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zoom RSS 『キング・コング』(2005)肝心なシーンがすべて削除されていることが「世界第8の不思議」だ!

<<   作成日時 : 2006/05/29 02:03   >>

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 ピーター・ジャクソン監督による、この作品は2005年のリメイク作品の中でも『宇宙戦争』と並んで、非常に注目度の高いものでした。映像的には素晴らしく綺麗な作品であり、色彩感覚に優れた監督である事は窺えます。

 しかし、制作費に何百億円も掛けたというのは本当なのだろうか。果たしてそれほど素晴らしい作品に仕上がっているのだろうか。疑問が多く出てきます。

 オリジナルのコングがあまりにも魅力だったので、リメイクがこれを超えるのはほぼ不可能な事です。「キング・コング」という響きは特撮好きの映画ファンのほとんどにとって、とても思い入れが強いものなのです。

 監督を務めたピーター・ジャクソンにとってもそれは同じことで、彼がこの作品に対してかなり強い愛情を持っていることはフィルムを通して痛いほど伝わってきます。出来るだけ原作に忠実に近づけようとしています。オリジナルでカットされた「巨大虫による人間襲撃場面」を復活させている事でもそれは明らかです。

 しかし見終わった後に残るのは映像の美しさと特撮パートの素晴らしさでしかない。作品が持っていた、重苦しいテーマがどこかボケてしまっている。そしてなによりも、オリジナルが持っている素晴らしき残酷描写の数々がすべてカットされてしまっている。

 これらをを脳裏に浮かべて、今見た映画と比べた場合、家路につくオリジナル・ファンには到底許せない作品に成り下がってしまっているのが、この2005年度版ではないでしょうか。

 巨額の費用を掛けた作品であるために、失敗が許されないのは理解できますが、数々の制約を受けているのが一目瞭然のコングには魅力をあまり感じません。家族向けにしたら、みんなが楽しく見れるし、儲かるという姿勢がアリアリです。

 それでなくとも上映時間は無意味に3時間越えるし、意地でも劇場を満杯にしようとすれば、子供でも観れるファミリー向けにするしか残された方法はない。ユニヴァーサルにとっては、あとあとのユニヴァーサル・スタジオでの再利用も含めると、ここは譲れない線だったのでしょう。

 しかし、ナオミ・ワッツに骨抜きにされ(ナオミ!もっと怖がれよ!)、彼女と心を通わせ(ガメラやモスラみたいです)、コミカルな表情を浮かべ(いらねーよ!ヘラヘラすんなよ!)、人間を喰らわず(喰えよ!)、虐殺もせず(見せ場じゃないか!)、列車を転覆させず(頼むから壊してよ!)、池の上をスケート場化(おいおい...)し、ビルの外から窓越しに覗きをしない(覗けよ!)コングに対して、我々怪獣映画ファン及びオリジナル・コング・ファンはどうやって感情移入できるのだろうか。

 オリジナルで素晴らしかったシーンをすべて除外して、わざわざオリジナルでカットしたシーンや作品の進行上、あまり必要とは思えないシーンを山盛りに追加している理由はいったいなんなのであろうか。映画会社への嫌がらせだろうか。

 2時間で十分表現できると内容だと思うのです。ピーター・ジャクソンは何でもかんでも長くしたがるという映画会社にとってはなんとも迷惑な存在で、ここでも重要度の低いシーンをさらに長くして、上映回数と観客回転率を全く考慮しない姿勢を貫いています。丁寧な描写をするため、分かりやすくはなっていますが、短くまとめて映像で語るのも作家の才能です。

 長々と無意味なシーンを作ったにもかかわらず、髑髏島の門を破る、作品上もっとも重要な意味を持つ、夜の大暴れのシーンは、昼間の生け捕りシーンに差し替えられ、原住民虐殺は一切なくなり、人間を喰らうシーンももちろん削除されていました。そんなに観客入場数に規制を加える「R-15」が嫌なのかいと突っ込みたくなります。

 フェイ・レイを特別な存在として照明でも特別扱いしていたオリジナルとは異なり、ナオミ・ワッツには他の出演者との区別はされていません。フェイ・レイよりは魅力的なワッツですが、現代風に作り上げられたアン像は何か抵抗感があります。

 ニュー・ヨークのホテルの一室からフェイ・レイを誘拐する、最も有名な特撮シーンが完全に葬り去られているのには、コング・ファンとしましては腹が立つのを通り越して呆れてしまいました。何のために3時間も掛けたのか。

 つまらないディティールと思われる部分はほぼ完全に再現しているのに、重要なシーンのほとんどをカットしているこの作品に何の意味があるのか。全く不思議な作品で、これこそが「世界第8の不思議」ではないでしょうか。

 映像的には素晴らしいのです。大恐慌後のニュー・ヨークの街並みの荒れた様子、レストランの内装、船舶の不潔さ、衣装、貧民街の悲惨さを色彩感覚豊かに仕上げています。髑髏島での緑溢れる映像の色彩も優れていて、悪いと思える部分は見当たりません。

 ニュー・ヨークの街並みのCG映像は見事であり、コングや恐竜との格闘など森でのシーンでの特撮に目が行ってしまうのは致しかたありませんが、動かない部分の特撮も素晴らしい出来栄えでした。

 もちろん髑髏島での太古の生物の映像は素晴らしく、格闘シーン以外にある巨大虫、小さな恐竜、巨大ムカデ、巨大吸血蛭など脇を固めるクリーチャーの動きが気持ち悪いほどリアルでした。

 とりわけ気味が悪いのがコングによる橋の破壊と、そのあとに探検隊が大量の巨大虫に襲われるシーンです。虫嫌いの人が見る悪夢のような光景が展開されます。360度虫だらけで、すべてが馬鹿でかい。オリジナルではこのシーンがカットされたそうですが、ここに再現されています。『昆虫大戦争』を思い出す、本当に気持ち悪い映像です。

 虫の映像では、森の中でのコングの周りに飛んでいる小さな昆虫が素晴らしい。お話そのものには全く関係のない細かい映像ではありますが、製作者達が真面目に丁寧に関わっていた証明といえる映像です。

 特撮の見所のひとつとして、三頭のティラノサウルスとの格闘シーンを挙げなくてはなりません。CGで再現されたT−REXは滑らかに動き、コングを襲います。このシーンを見たときに思い出したのはキング・ギドラとゴジラが戦う様子でした。激しく、汚く襲い掛かるトリオ・T−REX
の動きはゴジラ映画を見ているような錯覚がありました。

 人間達がブロントサウルス?みたいな恐竜に追い掛け回されるシーン、T-REXたちが木の蔦に絡まりながら、それでもナオミ・ワッツを喰おうとするシーンはユーモラスで、お笑いの要素を盛り込んでいました。笑いが出ましたが、『キング・コング』に笑いが必要なのだろうか。

 配役においても、使った俳優の人選にジャック・ブラックがいるのも目の付け所がよい。山師のプロデューサーというのははまり役だと思います。ちょっと前には偽教師も無事にやり通した実績もあります。たしかに彼を含めた映画関係者の台詞には、製作者の洒落が多く盛り込まれ、楽しませてくれました。

 「動物映像ならユニヴァーサルが喜んで買うだろう」とか、フェイ・レイはメリアン・C・クーパーのRKO作品に出演中とか、クララ・ボウ、メイ・ウェスト、セシル・B・デミルの名前がポンポン出てくるのは笑えました。

 が、コングの描写にもお笑いの要素を持ってきたのは大失敗だったと言わざるを得ない。コミカルなコングなんて真っ平だと声を大にして言いたい気持ちでした。ゴジラが「シェー」をする時、もしくはミニラの登場に、「終わった。」と思ったファンも多かったはずです。

 またヒロインを演じた、ナオミ・ワッツに関してはかなり批判も多いようですが、彼女の演技は上手いとは思いませんが、見れないほど下手だとも思わない。わざとらしい芝居が多いのは彼女のせいだけではなく、かなりの責任は脚本と演出にあります。

 彼女以上に、特にまずいと思うのはエイドリアン・ブロディの存在意義であり、コングとワッツが心を通わせる段階以降は彼は全く必要ありません。オリジナルのように終始フェイ・レイが叫び続けるのとは訳が違い、彼女はコングに守られている事を理解し、ジャグリングなど彼を喜ばせる努力さえしています。

 孤独だった彼女にとって、コングは命の恩人であり、お互いに孤独だったコングの心情を理解するまでになっています。同じ夕陽を見る彼らには感情の繋がりが出来ていることを映像で語っている。

 つまり映画クルーによって救出される必要性が無くなっているのです。それなのに、何故わざわざ救出しなければならないのか。脚本が破綻し始めてしているのに、誰も気付いていない。しっかりとディティールを描いているはずなのに、どんどん本筋から脱線しているように思えてなりません。

 むしろ彼女を誘拐したのはブロディなのです。島民からの貢物を受け取っただけのコングにとっては、大切な彼女を誘拐していったブロディこそが悪者であり、打倒されるべき対象です。自然の王者が文明世界の悪党から美女を救い出すのが、本来の正義であり、コングが結局は敗れて果てるというのは悲劇そのものなのではないでしょうか。

 『美女と野獣』というテーマの中で、美女によって骨抜きにされる強者のイメージが何度となく出てきますが、彼女と心を理解しあった今回のコングはそれほど悲劇的には見えない。何も報われなかったオリジナル・コングと違って、理解者が存在するのですから。

 間違いなくピーター・ジャクソン監督はオリジナルの『キング・コング』を愛しています。コング・マニアが映画会社による制約を受け入れる条件で、3時間の完全版を作り上げたというのが真相でしょうか。制約の中で彼はよくやったとは思います。

 残酷なコングを観たいと願っていた人には完全なる失望感を与え、ただ娯楽として見たいと思っていた人には「長すぎる!」と批判され、子供たちにとってはユーモラスで人間っぽいコングはカッコ良いと思える対象ではない。

 いったい誰のための映画だったのか。

総合評価 72点キング・コング 通常版
キング・コング 通常版 [DVD]

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映画評「キング・コング」
☆☆☆☆(8点/10点満点中) 2005年アメリカ=ニュージーランド映画 監督ピーター・ジャクスン ネタバレあり ...続きを見る
プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]
2007/11/02 14:46
『ブレインデッド』(1992)あのピーター・ジャクソンが撮ったゾンビ映画!視聴困難!
 ニュージーランド生まれのピーター・ジャクソン監督の代表的な作品を一本挙げるように言われると、多くの人たちが思い出すのは三本に渡る一大サーガであるロード・オブ・ザ・リングのシリーズであり、リメイク版『キング・コング』のような3時間を超える大作ばかりでしょう。 ...続きを見る
良い映画を褒める会。
2011/04/13 21:07

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
用心棒さん、わたしもDVDでしたが観賞しました。
>リメイクがこれを超えるのはほぼ不可能な事です
全くそのとおりでしょうね。オリジナルは映画史上というより文化史上にまで特筆される作品であると思われます。
そして、オリジナルのフェイ・レイは、これまた素晴らしすぎたと思います。
しかし、ナオミ・ワッツは魅力的でしたし、CGの可能性も追究できていたと思われます。ニューヨークの街並みや密林でのロストワールド等々。しっかりしたテーマを掘り下げれば現在のCG技術で素晴らしい映像文化が、今後まだまだ生み出されうるでしょうね。
文明の進歩が金儲けの目的から成立していること、文明の進歩が成し遂げられても飢えからリンゴを盗む若い娘が存在すること、それらが安息の自然をぼろぼろに破壊していること・・・。オリジナルの特撮は、人間社会の在り方を問うテーマであったからこそ説得力を持つものだったのではないでしょうか?
美しいニューヨークとセンセーショナルな興業、それは何のため、誰のためにあったのでしょうね。
では、また。
トム(Tom5k)
2007/01/14 00:27
 トムさん、こんばんは。本当にこの作品での特撮技術の精密さには目を奪われました。滑らかに動く生物達は生きているように思える部分もありました。
 巨大なビルが聳え立ち、幾何学的な美しさを持つニューヨークの街並みが表すものは繁栄だろうか。違うような気がします。単なる虚構にすぎないのではないでしょうか。
 天変地異の象徴で自然の復讐、失業者もしくは非白人世界からの不満の噴出を大猿に置き換えたと考えれば、第一次大戦後から第二次大戦前という時代であれば、アメリカ(白人)が勝つのも致し方ない。
 しかし時代は21世紀。人種問題に悩み、過激な表現を恐れ、集客のみを考える今のアメリカはどこか滑稽に思えました。ではまた。
用心棒
2007/01/14 23:11
用心棒さん
リアリズムのみが映画の価値ではないことをあらためて感じます。
虚構を描くには虚構で表現すること。これこそ本質なのかもしれません。
富裕が虚構であれれば貧困も虚構なのかもしれませんね。
CG映像のリアルさも、どこか虚構であることを感じさせるものであり、そういう意味では今後の使い方次第での素晴らしい作品を期待したくもなってきます。
「CG技術における宣言」など理論化されるべきのような気がします。例えばそれが新ヌーヴェル・ヴァーグ、新ネオ・リアリズモ、新アメリカン・ニューシネマなど新しい映画体系を生み出していければいいのですが。
では、また。
トム(Tom5k)
2007/01/15 00:17
 トムさん、こんにちは。
>「CG技術における宣言」
映画理論(運動)や宣言としては映画ファンにも広く知られるものはヌーヴェルヴァーグ、アメリカン・ニュー・シネマの次に来るものはあまりパッとしないようですね。
 集客と公開後の再利用という経済第一なので、物語、映像、俳優など諸要素が「経済コード」?によって規制されているように思え、自由な表現を見ることは少ない。
 とくに顕著なのがハリウッド作品で、どれもこれも似たり寄ったりで記憶に残る作品は年々減少しています。オスカー作品賞で素晴らしいと思えるものに出会えません。
 そんななかでも自由に表現される可能性が高いのはCGでしょうが、現状は「CG表現のためのCG」「宣伝のためのCG」に終始しており、ディズニー映画がセル・アニメを放棄している近年の流れは『白雪姫』『ダンボ』が好きな僕には残念です。
 CGシーンは見所ではありますが、失望するところでもありますね。ではまた。
用心棒
2007/01/15 09:53
TB有難うございます。

私は特別にオリジナルに未練があるほうではないので、大変楽しませて戴きました。
バイクの疾走をCGで見せる馬鹿映画に対して、アンチCGファンをも納得させるVFXの素晴らしさでしたね。
バランス的に古生物の場面が多すぎようには思いますし、映画が従来のスペクタクルから単なる見世物になった感じがしなくもないですが、この時代に余りそれを言っても無駄でしょう。

ただ先日観た「ウルトラヴァイオレット」のように俳優の顔もレタッチするようになると、実写SF映画は後何年持つのだろうかと思ってしまいますね。
オカピー
2007/11/02 15:01
 オカピーさん、こんばんは。コメントを頂きまして、どうもありがとうございます。
 VFXの使い方はさすがにジャクソン監督がオリジナルのファンであるということもあり、丁寧に作りこまれていて好感が持てましたね。
>先日観た「ウルトラヴァイオレット」
 あれは酷かったですね。映画ではなく、ゲーム映像のダイジェスト版を見せられているような気分でした。
 前半からきつかったのですが、後半の30分がとりわけ致命的で、主人公の息吹というか体温を感じないことの違和感、映画としての最低限のエチケットであるはずの映像の繋がりへの無頓着さにも首を傾げ、なにを観客に伝えたいのかという作り手の主張も何もないことに驚きながら、最後まで付き合っていました。
 なにも残らない作品?であることがむしろ記憶に残る「映像群」でした。
 ではまた。
用心棒
2007/11/03 00:58

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『キング・コング』(2005)肝心なシーンがすべて削除されていることが「世界第8の不思議」だ! 良い映画を褒める会。/BIGLOBEウェブリブログ
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