興味を持ったのはジュジュの価値観でした。何の関係もない凶悪な強盗殺人犯であるアンリ・ヴィダル(バルビエ役)を何ヶ月も匿い、ご飯を食べさせ、逃亡を手伝う。しかも秘かにジュジュが想っていたマリアをバルビエに奪われても、彼女が喜んでいるので、自分の気持ちを抑え込み、彼らに尽くし続ける。最後にバルビエが彼女を玩んでいただけだと分かったときになって、ようやく彼女の気持ちを大切にするために彼を殺害する。

 何が一番大事かというのを考えさせてくれる一本でした。監督はルネ・クレール。忘れられない一本でしたが、これからも一生忘れることのない素晴らしい映画であることを再認識させてくれました。

 総合評価 90点


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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
用心棒様、こんにちは。

ルネ・クレール監督作品はいくつか見ていますが
(自由を我等に、巴里祭、ル・ミリオン、夜の騎士道、巴里の屋根の下、奥様は魔女、、、ほとんど全部好きです)

残念ながらこの作品「リラの門」は、未見です。いつか是非鑑賞したいと思っています。鑑賞できたら、コメント書かせて頂きますね。
でも「9歳」って「オマセさん」でしたのね・・・。

>ぼくはすぐに行きつけのツタヤ心斎橋店の4階に駆け上がり、このフランス映画を探しまくりました。そしてとうとうフランス映画コーナーにて見つけ出しました。

再会出来て、再見なさって、本当に良かったですね!
ここに書いてあるお気持ち、とっても良く分かります。
私にもそういう作品はありますので・・・。

先日のコメントのもう一人はジャック・フェデー監督です。この人だけ、ご縁がなくて一本も見ていません。

では、またお邪魔いたします。
えみこ
2011/06/19 15:38
 えみこさん、こんにちは。

>もう一人
ジャック・フェデーですか!『ミモザ館』では監督がジャック・フェデーで、助監督がマルセル・カルネなのでかなり楽しめるのではないでしょうか。

>私にもそういう作品
 映画ファンを長くやっていると思い出に残っているのだけどタイトルが出てこない、目に焼きついているシーンがあるのだけど、どの映画だったのかが思い出せないなどということが多々ありますね。

 何年か前にも一度、タルコフスキー作品での水の描写についてのイメージを覚えておられたが、どの作品だったかが思い出せないという方がいらっしゃいましたので、覚えておられるシーンをお聞きして、タイトルを探し出したことがありました。

>『リラの門』
大作ではありませんが、字幕版の洗礼を受けたこともあり、なぜかぼくはこの作品の印象が最も強いんですよ。

 ですからこれを探し出したときにはかなり嬉しかったのを覚えています。

 ではまた!
用心棒
2011/06/19 18:34
用心棒様
お久しぶりでございます。
この映画、9月に鑑賞しました。

>何が一番大事かというのを考えさせてくれる一本でした。

私の感想も(この記事の一言一句を完全に覚えていたわけではないので)偶然にというか・・・本当にピッタリと符合するかのように、同じでした。
他の細かく書かれた部分も、この映画のそれぞれの部分をよく表現なさっていて、素晴らしい記事ですね!
また他の記事もじっくりと読ませて頂きますね〜。
えみこ
2011/12/18 18:49
 えみこさま

おひさしぶりです!お元気でしたか?

>9月

 個人的に大好きな映画を楽しんでいただけて、自分のことのように嬉しいです(笑)

 昔のフランスやイタリアの映画って、センス溢れる作品が多く、見ていて楽しいですね。

>他の記事

は〜い(笑)コメントをお待ちしております!

年末年始、バタバタして体調を崩しやすいので、ご自愛下さい!

ではまた!
用心棒
2011/12/18 20:00
おじゃまします。ニューヨーク在住の元大学教授(血液学)の老人です。
わたしが「リラの門」を見たのは大学生のときでした。すっかり気に入って、そのころ見たいかなるフランス映画(たとえば、禁じられた遊び)より「リラの門」が好きになりました。
昭和42年、わたしはアメリカに留学することになり、ヨーロッパ周りでニューヨークに行ったのですが、パリに着くなりホテルに荷物を置くと真っ先に地下鉄で終点のリラの門(Portes des Lilas)に駆けつけました。しかし、そこで見た光景は、映画で見た庶民の町の情緒ではなく、道路は広くなり、新しい高速道路が走り、ただ「風吹くばかり」で、がっかりしました。

アメリカで3年すごした後、わたしはパリ大学分子病理学研究所に留学することになり、1971年から1974年までパリに住みました。「リラの門」で、酒場でギターを弾きなたら"Au Boir de mon Coeur"を歌っているジョルジュ・ブラッサンスが好きで、なんども彼のコンサートに行きました。74年の暮れ、ニューヨークに戻るとき、アメリカに戻ったら2度と手に入らないと思い、ブラッサンスの全集(LP 12枚)を2セット買いました。10年以上も前、LPプレーヤーがこわれてしまって、レコードは倉庫に眠っています。1箱はまだ未開封のままです。

ピエール・プラッスールは1972年、ブラッサンスはわたしがニューヨークに戻ったあと、1981年に亡くなりました。当時のニューヨーク・タイムスの死亡記事の切り抜きを今ももっています。

わたしは今でも、とこどき「リラの門」を夜中に一人で見ています。以前友人に頼んで送ってもらったヴィデオテープ版と今のDVD版では日本語の字幕が違っています。

おじゃまいたしました。
mokumoku
2012/06/06 12:32
(追加)

>1970年代だったと記憶していますが、NHKか民放の夕方か夜だったかは覚えていないのですが、吹き替えではなくて、フランス語の音声で、日本語字幕の付いていた放送がありました。

NHKです。
家内の兄がNHKのアナウンサーをしていたので、たのんでテープを複製して送ってもらいました。
mokumoku
2012/06/06 12:53
 こんばんは。コメントをいただきまして、ありがとうございます。

 >NHK
おおっ!記憶は正しかったのですね。この映画はぼくにとっては字幕版のほうが良いのだということを理解した最初の経験でした。
 
>字幕が違って
けっこういろいろな作品で、ビデオ時代とDVDでは字幕の台詞が違うものや字体の違うものが多々ありますね。

>LP

いまは2万円くらいの値段でLPをデジタル録音できる一体型タイプのプレーヤーが通販などで出ているので、ご検討ください。

ぼくもLPを残していて、CD化されていないアナログ・レコードを数年前に購入し直したレコード・プレーヤーで再生し、CD-Rに焼いていますよ。

CDは気軽に楽しめますが、レコードの味わいは格別なので、ついついプレーヤーをセットしてしまいます。

ではまた!
用心棒
2012/06/07 00:39
今年30になった者で、まわりに古い映画を語れる人がいなくて寂しい思いをしているので書き込みます。
昨日『リラの門』をみて、数えてみるとクレール作品は短篇の『幕間』を入れると八本目なんですけど、クレールはやっぱりいいなあ、と再認識しました。
詳しい分析はできませんけれど、ファーストシーンからひきつけられるものがあって、それは、ストーリーがいいとか、このキャラクター造型がいいとかというのとは違って(それもあるんですけど)、観ていて、映画っていいなあ、としみじみ感じるものだったのです。
声を出して笑う、というほどではないのですが、ジュジュの行動にはおかしみがあって、フォアグラを盗んだりするのも、窃盗の場面をこういうのもなんですが、微笑ましかったですね。そのジュジュのおかしさっていうのと、純朴ゆえの悲しさはつながっているもので、それが映画全体にあらわされているんじゃないかと思いました。
それから、私はミュージカルや、ロックが流れる形の「スタイリッシュ」とか言われる映画があまり好きではないんですけど、なぜかクレールの音楽シーンは好きなんですね。これはよくわからない。

こういう映画がテレビでやっているなんて、いい時代だったんだなあと思います。
ハムレット
2012/06/29 14:38
 こんばんは!

>古い映画
そうですね。寂しい限りですが、周りにはなかなかいませんね。そういう意味では同好の方々と気軽にコミュニケーションが取れるネットは素晴らしいツールですね。

コメントのやりとりの中で貴重な情報を得ることも多いですね。

>『幕間』
かなりマニアックですね。サイレント以降ではトーキーが映画になっています。映像と音の融合が本来の映画ですので、台詞で語らずに映像で語って欲しいものですね。そういう意味ではこの映画には洒落っ気がたっぷりで、あちこちにアイデアが満ちています。

こういうゾクゾクをもっと味わいたい。

ではまた!
用心棒
2012/06/30 01:09
ろくでなしの男、ジュジュは、警察に追われる男、ピエロを匿うことになった.
ピエロは、警察に捕まれば死刑を免れない殺人犯であった.
ジュジュの好きだったマリア、けれども彼女はピエロに惹かれて行く.
マリアを騙し、金を奪って南米へ逃亡を図るピエロ.
「金を返せ」
「マリアの父親のためか?」
「マリアのためだ、彼女が知ったら」
それを知ったジュジュは、言い争いの末、ピエロを撃ち殺してしまった.
「ピエロは、金がいらなくなったと言うさ」ジュジュはマリアに金を返すとき、こう言い訳すると言うのだけれど、この嘘に、ピエロを撃ち殺した事実が重くのしかかる.

殺人犯を匿うことは、所詮は馬鹿げた、ろくでもないことであったかもしれない.ピエロは身勝手で迷惑のかたまりに過ぎない存在であった.けれども、人を助けることには、たとえ細やかでも喜びがあったのも確かなことであった.
しかし、その男を撃ち殺したとき、殺されても当然の人間を殺したのだけれど、けれども、その行為によって誰も喜びはしなかった.
むしろ、自分の好きなマリアのことを思うとき、マリアに金を返すときの言い訳の言葉を口にするときには、彼女に対して悲しみを与えただけであったのが分ったはず.
単に騙され捨てられた時よりも、より深い悲しみを与えることになったに違いない、ジュジュにはこう思われたのではないか?.
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ルネ・クレールは、私の知る限り、人の死が意味を持つ映画は、この作品まで撮りませんでした.なぜなら、人を殺してもなにも良いことはない.単純明瞭な答えが、この作品に描かれて居ると言えます.(焔の女、提督の館、未見)
ルミちゃん
2013/01/09 02:20
 こんばんは。おひさしぶりです!

 報われない愛情や男女の機微は古くから愛憎の歴史を繰り返してきたヨーロッパ映画にはアメリカ映画は追いつくことは出来ないでしょうね。

 何が正しくて、何が誤りなのかは立場によって相対的に変わるものなので、単純なハリウッド映画の図式には当てはめられなかったのでしょう。

 今年も良い映画を見たいですね。

ではまた!
用心棒
2013/01/12 20:13

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『リラの門』(1957)思い出の映画。当時、ぼくは9歳。フランス語をしゃべる女性はセクシーでした。 良い映画を褒める会。/BIGLOBEウェブリブログ
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