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zoom RSS 『キングコングの逆襲』(1967)キングコング対メカニコングはゴジラ対メカゴジラの原点である。

<<   作成日時 : 2006/09/06 00:13   >>

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 東宝設立35周年記念作品として製作されたのは同社の大スター・ゴジラを主役にした対戦シリーズではなく、5年ぶりに招聘したキングコングと機械兵器であるメカニコングとを戦わせるという意外な作品でした。

 そして本多猪四郎監督は三十周年記念作品として好評を得た『キングコング対ゴジラ』の一方の雄を再び主役に据えて、前回は不完全燃焼だったコングの良さを生かした、とても魅力的な作品に仕上げました。

 制作スタッフも再結集し、音楽に伊福部昭、特撮に円谷英二、製作に田中友幸、そして主演には宝田明を起用しました。今回はふたりのヒロインを共演させていて、正義のヒロインを演じたのはリンダ・ミラー、悪のヒロインを演じたのは浜美枝でした。

 悪のヒロインとしての役柄の適任は水野久美だったような気もします。浜美枝も十分に魅力的な悪女を演じてはいましたが、さらなる邪悪と魔性を秘めているのは水野久美しかいません。スケジュールの都合とかあったんでしょうかね。

 その代わり、今回は悪役に素晴らしい人を得ました。彼の名は天本英世。独特の風貌を持ち、個性的な演技をする彼には善人役など似合わない。ここでも狂気の科学者ドクター・フーをケレンミたっぷりに演じました。のちに仮面ライダーで死神博士を演じましたが、彼にはこのようなマッド・サイエンティストの役柄がピッタリとはまります。

 悪役に素晴らしい役者を得ると芝居が締まりますが、彼は適任でした。その意味でも悪のヒロインに水野久美をキャスティングしていれば、特撮映画史上に残る魅力的な悪役デュオを見る機会を得たかもしれないと思うととても残念です。

 演出ではドラマ部分をしっかりと意識し、悪役と正義の味方を対照的に描いていました。両方に科学者リーダーを配置し、両方にヒロインを配置する。そして一方にはキングコングを、もう一方にはメカニコングを置き、徹底的に対比させる。

 「自然対文明」というこの手の特撮映画でのありふれた設定に収まらない作品になったのは科学を駆使する側に悪役を持ってきたことでしょうか。科学文明に疑問を感じ始めた60年代当時の価値観の揺らぎが出ているのではなかろうか。

 科学を駆使する方が正義であるような文脈を多くの一般的なアニメや特撮映画で見受けますが、『フランケンシュタイン』にしろ『ゴジラ』にしろ、そういった科学万能に対してのアンチテーゼのような作品は必ず登場してきます。

 人工コングであるメカニコングは二体存在しました。最初の一体はエレメント](核兵器の原料)を掘っていく過程で磁気不良を起こし、あっけなく故障してしまうのです。これは思い切った演出であり、核燃料の恐ろしさとそれを扱う難しさを同時に表現しています。

 本来ならば、今回のコングの敵役になる一方の主役を、始まってすぐに破壊させてしまうのはありえない。敵役としての強さが霞んでしまいます。このような大きなリスクを犯してまでも製作サイドが表現したかったものは一体なんだったのか。核の恐怖か?

 転んでもただでは起きないドクター・フーは二代目メカニコングを製造しながら、本物のコングを北極に連れてきて、彼に危険な作業をさせる。機械と違い生身のコングは被爆するが、磁気にやられることはないので、急に死ぬことはない。必要な物さえ手に入れば、コングは用済みである。

 このへんの描写は強者による弱者への対応と似ている。戦うのは他人であり、自分たちは指揮して美味しいところを頂くのみであるというような割り切れない思いがある。

 この作品で頻繁に出てくる言葉「エレメント]」は実は作品中で一度も利用される事がありません。核燃料なのですから、メカニコングの動力に使用したり、搭載兵器として使用したりと色々と使い道があったはずですが、まったく利用されませんでした。

 日本人の核アレルギーに配慮しての演出でしょうか。それともただのマクガフィンとして機能させたかったのでしょうか。効果的な使い方をしていました。

 作品を通して見ていくと、怪獣同士の格闘シーンが数多くあり、特撮ファンにとっては見所一杯と言えます。「キングコング対ゴロザウルス」、「キングコング対大海蛇」、そして「キングコング対メカニコング」という三カードを見ることになります。

 「キングコング対ゴロザウルス」では東宝怪獣映画史上初のゴロザウルスのドロップ・キックを何度も拝めます。コングも首投げからマウントに移行し、最後はゴロザウルスの顎を裂いて、KO勝ちを収めます。このときのゴロザウルスは断末魔で口から泡を吹きます。

 二試合目の海蛇戦は圧勝に終わり、東京に来日するまでに一度北極でメカニコングと接近しますが、勝負は東京タワー行われました。海蛇と戦うというアイデアはギラーミン監督の『キングコング』(1974)でも使用されました。

 パクリと思える部分はまだあります。タンカーでコングを運ぶという設定、オリジナル・ヒロインの最後まで叫びまくるフェイ・レイと異なり、リンダがコングに理解を示して歩み寄るという設定、海蛇と戦うという設定は既にこの『キングコングの逆襲』で試されていたのです。

なかでもメカニコングを知る者にとって、もっともパクリだと思ってしまうのはパラマウントが『キングコング』宣伝のために、特撮責任者のランバウディが作って、まったく使い物にならなかった20メートルの巨体を誇るロボットコングを全米に引っ張っていったことです。映画パンフレットに載っていた姿形はまさにメカニコングそのものでした。

 このロボットコングはほとんど使い物にならず、登場するのはニューヨークで見世物にされるシーンでのロング・ショット場面だけだったそうです。無駄使いに過ぎなかったのがこのパラマウント・ロボット・コングでした。

 その点、わがメカニコングもキングコングもスーツ・モンスターだったので可動性は抜群で、両者の対決は機動力と運動性に富んだ好勝負を展開させてくれました。ストロング・スタイルの素晴らしい攻防が続きます。

 さて作品に戻ります。東京に上陸した両者は寺社(神宮?浅草寺?)の広場の中で戦い始め、コングに近寄ろうとしたリンダ・ミラーをメカニコングが奪い去り、コングが執拗に追いかけていきます。目くらましにライトを点滅させるしか能がなく、飛び道具をまったく持たないメカニコングには失望もありましたが、メカニはもともとエレメント]を掘り出すために製造された作業用ロボットであって、戦闘用ではないので仕方ない。

 東京タワーに二匹のコングがよじ登り、頂上まで上りながら決闘を繰り広げる様子は圧巻で、デスマッチとしても迫力のある戦いでした。夜の暗闇の中、自衛隊のサーチライトを浴びながら、戦い続ける両者は街の裏路地で殴りあう荒くれ者同士の喧嘩のようにも見える。

 コントロールルームでの混乱で、電源がショートしてしまったメカニコングが東京タワーの天辺から地上に真っ逆さまに落ちていく様子は科学文明への批判とも取れる。所詮機械は機械にしか過ぎず、命令系統が駄目になるだけで、全ての機能が失われてしまう。

 興味深いのは本家アメリカでは必ず最後にビルの屋上まで登らされた挙句に、撃ち殺されて終わってしまうという文明世界に対抗する悲劇のヒーローとしてしか存在を許されていないコングも、何故かわが国では一度も殺されることなく、ほとんど銃撃も受けずにベビーフェイスとしてスポットライトを浴びる。そして最後はいつも泳いで島に帰って行きます。

 日本には破壊のキャラクターとして既にゴジラもキングギドラもいるので、役柄が空いてなかったんでしょうね。もう一回ゴジラと戦わせるわけにもいかず、そのために敵役として登場したのがメカニコングでした。

 このメカニコングは東宝に大きなヒントを残してくれました。そうです。このメカニコングこそが70年代になって、ゴジラを苦しめる第二の悪役スター、メカゴジラのルーツなのです。困ったら、機械のそっくりさんを出せばいいんだという安易な発想は止めて欲しい。

 そして機械ゴジラや機械コングの意味するものが何であったかを東宝は反省すべきである。平成シリーズではしょっちゅうメカゴジラを人間サイドの兵器としてゴジラと戦わせてしまい、当初は自然を脅かす機械文明の末路であったはずのメカゴジラの存在意義をも自己否定してしまっています。

 愛情のないゴジラシリーズを量産したツケが動員力低下に繋がったのである。その証拠に一般ファンの愛情溢れた脚本を公募して出来上がった『ゴジラ対ビオランテ』は素晴らしい出来栄えだったではありませんか。ゴジラの魅力が衰えたのではない。製作サイドの判断力と脚本の劣悪さがゴジラの魅力を奪い去ったのだ。

 日本映画に登場する時、コングはモスラと同じ存在意義を持つ。それは平和と調和です。どちらも暖かい。そして彼らはそれを守るために命がけで戦う。自分から仕掛けてくることはない平和主義者ではあるが、自らの価値観と存在を示すためになら決死の勝負も厭わない。守りの美学を持つモンスターは彼らのみである。

 余談ですが、今回の『キングコングの逆襲』、前回の『キングコング対ゴジラ』をともにDVDで鑑賞したのですが、ビデオ版では目立っていたチラつきや褪色が大幅にクリーニングされ、極彩色のファロ島、密林のモンド島を美しい映像として楽しめました。

 もうひとつ余談ですが、ビデオの表パッケージ(DVDの表パッケージはコング、ゴロ、メカニ、浜美枝の4ショット合成。マダム・ピラニア浜美枝は怪獣扱い?)ではコングとメカニが北極で戦うシーンが採用されていますが、実際の劇中で両者が北極で取っ組み合うシーンはありません。宣伝用のスチール写真だったんでしょうね。

総合評価 75点

キングコングの逆襲
キングコングの逆襲 [DVD]

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キングコングの逆襲 ( 1967 / 日本 )
若くてかわいい〜 メカニコング・ガールの 浜 美枝 ! しかしその実態は、世界制覇を企む某国の秘密情報部員なのだ・・・。 スパイ映画のテイストが感じられるのも 彼女のおかげ! ...続きを見る
くんだらの部屋
2006/12/07 20:20

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
待ってました!用心棒さん!
わたしは4才になる年にリアルタイム観賞しております。これは、東宝創立35周年記念映画だそうですね。
そして、わたしは当時このドクター・フー(天本英世)を“キング・コングのおじさん”と覚えました。
そして、リンダ・ミラーのおねえさんが優しくて、きれいで素敵なヒロインでしたね(声は山東昭子さんだそうですね)。
エレメントXの掘削場面でのコングの眠たそうな動きには、「コング頑張れえ!」と声援を贈りたくなり、氷のなかでの作業に観ているわたしもつらくなった記憶があります。おお〜さむう。
ラシトシーンも、今でもはっきり憶えています。メカニ・コングとの、あの東京タワーでの攻防です。
トム(Tom5k)
2006/09/06 21:13
>続き
リンダ・ミラーが東京タワーから落ちてしまうのではないかとドキドキしっぱなしでした。このラストシーンは、クライマックスとしての最高潮を描き出すことに成功しています。
怪獣同士の闘いと同時進行の人間間のサスペンス、主人公、ヒロイン、悪役、ファム・ファタルらが、しっかりと自らの存在としての役割を全うしたストーリー・テリングとドラマ・トゥルギー。最後までそれは徹底されており、こういった構成があってこそ4才の子どもの目にも何かを残せたのだと思います。
当時ただひとつ不満だったのはゴロザウルスの出番がファーストシーンのみだったことです。当時の雑誌等の広報スチールなどでは、三大怪獣を対等な扱いで宣伝しており、全編にゴロザウルスが活躍することを期待していたからです。
また、当時TVのアニメで「キング・コング」を放映しており、それにもロボット・コングが悪役で出ていたことを憶えています。
では、また。
トム(Tom5k)
2006/09/06 21:14
 トムさん、こんばんは。熱いコメントを有り難うございました。
 トムさんのリクエストでしたので出来るだけ早くアップさせていただきました。
 二ヶ月前にも一回見たのですが、上手く文章が纏まりませんでしたので今日までずれ込みました。結局この二ヶ月で、三回見てしまいました。見る度に新鮮ですよ。
 最後の転落しそうなところはヒッチコック的なサスペンスと弛緩のバランスが絶妙でしたね。リンダは可愛らしかったし、浜美枝も結構魅力的でした。
 DVDのジャケットはコング・メカニ・ゴロ・浜美枝でしたよ。
 調子が出てきたので、今年中にゴジラ・シリーズを全作品やっつけてみようかなあとか思っています。ではまた。
用心棒
2006/09/06 23:57
 追記です。東宝設立35周年記念作品にはこの作品ともう一本岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』がありましたね。これも骨太の素晴らしい作品だと思います。ではまた。
用心棒
2006/09/06 23:59

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