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help リーダーに追加 RSS 『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922) これが全ての吸血鬼映画の原点、美しく恐ろしい。 ネタバレあり

<<   作成日時 : 2005/11/04 15:37   >>

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 F.W.ムルナウ監督の1922年の作品。いわゆる吸血鬼が出てくる映画の元祖であり、以降のドラキュラ映画の原点となる作品です。ほとんどの構図とストーリー展開はここから一歩も出ていない。影響力という点では、ジェームズ・ホエール監督の傑作『フランケンシュタイン』(1931)にも劣りません。では『魔人ドラキュラ』(1931)ほど人気が無いのは何故か。

 主役のスクリーン上で見せる魅力、それも女性客に対してのアピール度の違いがそのまま人気に現れてしまいました。『ノスフェラトゥ』のマックス・フォン・シュレックと『魔人ドラキュラ』のベラ・ルゴシのセックス・アピールの優劣、ルックスの美醜がはっきりとその後のドラキュラ物を作る基準になっています。構図とストーリー展開は『ノスフェラトゥ』、主役選びの参考は『魔人ドラキュラ』と大雑把に言えばこうした基準が出来上がったように思えます。

 構図と雰囲気の持つ恐ろしさか、肉体の美しさと「鮮血」などの直接的な表現による恐ろしさか。現在ではどちらが勝者としてもてはやされているかは明らかになっています。解りやすさと扇情主義というマスメディアの方針にも乗って、ベラ型のクリストファー・リーがその後のドラキュラの持つイメージを固めていきます。

 ではマックス・フォン・シュレックにはそんなに魅力が無いのか。いいえ、あるのです。演技力ではむしろベラやリーを上回っていると見て差し支えありません。サイレントの制約の中でシュレックは身体全体で吸血鬼を表現しています。解りやすい、まさに一世一代の演技をしています。

 オーバーアクションだという人もいるかもしれませんが、現在のトーキースタイルが当たり前になっている映画と違い、音の無いサイレントでは顔の表情やしぐさをより大きくしないと伝わらないことを理解して欲しい。音が無くてはつまらないでは、つまらない。目・耳・鼻(匂って来る映像もありますよ)・触覚(隣の人の様子からも映画は楽しめます)・口(悲鳴とかため息も)の五感全てで映画を味わえれば、かなり幸せです。

 ベラやリーの吸血鬼作品を見た人には是非に『吸血鬼ノスフェラトゥ』を見て欲しい。構図から醸し出される美しさ、光と影の見事なバランスによる美しさ、吸血鬼の長い手足の持つ不気味な美しさ、絶命するラストシーンの美しさ、印象に残る不気味さと厳しさを合わせ持つカメラワークの美しさ。挙げていけば、きりの無いほどな映像美をたっぷりと目に焼き付けて欲しい作品です。

 またネガ画像の持つ、妖しい雰囲気をも作品に使って、例の効果的かつ有名な馬車での出迎えシーンを作っています。ドイツのこの頃の映像って『カリガリ博士』や『メトロポリス』を含めて傑作ぞろいです。黒澤・小津・溝口監督の活躍した日本の50年代のように、ドイツの10〜20年代も映画の全盛期だったようです。

総合評価 82点
吸血鬼ノスフェラトゥ
吸血鬼ノスフェラトゥ

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんにちは。
 世界最初の本格的吸血鬼映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」は日本では正式に劇場公開されていませんが、スティル・ショットの使い方、カットバックの鮮やかさが印象に残っています。
 正に1920年代はドイツ映画の黄金時代でしたね。フリッツ・ラング、この作品のムルナウ、「カリガリ博士」のロバート(ロベルト)・ヴィーネ、G・W・パプスト、渡米したジョゼフ・フォン・スタンバーグ、エルンスト・ルビッチなどなど。フォトジェニックな表現主義の方々が特に好みです。
 70年代にヴェルナー・ヘルツォークがこの作品をリメイクしましたが、クラシックでなかなかご機嫌でした。
オカピー
2005/11/08 16:07
 こんばんは。この頃のドイツ作品は重厚な美しさを持つ作品がかなりあり、フリッツ・ラング監督やルビッチ監督の作品は、一見対照的かもしれませんが、良いエッセンスを感じさせてくれるので『M』や『街角』を何度か見ました。ではまた。
用心棒
2005/11/08 23:08
 ラングの「M」はフィルムセンターで見ましたが、それ以来ご無沙汰。「ドクトル・マブゼ」も観ていないで何を言うと言われそうですが、「ジークフリート」や「スピオーネ」が結構好きですね。しかし、大した評判のない続編「怪人マブゼ博士」ですら随所に圧倒される表現があって、ラングの実力には脱帽しましたね。米国での「死刑執行人もまた死す」も何らかの形で入手したい一本。
 実は、ルビッチの「結婚哲学」は一番好きなサイレント映画かもしれません。話術の上手さが飛び抜けていました。僕の観たルビッチ作品につまらないのは一つもありませんが、「結婚哲学」が図抜けた印象があります。
 小津安二郎の「淑女は何を忘れたか」は、見事にルビッチを意識していて、面白かったです。
オカピー
2005/11/10 01:48
 「写真と動きで内容を語るのが、映画の基本でありサイレント後期には映画的純度は進化していき、一定の到達点までいっていたのが、トーキーの到来とともに、演劇的な要素が、入りだしてから本質から外れだした。トーキーの隆盛は映画表現の進歩には必ずしも貢献していない。」

 これは黒澤監督が戦後すぐの1946年に「シナリオ」8月号に寄せた随筆の主旨です。(出典 「全集黒澤明 第二巻」)ただし、これは個人として読んで、おそらくそういう主旨かなあ、と思ったことなので、黒澤監督本人がどういう意図でお書きになられたのかは判りません。よって断言は出来ません。
 
 けれども今になっても抱えたままの映画の問題点とはまさにこれだと思います。 
用心棒
2005/11/10 23:38
おおっ、用心棒さん!
わたしの無理なリクエストに、おこたえくださりありがとうございます。
>五感全てで映画を・・・
いやまさに、映画鑑賞の最高目的かもしれませんね。
特にこの作品は腐臭が漂ってくるよな映像の連続でした。
かつ、ドイツ表現主義の退廃美の美しさ・・・。芸術の至上主義を貫いています。
そして、オカピーさんの好みは理解できます。
後進においては、スタンバーグやラングやムルナウの土壌をもっと耕すべきだったのではないでしょうか?フランス映画はこのようなペシミズムに詩情を加えていったわけですが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」がメチャメチャにしてしまった。彼らは、ドイツ表現主義まで壊しちゃったんじゃあないでしょうか?
トム(Tom5k)
2007/07/27 23:59
>続き
わたしもヴェルナー・ヘルツォーク監督の『ノスフェラトゥ』を観ていますが、これも素晴らしかったですねえ。クラウス・キンスキーとの狂人コンビは凄いですよ。

>トーキーの隆盛は映画表現の進歩には必ずしも貢献していない・・・
トーキーの到来、カラー映像、CG技術、優れた映画人たちは、みんな新しい技術に抵抗を示しました。
映画人は革新者でありながら、新たな技術においては保守的です。真の革新者は、逆に守るべきもの(こと)にも敏感なのかもしれませんね。
それから、ご存知かもしれませんが、ブログ「川越名画座」のFROSTさんの記事も面白いですよ。

http://omp2006.blog85.fc2.com/blog-entry-63.html
では、また。
トム(Tom5k)
2007/07/28 00:03
あっと、失礼、これ新記事じゃあ、なかったんですね。
あれえ??
モンスターシリーズのインデックスに載ってましたっけ???
いずれにしても失礼しました。
トム(Tom5k)
2007/07/28 00:47
 トムさん、こんばんは。
 申し訳ありません。この作品はホラー映画の分類にしたままでした。
 吸血鬼に関しましてはなかなか文章にしづらかったドライアー監督の『吸血鬼(ヴァンパイア)』をアップさせていただきました。
 ではまた。
用心棒
2007/07/28 01:32

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