良い映画を褒める会。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『ゴダールの映画史』(1998) 全8章を覆いつくす「性」と「死」のイメージ。

<<   作成日時 : 2006/02/06 19:46   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 9

 難解極まりない、1998年製作のゴダール監督による『ゴダールの映画史』の各々の章について見たことへの感想です。 

『1A』  まず全ての歴史が語られます。まずはアメリカ・ハリウッドの権勢と扇情主義(「映画は女と銃である」byグリフィス)そして世界支配、ロシア革命とその後の動向(エイゼンシュテイン・プドフキン・レーニン)、ナチス・ドイツの台頭と侵略(フリッツ・ラング、ルビッチ、ヒトラー)・・・。

 これら三つの軸のせめぎあい、真っ只中に行われるホロコーストに代表される大虐殺、全ての焼け跡から生まれ出てきたネオレアリズモ(象徴的に使われる『ドイツ零年』と『カビリアの夜』)。映画はその時何を伝え、何を伝えられなかったのか。

『1B』 映画の歴史が語られます。「映画は芸術ではなく、技術ですらない」衝撃の言葉が飛び出してきて、不安に陥れます。映画の歴史は「女」と「銃」。性欲と暴力への強い衝動。「音」が「映像」に及ぼす影響力の増大。結局のところ、映画とは「ポルノ」、「暴力」、「美」、「死」、そして「支配」なのだ。

 もっとも印象に残るのはロベール・ブレッソンが『シネマトグラフ』に残した言葉でした。
 「ひとつの映像がそれ自体で、何かを明瞭に表現したり、解釈を含んでいる時は他の映像と合体しても変化しない。他の映像の影響を受けず、他の映像に影響しない。作用も反作用もない。映画の体系ではそんな決定的な映像は使えない。」。まさにモンタージュのことを決定的に言い尽くした一言でしょう。タイピングの音、『サイコ』のテーマなどこの章は最も音楽が効果的に用いられている。
 
『2a』 この一大ロマンの中には何度も出てくるキーワードがいくつかあります。その全ては『1a』から『2a』で示されます。
  「命がけの美」、「絶対の貨幣」、「モンタージュ わが美しき悩み」、「闇からの回答」、「新たな波」など全篇を通して繰り返される言葉が最初の三篇で出尽くします。
 この『2a』では『狩人の夜』、そしてボードレールの『悪の華』の引用が多く用いられます。もっとも美しい章かもしれません。

『2b』 「命がけの美」、つまり「性(生ではない)」と「死」のイメージがつむがれていく。ドイツ表現主義での性と死、アメリカンスタイルでの男女のショットの意味(俳優は銃(性器)とともに腰の位置から、女優は胸の位置で)、など性を表現してきたカメラの目。感覚的だった映画。それに理性が加わることによって映画の質が捻じ曲げられた。

 反対に感覚のみに走り、ポルノと暴力の罠に嵌まった映画。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』、そしてサビーヌ・アゼマによる『ウェルギリウスの死』の朗読。英語で書けば、「FATAL BEAUTY」となるこの章は致命的な美の物語である。この章で印象に残る映像は『偉大なるアンバーソン家の人々』。

『3a』  アメリカ映画の支配と、唯一それから免れたイタリア映画の特異性を軸に展開されてゆく。
虐殺についての言説から始まるが、それは現代についてのことではなく、ユーゴーが19世紀の事象について書いていたもの、つまり人間は長い時代を経ても何一つ学んではいない。

 現実にある、悲惨な事象に目を背けがちなハリウッドと正面から向き合ったイタリア。戦勝国と敗戦国の差からくる現実の捉え方の違いでしょう。言い換えると、フィクションとリアリズムのせめぎあいでもあります。現実的で飾らないイタリア・レアリズモの前ではハリウッドは誤魔化しでしかない。

 アントニオーニ、フェリーニ、ヴィスコンティ、デ・シーカ、ロッセリーニのフィルムが度々引用されていく。だが、レアリズモも永遠のものではなく、悲惨を忘れたがり、繁栄を望む大衆の中に徐々に埋没してゆく。映画とは悲惨なものでもある。悲惨な事柄を描き出すことで得る栄光もあるのです。しかし永遠のものではない。
 「お話を作ると問題はなく、作らないと問題だらけ」。まさに現実をありのままに示した場合に、製作者にふりかかるトラブルを端的に表した言葉です。

『3b』 自分達の生み出したムーブメントである、「ヌーヴェル・ヴァーグ」について語られていくこの章では、アンドレ・バザンへの賛美と感謝がさまざまな古典映画を通して示されていく。グリフィス、ルビッチ、ホエール、エイゼンシュテイン、ラング、ムルナウ。彼が持ってきて上映したこれらの映画を貪る様に吸収した若者達。

 その中にいたゴダール、トリュフォー、リヴェットその他、後にカイエに集ったライター兼監督達に与えた巨大な影響。古典を学ぶことにより、自分の位置を理解する若者達は、映画文法の基礎を叩き込まれてから、アメリカ映画、そして既成の作品に対して、彼らなりの創造的破壊を始めていく。

『4a』 「宇宙のコントロール」、つまり世界支配についての事です。ヒトラー、アレキサンダーなど多くの独裁者は一時の間は大衆の目を幻惑したが、あくまでも一時のものでしかなかった。それに対してヒッチコックはその監督作品全てで観客、すなわち大衆を魅了し続けた。彼は大衆を支配し続けたのだ。
 
 「セザンヌのリンゴは1万人が見た。『見知らぬ乗客』のライターは10億人が覚えている。『断崖』でジョン・フォンテーンの渡されたミルクの意味を覚えている」。このときフラッシュのように『海外特派員』の風車、『鳥』の電話ボックスと逃げ惑う人々、『白い恐怖』の影、『汚名』のワインなどが我々の記憶を呼び覚ます。ゴダール監督が言いたいのはヒッチ賛美ではなく、映画が大衆に及ぼす影響力の大きさではないか。

『4b』 この8章までをずっと見てきて思うのですが、ゴダール本人が最も影響を受けてきたのは以下の10人の映画監督なのではないでしょうか。これらの監督の作品の断片をかなり使っているのでそのように感じました。

 チャールズ・チャップリン、ロベルト・ロッセリーニ、アルフレッド・ヒッチコック、D・W・グリフィス、フリッツ・ラング、セルゲイ・エイゼンシュテイン、オーソン・ウェルズ、ハワード・ホークス、F・W・ムルナウ、そして溝口健二。そうそうたる顔ぶれです。

 第8章に戻りますが、「死」のイメージで埋め尽くされる、最終章で語られるのはゴダール本人による、内省と回想です。結局のところ、映画に意味はあるのだろうか。あるとすれば、それは何か。歴史とは何か。人間とは何か。突き詰めていくと行き当たるのは人間とはいかにという、哲学的問題である。人間に必要なのは時間であり、そして空間である。

 映画に必要なのは映像であり、音であり、言葉であり、時間である。どれか欠けても成立しない(サイレント作品もありますが、当時は弁士だったり、楽団がいて作品を盛り上げていたと言う事実があるので、音も存在していたのです)。

 また映画自体も、それのみでは存在する意味がない。作品である映画、それを作る映画作家とスタッフ、それを観る観客の三者が揃って始めて価値を持つのが映画なのです。唯一の大衆芸術であり、唯一の総合芸術である映画こそが全ての芸術を語る資格がある。道具(機能する芸術であり、ナイフや服も含まれる)、建築(映画ではセットなど)、音楽、文学、演劇、絵画(写真も絵画の一種である)からなる6つの芸術を全て含んだ第七芸術としての責任が映画にはある。

 だから映画は「夢の工場」なのです。ここで紡がれた膨大な映画の数々はひとつひとつ完結するものではなく、全ての映画が全ての映画の歴史となります。クズだろうが、傑作だろうが全ての映画は繋がっているのです。時代にかかわらず、国にかかわらず、映画は螺旋状につなげられる。

 全ての映画を繋げる映画的なもの、それがモンタージュなのです。『サイコ』を見た後に『断崖』を見ても良し。その後に『雨に唄えば』を見ても、『散り行く花』を見ても良いのです。ひとつの作品から、別の作品に繋いでも成立するのが、いわばマクロのモンタージュなのではないか。意味を持ち寄るのはそれを見た観客なのだから。

 まことに点数のつけにくい作品群ではあります。解り難く、膨大な時間を費やさねば観終わることも出来ません。4時間半にも及ぶ、この作品はさまざまな解釈が可能ではあります。どれも正解とはならない巨大な塊ですが、映画への愛は確実に存在します。それさえ感じ取れれば十分なのではないでしょうか。
総合評価 95点
ジャン=リュック・ゴダール 映画史 全8章 BOX</ASIN



2001年11月25日発売ジャン=リュック・ゴダール 映画史 全8章
Forest Plus by KINOKUNIYA
モニュメンタルな作品「映画史」は映画誕生から未来までを、極致に達した美しい映像とともに体験する映画。

楽天市場 by ウェブリブログ

ジャン=リュック・ゴダール 映画史 全8章 BOX [DVD]
紀伊國屋書店

ユーザレビュー:
名画を探すための名画 ...
「映画史」に疲れたら ...
シネマ小宇宙の幼年期 ...

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

映画史 全8章 BOX / ジャン=リュック・ゴダール
イーベストCD・DVD館
メーカー名ビデオメーカータイトル映画史 全8章 BOXアーティストジャン=リュック・ゴダール品名/規

楽天市場 by ウェブリブログ
ジャン=リュック・ゴダール 映画史 全8章 BOX [DVD]

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
『ヌーヴェルヴァーグ』C〜愛の再生・復活〜
 エレナがロジェを溺死させる場面の緊迫感の高まりは、この作品の頂点だと思います。物語の前半からのロジェの苦悩も切実な感情でしたが、この船上での二人の罵り合いが緊張感の極限を表現しています。  わたしは、エレナに溺死させられる場面でのロジェに強烈な感情移入をしてしまいました。 ...続きを見る
時代の情景
2006/03/08 00:52
「ゴダールの映画史」〜その@
「何も変えるな、すべてが変わるために」 (ロベール・ブレッソン「シネマトグラフ覚書」) 「戻るは大事業、大難事」 (詩人ウェリギリウスの言葉) この2つの言葉、そしてゴダールが打ち込むタイプの音で始まる「ゴダールの映画史」。 8つの章からなり、2章ずつ対になるタイトルになって語られている。 ジャン・リュック・ゴダールが1988年〜1998年の10年間にわたり製作した「映画史」。 ...続きを見る
寄り道カフェ
2008/10/08 17:17

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
 用心棒さん、こんにちは。
 文字の世界で言えばこれは哲学に属する作品です。哲学は芸術ではないので採点を寄せ付けるものではありません。これを採点する意義は結局は観る者の自身との格闘ということになるのでしょう。僕のような一般ファンの理解を超えた作品群でありますが、興味深い内容でありましたね。
 僕はゴダールの作品と巧く付き合う為に、言葉のコラージュを無視するようにしてきました。すると本質が見えてきて多少は分りやすくなりますが、「映画史」はそれができません。

 ヒッチコックによると、芸術家には二つのタイプがあり、一つは贅肉を落としていくタイプ、一つは膨らましていくタイプ。ヒッチコックは勿論前者ですが、ゴダールは一見後者ですが、どちらなのでしょうか、一体。
オカピー
2006/02/07 14:35
 ゴダールに対して持つ、個人的な印象としては、まずは一般に知られる『勝手にしやがれ』、『カラビニエ』、『アルファヴィル』、『ウィークエンド』などの素晴らしい作品を作った監督という面です。

 そして、それよりも数倍の価値を持つ、もうひとつの役割は、カイエから始まる全評論を通してうかがえる理論家、もしくは歴史家としての役割という、二面性というか二つの役割を一人で背負い込んだ異能の才能である、という印象です。

 彼の作品自体にはついていけない部分も多々あり、一人よがりに過ぎないのではないかと思うフィルムも沢山あります。それでも彼の持つ二つの才能は偉大であると言わざるを得ません。

 今こそ、彼には再び商業映画を撮って欲しいと切に思います。理論と芸術と興行の三位一体の傑作を撮れる可能性のある数少ない監督の一人ではないかと思うからです。ではまた。
用心棒
2006/02/08 01:39
はじめまして、トム(Tom5k)と申します。
わたくしは、アラン・ドロンのファンでして、彼のフランス映画史への関わりに、ずっとこだわっています。一見関係の無さそうなゴダールとドロンも『映画史』製作の合間をぬって『ヌーヴェルヴァーグ』を創作しています。勝手な解釈でそのところをブログに掲載しています。
また、おっしゃっているゴダールの

>カイエから始まる全評論を通してうかがえる理論家、もしくは歴史家としての役割

にわたしも興味をそそられています。失礼ながらTBさせていただきました。

オカピーさんのコメントは、あちこちで、よく見かけます。わたしとうまがあうのでしょうか?うれしいかぎりです。
突然、お邪魔して失礼しました。
トム(Tom5k)
2006/03/08 01:17
Tom5k さん、はじめまして。このたびは、TBいただきまして、ありがとうございます。だらだら長くなってしまった、当方の『ゴダールの映画史』についての感想は、さぞ読みにくかったと思います。
 イタリア映画、ロシア(ソビエト)映画、そしてフランス映画には何か観る者をひきこんで離さない、独特の雰囲気と監督の意志を感じる作品が多く、何度も同じ作品を見てしまいます。『ドイツ零年』、『8 1/2』、『大人は判ってくれない』、『勝手にしやがれ』などです。
 ゴダール監督はどちらかというと苦手なのですが、彼の歴史家としての貢献はとてつもなく大きく、商業的にはどうかは別として、さまざまな映画への方法論を含め、彼こそ「映画史」に残るべき偉大な思想家兼監督であると思っています。
 またハイデガー、ニーチェなどの哲学者の思想を理解されておられる見識の高さに感銘を受けました。「現存在は人間の事か?」などと読んでみても、さっぱり理解できずに手引書を見つつ、読んだ者としては素直に「凄いなあ」の一言でした。
 また、おひまな時にでものぞいていただければ幸いです。ではまた
用心棒
2006/03/08 01:47
 トムさんのお書きになられた記事に対しまして、こちらからもコメントしようとしたのですが、入力が上手くいかなかったので、こちらに書いておきました。申し訳ございません。

 また、そちらにうかがった時に、オカピーさんがおられたので楽しくなりました。ではまた。
用心棒
2006/03/08 01:54
ゴダールの映画史
やっと、ともかくも記事にしました。
ゴダールの作品を、とりわけ映画史を言葉で語ろうとしても、言葉だけ取り出して語ろうとしても語りきれない。私は感想文、中身は用心棒さんとこでお願いしたいと…というわけで先日TBくださった用心棒さんの記事2つ、事後承諾になりますが記事の中で勝手にリンクさせていただきました。(ペコリ)
しかし見るほどに面白いし見応えある。
案外とゴダールにとってモンタージュって、ゴダールという天才的な感性をもった人間のすっごくワクワクする遊びの世界かも知れない。
やはりゴダールはゴダールだと!
シュエット
2008/10/08 17:23
 シュエットさん、こんばんは!
>TB
トムさんやシュエットさんなら、好きなように入れてくださって結構ですよ(笑)

ゴダールの作品って、観るものへの挑戦状というか、挑発に満ちてますね。なんかこう、関西弁でいうと、「来んかい!!来んかい!!」って感じに思えてなりません。

その姿勢にたいして、ドン引きするときもありますし、「あんた、やるなあ!!」というときもあります。

考えさせてくれる映画作家としては最後の生き残りでしょうね。

ではまた!
用心棒
2008/10/08 21:58
フッテージの手法でコラージュされたシネマニアによる偉大なる(映画の歴史)或いは映像で語る映画史の思想・哲学的な考察なんですね♪超スローモーションとサウンドも魅力!全部通して見てないのですが、ゴダール自身の劇映画が含まれいないというので、そうであるならば、ゴダール監督自身が自作の創作の秘密を打ち明ける自画像風の作品が欲しいと思いましたが。それは後継の監督の仕事なんでしょうが…。以前記録映画でトリュフォー監督との友情と訣別、和解などに触れた(ふたりのヌーベルバーグ)を新宿のケイズシネマで観た事が有りました…。
PineWood
2016/05/05 15:51
こんばんは!

今ではクラシック映画と言われてしまう作品群を紡いでいくこの映画史は圧倒的なパワーを持っています。

何度も見ましたが、ここはあの映画からかな?とかこの映画も使われていたんだなあとか見るたびに気づくことが多々あります。

ゴダールとトリュフォーは今でも魅力的ですし、トリュフォーの作品をあと5本は見たかったですし、あまりにも早く亡くなってしまったことが惜しいですね。

お互い若い頃は認められなかったことでも、ある程度の年齢に達すると人間の意見は違っていて当然なのだと達観できるようになると少しくらいの違いなど気にならなくなってきますね。

ではまた!
用心棒
2016/05/06 00:30

コメントする help

ニックネーム
本 文
『ゴダールの映画史』(1998) 全8章を覆いつくす「性」と「死」のイメージ。 良い映画を褒める会。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる